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「こらえている」感じについて

彼を近くに感じたかった。あらゆる手を使ってね。(オノ・ヨーコ)

昨年、11月に、孔雀の切り絵が表紙になった『アフリカ』最新号を出してから、書けなくなっていました。

書けないと言っても、自分ひとりだけの「朝のページ」は2016年の春から毎日、途切れなく書き続けているし、TwitterやThreadsといったSNSでも書いているし(それは自分にとっては「喋っている」感じなのですが)、「水牛」と「道草の家のWSマガジン」には毎月、ちゃんと〆切を守って書いています。

どうしてこんなに毎日、せっせ、せっせと書いているのだろうか、と自分で呆れるほど書いている、と言っていいかもしれません。

では、「書けなくなる」とは何か?

簡単に言うと、これまで書いてきた小説やエッセイ(& モア)にかんして、自分の書いてゆくこの先が、見えなくなっていたということ。迷っていた、というか。

だから、いろいろと書いてはいても、書けているという感じがあまりしない。困ったな? といっても、そういうことは自分にはよくあることなので、焦らない、焦らない、と自分に言い聞かせて──。年末からやっている自室の整理と、「水牛」に連載している「『アフリカ』を続けて」を本にするための原稿整理と推敲(これがけっこう大変)などを進めつつ、もちろん日々の仕事もこなしつつ、今年、2024年になってからもう1ヶ月と1週間が過ぎてしまいました。

あけましておめでとうございます。新年の挨拶が遅すぎますね!(今年もよろしくお願いします)

今週、ようやく(整理と推敲にかんして)次の段階に進んだようだったので、少しひと息ついて、ここで書いてみています。

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さて、先日、吟遊詩人K.さんの「じっとこらえる生き方」の話をくり返し読んでいました。

20代の頃、会社勤めをしていた時代は私も、「本来の自分」と「社会的な自分」の断絶に悩んでいたような気がします。いまは、もうそういうことを考えなくなっていますが、「じっとこらえ」て、「今ある日常をやる」ように自然となったからだろうと思いました。

私は12年くらい前から、知的障害のある人たちの移動や外出を支援する仕事をしていますが、自分にはとても合った仕事だと感じています。
それ以前、稼ぐためにやる仕事はどれもきつくて、仕事のない日は嬉しかった気がしますが、いまは、そういう仕事も全て日常のなかに包み込まれるようにあり、境目があまりない感じなんです。
彼らとは、ことばがあまり通用しないか、ことばのない世界です。でも社会に対しては、それをことばで説明しなければならない。
私には、興味の尽きない仕事なんです。
ただ、施設の職員になるのと違って、時間が限られているので、それだけで暮らしてゆくのは経済的に厳しいという側面もあります。

エッセイや小説をはじめ、さまざまな文章を読んだり、書いたりすることは、19歳からかな、学生の頃から、もう25年、ずっと続けてきました。自分で本や雑誌をつくるのは、20代になってからですが、それでも、もう20年以上やっています。
それは、いまのところ、自分の暮らしを支える仕事にはなっていません(臨時収入にはつながることがあります)。あえて、そうしなかった、というふうにも、言おうと思えば言えます。
幸いなことに、若い頃、さまざまな文学者、同じ志をもつ先輩たちとの交友が得られて、文学を生業にするか・しないかは、その人の文学の質とは関係がない、ということに何となく気づいていたからかもしれません。
時代や社会が違えば、それを生業にしたかもしれませんね。でも、私はそんなものに左右されるのが嫌なんです。もっと大きな世界を感じながら、仕事していたい。
その結果、もの書き(もの読み)としての私は、知る人ぞ知るといった存在でしょうけど、それで満足なんです。
実際に、私を書く人だと認識している人はそれなりにいるでしょうし、いや、あの人は編集者なんだよ、と密かに言ってくれている人がいるのも知っています。ありがたいことです。
長く続けてきたから、結果的に言えることじゃないか、と思われるかもしれませんけど、ほとんど最初の頃からそうでした。世間から認められないからと言って、自信をなくしたりしなかっただけのことで…(というより、認められようとしてこなかったのですが)

それを振り返ってみると、やっぱり「こらえている」感じが、しますね。

「こらえている」と言っても、いろいろな「こらえ」があったような気がする。

悩み──苦しみ、悲しみに耐えているということも、たまにはありますけど、逆に、舞い上がりそうになるのをこらえているようなこともありました。盛り上がったら、必ず落ちる、ということを知っているからです。

K.さんが書いている通り、すぐに得られる反応をアテにせず、求めてもこなかった、というのは、大きかったような気がします。
ただし、そう考えたのは、途中からでした。最初はやはり、何か反応が欲しかったし、アテにしようとしていました。それでたくさんの人を巻き込み、自分は苦しくなって、いろいろなことが上手くゆかなくなりました。

その後、2005年の末に『アフリカ』を構想した際、文芸のフリマに出るのを止め、書いている人たちがよくやっていた合評会のようなものも止めました。何か伝えたいことがあれば、書き手に直接、伝えたらよいこと。あとは誰からも、何の反応もなくても、そんなことは書くこと、それを続けることには関係ないことだ、と考えました。

つまり、「じっとこらえ」て、ただ書こう、ということになりました。書くことで何か良いことがあるかもしれないとか、書くことに救いを見出したいとか、そういうことではなくて。

厳しいことを言っているようですけど、それが出来ない人には、続けることは出来ないのだ、という気が私にはします。もっと言うと、その行為自体のなかに歓びや幸せを見出せなければ、ということになります。

暮らしと、同じですよね。何ということもない日常のくり返しかもしれないけれど、それを坦々とやってゆく。しかし生きる歓びは、そこかしこに隠れて、転がっているので、それをいちいち見出して、面白がって、誰かに伝えて、笑ったり泣いたりして。

さ、今日もやってゆこう。

(つづく)

今月も、「WSマガジン」の〆切〜リリースが迫ってきました。月に一度の、お楽しみです。これは先月号。


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