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「2年」かかったけれど

中学は3ヶ月、高校では初日から試合に出てた。
大学は、2年かかった。

大学バスケ

大学バスケって、たぶん想像してるよりレベル高い。
もちろん関東リーグが一番やけど、その次に関西が来る。その次に中部・九州が並ぶくらい。
だから関西は日本で2番目のリーグ。
所属してる選手層は、関東1部リーグは高校の全国で「勝った」チームの1番手、2番手ばっかり。いわゆるスター選手がいく。
関西は、全国に「出た」チームの選手が多い。「勝った」チームの中では5番手以降が多いイメージ。
めっちゃ大きな差。留学生も関東が圧倒的に多い。日本人のレベル差も含めて、ほんまに大きな差。
とは言っても、関西の大学で活躍しようと思ったら簡単じゃない。言うても全国経験者、国体メンバーばっかりやから試合出てる人らは。
俺が2年の時、関大のベンチメンバーでどの形も含めても全国の経験がないのは15人中俺ともう1人だけやった。そんな世界。

こいつレベル低いぞ

高校の部活やったら、全国出たり目指すようなチームでも何人かは明らかに下手な子がおる。大学にはおらん。全国で有名ではなくとも地元では腕の立ってた人らばっかり。
言葉を選ばずに言うと、狭い地元ですらある程度活躍できへん人は、大学の体育会で続けることは厳しい。自分が試合に出たりする想定ができなければ入部しようという人はほぼいない。大学によってはセレクションがあって入部を拒否されることだってある。
そのせいで、下手なやつは目立つ。
高校ではどこが相手でも20得点20リバウンドくらいの成績残してた。そんな俺は入部当初、間違いなく部活内で一番下手やった。背も高くないのにインサイドプレーしかほぼできんかった。最低なのは、受験太りで体重が100KG近くあったこと。
その頃コーチから言われた、忘れへん一言がある。
「こいつレベル低いぞ」
何が悔しいって、その言葉は俺への言葉じゃないよな。話す相手に「こいつ」とは言わんもんな。周りの皆さん、下手で迷惑かけてすみません。辞めた方が良いですかね?邪魔ですもんね…
誰が辞めるか。誰が辞めるかって。

俺だけ練習週12

めっちゃ腹が立った。
ほんまはもっとできるって自分で思ってたから。今まで苦手なこと練習してきてなかったこと、クソみたいな身体してること。それと向き合えば絶対俺は何とかなるって思ってた。だからこそ、それをやんわり放置してた自分に一番腹が立った。
知識も何もないし器用でもないから、とりあえず練習後毎日1時間くらいは走った。まずは痩せないと話にならん。1ヶ月くらい続けてたらちょっとずつ痩せた。
ドリブルが下手以前にアウトサイドでピボットを踏めなすぎる。そこまでの基礎練してんの見られたら恥ずかしいから夜に近所の公民館でしてた。
体育館が使える時間は、ずっとシューティングと練習の復習してた。
変わらんわけがない。5月の終わりくらいにはちょっとずつできること増えてBチームの練習でも通用するようになった。自信もついた。できることが増えたからじゃない。そう思うに足る努力したから。

ちょっと話は変わるけど、練習の形式としてはA・Bの2チームに分かれて前半がB、後半がAで2時間ずつ練習してた。俺は入部してからもちろんずっとBやっけど、片付けもあるし自主練もしたいし練習後ずっと残ってた。
そしたら、人数合わせでAチームに呼ばれることがあった。
そんなん、めっちゃチャンスやろ。Aの人らは俺より圧倒的にできる人ばっかり。実力も実績も比にならん。だからこそ、俺が一矢報いることにはめっちゃでかい意味がある。
練習内容は多少違うけど俺は復習してよく頭に入れてる。技術では及ばんけど気合いがあれば運動量が増やせる。気合いで声も出しまくれる。ちょうど、Aにはそれができる人がおらんかった。俺よりみんなバスケ上手いけど。
俺は、チャンス逃さんかった。6月にはAB両方の練習に毎日参加するようになった。だから毎日2部練。Aは火曜がオフ。Bは水曜がオフ。オフの曜日が違うから火曜・水曜は練習片方なだけで俺にオフは無くなった。
「俺だけ練習週12」である。そんなやつは後にも先にも俺しか見てない。それに加えて空いた時間に自主練も入れる。
1ヶ月くらい耐えたが、疲れが出てしまい、終盤に何でもないところで捻挫して俺のAでの活動は終わった。軽度の捻挫だったからできると伝えたが、意味はなかった。

夏の遠征

Bチームでしばらく過ごしている中、8月の半ばに遠征があった。A・Bチーム行き先は一緒だが体育館は別で、他校と試合をする。俺はその時Bチームに所属だった。
しかし、なぜか神は俺を見放さない。Bチームが向かう体育館のバスに乗ろうとした朝、コーチに
「お前こっち乗れ」
と言われてAのバスに乗った。急すぎて周りに連絡もできず、いきなり俺がいないせいでBのバスは俺を宿に置き去りにしてしまったと勘違いするほどだった。Aのバスから降りたとき、コーチは
「お前遊びで来てるんじゃないからな」
と少し浮かれていた俺に釘を刺した。
そこから4日間、俺はAチームに帯同した。
ほぼ試合には出なかった。
きっとBチームで参加すれば試合にはでれただろう。俺はその4日間、審判をしたり雑用をしながら、試合を見ていただけだ。たくさんアップしたけど。これをどう捉えるかは、自分次第。考えようによっては上手いこと雑用に使われたとも。
俺はAとの距離感を掴むための4日間にした。
その後にあったリーグ戦直前の大学で行われる合宿にも直前まで参加予定ではなかったが急遽参加することになった。自分がうまくなるためというよりも、試合に出るメンバーの相手をするための数合わせの面がほとんどだった。
その時にAの練習に参加するメンバーは20人ほどいた。俺は20番目。リーグ戦でベンチに入れるのは15人。俺の今シーズンはこの合宿で終わりかな。
しかしまたもや神が降臨する。その合宿で数名が食中毒に罹患し、開幕戦に間に合わないことになった。おかげで俺はBチームだったが、開幕戦にベンチ入りした。これはその知らせを聞いた時の自撮りだ。

浮かれ具合を表現するためリーゼントにし、
不敵な笑みを浮かべている

今だから言うが、心底嬉しかった。
そして、リーグ戦が始まる。

1年の時の公式戦

結論から言うと、リーグ戦には18試合で合計8秒くらいだけ出た。消化試合の最後。記念に出た。
それでも、試合に出れたことは嬉しかった。まずベンチに入ったことが証明の1つだったから。実力的にもこれが妥当だと思っていた。

その後、1.2回生だけで行われる新人戦が行われた。A・Bチームの区分をなくして下級生はまとまって練習し、ほぼ全員ベンチに入った。
結論から言うと、その大会に関大は優勝した。実に50年ぶりだったらしい。
僕は思いの外出場した。特に1番苦戦した準決勝では相手のゾーンに苦しめられたが、とにかく運動量と気合いでゾーンをかき乱し、オフェンスリバウンドやファールを稼いでゾーンを崩壊させた。決勝は少し楽に勝てたが、なぜかそこだけ出番がなかった。
別に悪いことはしてなかったと思う。理由はわからなかった。
新人戦は勝っても続きがない。大学バスケはあくまでリーグ戦とインカレがメインだ。
これで1年目は終わり。

コーチに言われたことは、来年同じポジションに期待の選手が来ることから
「お前は今年で終わり」
だった。

終わるわけないのにな。

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