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杉咲花「らしさ」を味わいつくす 映画『市子』感想

夏は、人を狂わせるのかもしれない。

ひっきりなしに飛び込んでくる蝉の声、体温より高い気温、焼け付くような日射し。何もかも壊れてしまえと呪ったり、すべてを捨てて逃げ出してしまいたくなる季節。

市子を狂わせるのは、いつだって夏だ。生まれた時に背負わされた重荷が無ければ、狂わずにいられたのだろうか。想像してみるけれど、わからない。

川辺市子(杉咲花さん)とは、誰なのか。3年共に暮らした恋人のもとから突然消えた彼女の戸籍がないことは、失踪届を処理した警察官から彼に知らされる。細い細い糸を辿っていくうちに、「川辺市子」がかたちづくられていく。3年間一緒にいた彼に見えてなかったところに、市子の根源があった。

生きる環境が過酷すぎて母(中村ゆりさん)は逃げ出すわけだが、市子は逃げない。置かれた状況を過度に悲観することはないが、諦観はある。ひたすら淡々と、したたかに、明るく少しの狂気を携え現実を乗り越える。

強烈に焼き付いている。暑さに辟易しながら淡々と妹・月子の身体を拭き、痰を吸引し、じっとりと我が身に汗を滲ませながら「暑いなあ」と話しかけ、普段の世話と変わらぬ何食わなさで酸素マスクを外す姿が。夕暮れの室内に差し込む光に照らされた市子の横顔には、後悔も懺悔も見えない。仕事から帰宅した母は、「市子、ありがとうな」と言う。ベッドの横で、何げなく冷たい麦茶を飲む市子は、わずかな間動かぬ妹を見つめる。

女優・杉咲花の凄みが極まっていた。

市子の身には、普通に生きてたら経験しないようなことばかり起きる。しかし激昂して親に当たり散らすことは無い。他人には尚更だ。

当たり散らさないが、やはり静かに狂っている。その狂気に触れた生き物としての感覚が正しいものたちは、己の危険を感じて遠ざかる。魅入られたものは…

夏の川辺市子には、何とも言えない艶めかしさがある。彼女の汗の滴がスクリーン越しに色香を放つとき、狂気も強く匂い立つ。

ー 明日はきっと、いい天気 ー
映画の終わりに市子の鼻歌を聞きながら、確かそんな歌詞だったよなと思い出した。市子の切実な祈りは、無限に広がる夏の青い空へ吸い込まれていく。

明るく健やか。淡々と、正気で、狂っている。女優・杉咲花でなければ演じられぬ川辺市子が、確かにスクリーンの中にいた。映画の中の存在でありながら、圧倒的にリアル。

映画館を出て、駅まで歩く。

もしかして今わたしとすれ違った女性は、市子かもしれない。彼女はいまも、どこかでしたたかに生きているに違いない。市子のような女性は、都会のほうが生きやすいかもしれないなと考えながら、夜の日比谷を後にした。

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