見出し画像

全部が始まった試合

2年かかったけれど①

2年かかったけれど②


 夏の遠征を経て、今年も大学での合宿に参加した。今年は去年よりも役割をもらっていた。合宿の雰囲気も本当に良く、声を出してチームを鼓舞する自分はこのチームに必要だと思えた。
 そしてリーグ戦が、始まる。

リーグ戦は、長い

 この年の関大は2部リーグだった。昨シーズン1部から降格してしまった。2部からインカレに出場するためには2つの条件を満たす必要があった。
①2部リーグ全勝優勝
②1部5位のチームのとのチャレンジマッチに勝利

これが、想像以上に難しい。②は当たり前だが、①が思いの外難しい。
 当時の2部は計13試合。10チームで1巡した後、上位・下位リーグに別れて5チームで1巡。2部リーグは力の差がある。上位の2.3チームと下位の2.3チームではダブルスコアになるくらいには差がある。しかも、バスケはアップセットが起こりにくいスポーツ。順当にいけば強い方が勝つスポーツ。
 それでも、13試合もあれば1試合はこちらの最低と相手の最高が重なる試合がある。
 その日がきた。

2部リーグと俺

 その前に、その時の俺の立ち位置。
 この年、2部にいたことは俺にとっては幸運だったかもしれない。1部にいたら何もできずに終わっていたかもしれない。その時の自分の実力はちょうど2部の3番手くらいだった。成長して超えていくステップとして最適だった。
プレータイムは1試合5分〜10分。ガーベッジタイムでのプレーもあったが、数分、勝利のために試合に出るようになった。ほんの数分。俺がいてもいなくてもどの試合も結果は変わらなかった。
 そんな関大の5試合目、最大の危機が訪れた。

VS大教大

 関大は4連勝でこの試合を迎えた。相手には後のプロプレイヤーが2名在籍し、決して弱い相手ではなかった。IQも高く、堅実にバスケをしていて強いチームだった。しかし、実力で言えばこちらの方が一回り上、という感触だった。
 第1ピリオドからずっと接戦で、少し負けている嫌な空気。チームは波に乗れずにグダグダした様子。対して相手は2人が乗っている。こういう試合は、あっさり負けて終わりがち。
 俺はベンチでずっと声を出していた。それしかできることはなかった。
 後半になっても試合の様子は変わることなく、関大は最近では最低の出来とも言える試合内容だった。誰もサボっているわけでも集中していないわけでもないのにこうなっているときが、一番どうしようもない。何より、りょうたさんのシュートが全く入らなかった。相手には2m近いビッグマンがいてインサイドからの点数も伸びず、終始攻めあぐんでいた。少しずつ一人一人の積極性がなくなり、比例してオフェンスのリズムは悪くなっていく。
 ほとんどの時間を大教大の5点以上のリードで第4ピリオドを迎えた。残り5分で、ロースコアながらその差は10点になった。経験がある人ならわかると思うが、算数的には追いつけるこの点差はバスケではほぼ追いつけない。
こちらのベンチ、スタンドもじわじわと負けをイメージし、少しずつ静かになっていた。俺以外。
俺以外。

ギャンブル、じゃない。

 残り5分、10点差。チームの雰囲気も最悪。
「ハルク」
コーチの声が聞こえた。出番だ。
出番や。俺しかおらん。
俺にできることは、とにかく動く、声を出す。この2つ。今その2つが、関大にはない。わかっていた。ずっとベンチで見ていたから。
 バスケは流れのスポーツ。「無理な時は無理」な10点が簡単にひっくり返ることもある。そして、地力はこちらが絶対に上。勝てないわけがない。
 「俺がこれだけ頑張っても手の届かないあなたたちが、こんなところで負けて良いわけないでしょう」本心でそう思った。
 しかし、俺以外はドキドキだったと思う。ローテーションのメンバーからしても明らかに力不足なやつ、スタンドのメンバーから見てもこないだまでBにいたやつ、誰からしてもここでハルクは意味わからん。そうやったと思う。ギャンブルに思ったかもしれん。
 俺とコーチ以外は。

残り5分、10点差

 俺はそこでコートに立った。不思議と緊張はなかった。俺しかないってわかってたから。チーム全体に声をかけ、静か過ぎるコート内を騒ぎ立てた。
 ほんまに一生懸命なやつには、何か起こるようになってる。
 1分で点差を4点まで詰めた。俺は1点もとっていない。チームの雰囲気が変わり、ディフェンスから速攻、ハーフコートのリズム良いオフェンスで着実に点を取った。もしかしたら、足を引っ張る奴が出てきたせいでみんなの緊張感が増し、チームのリズムが良くなったのかもしれない。なんにせよ、ほんの少しは俺の手柄やろ。残り4分4点差。
 大教大はたまらずTOをとった。俺は蘇ったベンチとスタンドに激しく迎えられた。1点も取ってないで、俺。
これがチームスポーツ。

