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すみだ水族館探訪記 〜安らぎの底で〜

 ある晩、IKEAのサメのぬいぐるみと共にジュール・ヴェルヌの『海底二万里』を読んでいたところ、厭人的なネモ船長にシンパシーを覚えてしまい、いてもたってもいられなくなった。わたしも海の世界を感じたい。泳いでる魚が見たい。
 というわけで、俗世を離れた海の底に潜るべく、以前から興味のあったすみだ水族館へ行った。
 せっかくなのでブルーナイトアクアリウムの演出が始まる18時以降に訪れた。音楽や照明がゆったりとロマンチックなムードに変わり、孤独な海の底に潜るにはぴったりの趣である。

いざ行かん

 公式HP等を読むに、公園で憩うごとく大らかに過ごしてよいみたいだったが、やっぱり暗くて読書には適さなそうだっため、ひとまずどうしてもここで読みかった一節を読んで満足したあとは、ヘッドホンでラジオドラマで聴く名作文学「きくドラ」を聴きながらのんびり小笠原大水槽を眺めることにする。

なんと!きくドラ『海底二万里』のネモ船長役は中澤まさともさんなのです。好きな物語の憧れの登場人物がとっても素敵な声でお気に入りの台詞を話すなんてこれ以上幸せなことがあるだろうか……。

ノーチラス号の航海を味わう

 ネモ船長の苦悩に聴き惚れながら、目の前にいた小さめの魚をぼうっと眺めていると、急に上方に大きなシロワニやマダラエイがぬっと現れて驚く。驚嘆しているのは人間だけのようだが、こんなに形や大きさの違う生き物が行き交っていて、魚たちは戸惑わないんだろうか。
 ノーチラス号が小笠原諸島の海に来たかはさておき、岩陰に停留させた潜水艇の窓から見える光景はこんな感じかもしれない。
 そんなことをぼんやり考えていると、凝り固まった肩の力が抜けていく。

覗き窓にワクワクした

 幼い頃は水族館に行くと緊張した。
 もし水槽が割れたら自分も魚もどうなってしまうんだろう、と想像すると不安でたまらなかった。
 呼吸ができなくて溺れて食われる自分と、水を失って干上がる魚が同時に思い浮かび、ゾッとするのになぜか惹きつけられてしまう、怖いもの見たさのような感覚が濃かった。
 夢の国のアトラクションでも、乗るたびに本気で「もうここから帰れないかもしれない」と怯えた。
 暗くて狭いところが苦手だったことも関係している気がするが、ガラスがあまりにも透明で、そこから見えるものがあまりにも自分のいる世界と違うから、そこに安全な隔たりがあることを信じられなかったのだろう。

 だが、ある時ふと「水槽って大丈夫だな」と我に返り、急に水族館でのびのびと癒されるようになった。今までのはなんだったんだ。
 それでもやはり、自分が魚と一緒に泳いでいるところなどを想像すると怖くてたまらない。そもそも海で泳ぐことがトラウマ的に怖い。
 わたしはただ、自分とは関係のない海の中の世界を、外から静かにぼうっと眺めていられることが好きだ。綺麗なものからぽつんと切り離された、部外者のような感覚に浸れることが心地よい。
 水の中にわたしの居場所はないが、そこに入れなくても、魚たちが泳いでいる様子を綺麗だなぁとか気持ちよさそうだなぁと、好きな場所から眺めることができる。むしろ、頑丈なガラスで切り離されているからこそ、ああ自分は今ここにいるのだなぁと実感し、ほっと息をつける。

「深海の底ほどの孤独を、静寂を見いだせる場所がほかにあるでしょうか、教授?」とネモ船長は答えた。「博物館のあなたの部屋で、これほど完璧な安らぎが得られるでしょうか?」

『海底二万里(上)』ジュール・ヴェルヌ著 村松潔訳
新潮文庫、p165

 水槽のガラス越しに海の底を眺めながらこの一節を読んで、あぁ今日はここに来てよかった、としみじみ思った。何かに溶け込まない感覚は決して嫌なことばかりではなく、深い安心を与えもする。
 「完璧な安らぎ」の一端に触れられた気がしたが、ネモ船長の安らぎとはどんなものなんだろう。


▶︎ 探訪記② へ続く

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