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繰り返しの一週間が虚しい。まずは今日の健康のために生きてみる。

3回目の鍼灸に行ってきた。

家からの道のりも所要時間も覚えてきて、ちょっと散歩へみたいな気持ちで鍼灸院に向かう。前回までと同じ大部屋に着くと、前回までと同じベッドに通される。

簡単な問診を終えて、金の鍼から施術が始まる。
一通り鍼が終わって、お灸が始まる頃、急に「繰り返してるな」と思った。
看護師の友里子も、こんな気持ちだったのかもしれない。私もさっき、一週間前と同じ場所で同じように服を脱いで、ブラジャーを外した。

四日前も、全く同じ時間に、全く同じ場所で、全く同じことを考えていた。そんな気がする、という曖昧さを許さないほど、確実にそうだった実感がある。  自動的に、運ばれている。

朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』 (中公文庫)  1白井友里子 より

ルーチンな一週間を過ごして成長のないまま七日間の時間を食い潰してしまったのかもしれない。例によって転職活動で悩みまくっている私の頭は油断するとすぐに人生の良し悪しを考え始める。

「今日は、足の裏にもお灸していきますね。睡眠をよくするツボです。」

それはとことん刺激しておいてもらいたい。そういえば前回までは足の裏なんて触られなかった。これ、繰り返しじゃなかったんだなぁ。

先週までと違いがあることが、繰り返しじゃないことの証拠に思えて無性に安心した…というか、安心する根拠を見つけたと思いたかった。

そのあとのお灸は、前回までと同じような位置に同じような流れで置かれていった気がしたけれど、よくよく思い出せば暑さの感じ方が今までとは少し違ったような記憶もある。

繰り返していることに焦りながらも、そんなことはないと言い聞かせながら黙って施術を受ける。色々考えているうちに、お灸のせいなのか、あくびが出てきた。頭の中はそんな呑気じゃなくて焦燥感に駆られながら生きている意味まで考え出しているのに、体は正直に反応するらしい。

「眠くなりますよね」と笑いかけてくれる施術者にへへへ、と返しながら体を起こす。前回までと同じ60分のコースが、少し短く感じられた。

初めて行く場所に向かって歩いているときは、その道のりがなかなか長く感じるが、帰りは意外とあっさり歩き終わったりする。「一度目にしたことのある道」だからだろう。それと似ているかもなと思いながら着替えを済ませた。

前回までに引き続き、次回の予約を取っていくことにする。初回から変わらず土曜の午前中。休日は放っておくと昼で寝ている自分も、こうして大事な予定を入れておけばなんとか布団から這い出ることができる。来週の自分、よろしく頼む。

この日は続けて産婦人科に寄ってから帰宅した。部屋着に着替えて布団でゴロゴロした後、同居人と一緒にフルーツサンドを作って、そのあとパソコンを開いてポートフォリオを作り、土曜日が終了した。

転職のことをいつでも考えているみたいな状況で苦しくなる時も多いけれど、将来を考えるなら、今を健康に過ごすのが第一だから。鍼灸とか散歩とか、ぼちぼちやっていきたい。

◎出てきた本

『死にがいを求めて生きているの (中公文庫)』(朝井リョウ 著)

各話では現代人の悩みが生々しく表現されていて、どの人物の中にも自分を見出してしまい、少し羞恥心のようなものを感じながら読み終わった。
友里子には共感する部分が多く、彼女のこの先の人生が気になる。どういう気持ちで日々の仕事を続けていくのだろうか。友里子と一度話してみたい。

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