残り1分、7点差

 明らかにこちらに流れがきた。大教大はここで修正しなければ勝てない。それがわかってるチームだった。そして、確実に修正してきた。
 リラックスして堅実にオフェンス・ディフェンスを繰り返し、自分達のペースを取り戻し、気づけば残り1分で7点に点差を広げた。
 バスケには24秒ルールがある。このルールのおかげで、1分で7点以上の点差は追いつけない。交互のオフェンスの中、勝っているチームが24秒を2回使いきれば負けているチームは12秒で3回攻めて7点を取らなければならない。現実的に不可能である。
 関大は、たまらず最後のTOをとった。

まだまだ絶対折れたらあかん

 大学までバスケをしてきたチームメイトたちに、この状況の恐ろしさがわからない人間は1人もいない。ほぼ逆転不可能な状況。そして、1試合でも負けるということはインカレを逃すということ。絶対的な目標を失うことになる。口には出せないが、みんな大きな不安と絶望と闘っていた。
 タイムアウトで何を話したかは覚えていない。たぶん俺だけじゃなくて、誰も覚えてないと思う。
 タイム明けの最初のプレー。マイボール。俺のマッチアップのところを狙いたかったから、エースと俺でピック。大教大は良いチームだったから、正しい選択をした。1点も取ってない俺を置いて、エースに2人で強いプレッシャーをかけた。
 俺は、3Pラインより外で、フリー。
 エースが、パスをくれた。前はガラ空き。点差は7点。練習してきたことは?
 3P。今まで一度だけ狙って、決めたことがある。エースの「打て」という声。コーチの「打つな」という声。どれも聞こえなかった。リングと自分だけ。俺はシュートを打った。汚いフォームで、土壇場で。
 決めた。残り1分、4点差。

残り1分、4点差

 馬鹿みたいにでかいガッツポーズをしたかったが、まだ負けている。俺は集中を切らさなかった。この点差は追いつける。
 その後、グッドディフェンスからエースが2点を追加。2点差に。
 次のディフェンスでもプレッシャーを緩めることができず、ギリギリのプレーをしてファールがコールされた。相手にはFTが2本。2本決められると、4点差。1回のオフェンスでは追いつけない。残り時間は、もう少ない。
 1本が決まった。1本は外れた。首の皮一枚。
 残り30秒3点差。次のオフェンス、俺は再びフリーで3ポイントラインでパスを受けた。

最後のオフェンス

 残り時間は約30秒。決めれば同点。シュートを外せば、残りの時間はファールゲームで勝率は低い。
俺は打とうと思えなかった。何故ならボールが来た瞬間にディフェンスが2人飛び出てきたから。必然だった。残り少ない時間から出場し、土壇場で3Pを決めた俺をほっておくわけがない。相手はさっきのが俺の「公式戦初3P」とは知るよしもない。誰も俺のことを知らない。
 右45度にいた俺に対して、正面から2人のディフェンスが走ってきた。さっきガッツポーズをしたかったが気持ちを抑えた分、俺は落ち着いている。コーナーに、フリーがいる。
りょうたさんだった。全幅の信頼を寄せるりょうたさんだった。迷わずパスをした。後で確認したら、その日はそこまで3Pが0/7だった。
 それが、最初の1本目になった。
 残り20秒、同点。

延長戦へ

本当に長かったこの試合。負けている時間、自分がうまく行かない時間は本当に長く感じる。その鬱憤を晴らす3Pは、チーム全体を落ち着いた狂気へと導いた。大教大のTOとともに俺たちはベンチへ帰り、一縷の油断もない笑顔を爆発させた。

34がりょうたさん。俺はもう泣きそう。

最後のディフェンス。張り詰めた緊張と、高揚。守り抜いて勝負は延長戦へ。

バスケは流れのスポーツ

39分待ってついに訪れた、いや引き寄せた関大の流れ。ブザーでは止まらない。延長戦はスコアでは8-1。最終的には7点差で勝利を掴みとった。

延長でも全てフリースローを決めた。

最終的に俺は10点とったかとってないか、リバウンドも同じくらい。高校生の頃の1/3以下のスタッツ。人生で最高の試合だった。

2年かかったけれど

いろんな人にこき下ろされ、チャンスは掴めたのか掴めていないのかもわからず、でもがむしゃらに求め続けた。少しずつ成果は形となり、定期戦では初めて3Pを決めることができた。2年の夏には遠征で試合の流れを少し変えることができた。
どちらも、練習試合だった。でも、どんなときも俺は手を抜かない。
2年かかったけれど、ついに公式戦でチームの勝利を掴み取った。今まで、自分がやってきたことで。
簡単なことは1つもなかった。ここまでに諦めた人を何人も知ってる。親友も、いつの間にか部活からいなくなっていた。ただ、俺は少し馬鹿だったから利口になれず、諦め方がわからなかった。それが良いか悪いかは、後になってからしかわからない。

今もあのときのまま。努力すればできることが増える。まだまだできることがあるな、と思う。諦められれば楽になることもわかってる。
でもあのときの自分が、バスケがあったから俺はこれからも俺のまま。
前は2年かかった。プロを目指して、今はもう2年以上かかってる。今度は何年かかるのかわからない。もしかしたら、無理なのかもしれない。
だから、おもしろい。

サポートしていただいたお金は、全てコートの利用費、プロテインやサプリメントの購入などプロバスケ選手になるための費用に使わせていただきます。よろしくお願いします。