【さがたび DAY6】情熱溢れるからつもん

自分の地元の好きなところを聞かれたら、1つや2つは思いつくだろうか。
唐津に来てから、羨ましくなるくらい魅力に溢れたところだなと何度も思っている。

太閤秀吉の威厳は時効

虹の松原は基本車に乗って走るところ。
当然知らずに迷い込んだ私は、(いつ海と松の浜を歩けるのだろう…)と思いながら、車道ギリギリをとても恐縮しながら歩いた。


一度歩き始めたら、簡単には脱出できない。
見通しのいい松とはいえ、だいぶサバイバルだった。

昔、豊臣秀吉がこの地をおさめたとき、背が高く視界を遮った松に「頭が高い!」と怒鳴ったら、ひれ伏すように低くなったという伝説があるらしい。

今の松は…しゃっきり背を伸ばしてた。
多分、威厳は時効なんだな。

ざらざら土の唐津焼

浜崎駅が最寄りの「菅の谷窯」さんで、手作り体験。
イノシシが家の前にくるくらい山中の工房で、お若い夫婦が付きっきりで教えてくれた。

手前が体験用の土。奥が普段作陶で使ってる土。
増田さんが自分で掘ってきて粘土にしたものだそう。
普段用の方がザラザラしてて、より“唐津焼っぽい”。

特別に選ばせて貰えたので、普段用の土で作らせてもらうことに。
ただし、できるかどうかわからないけど…という条件付き。
なんでも、土が伸びにくくて初心者にはかなり難しいらしい。

それから、またまた特別に「土練り」の作業をやらせてもらった。
両手を使って、パン生地をこねるように粘土を練るのだが、これが力作業だし難しい。
増田さんの手にかかると、まるでマシュマロのように柔らかそうに見えるのに。

唐津焼式の「菊練り」と、有田焼様式(奥さんが有田焼やってる)の「タニシ練り」を両方やったけど、どっちも同じ形に仕上がってしまう。
しばらく頑張ったけど、手首を痛めそうだったので先生におまかせ。これは修行が必要ですね…

いろいろ全部自分でやらせてもらって、ようやく器作りへ。
この土は焼くと小さくなりやすいそうで、1.5倍くらい大きめにそば猪口を作った。
ザラザラの触感が引っかかって、腕ごと持っていかれてしまう。

器の真ん中あたりに指を置きすぎると、縁より薄くなって、へちゃっとしてしまうんだって。
上へ指を移動させながら、細い山形にするのが理想。

見本の器を作り(ひゅるひゅるっと15秒くらいでできる、まるで魔法)縦半分に切って断面を見せてくれたから、すごく分かりやすかった。

何度も失敗しては直してもらい、途中コーヒーを飲んで休憩しながら、なんとか2つ完成。
一番左の増田さんのと比べると、ちょっともったりしてるのがわかる。
出来上がりが楽しみだなあ。

奥さんと実家が近い(中学の名前が分かるレベル)というミラクルもあり、たっぷり2時間おじゃましました。
おしゃべりしてる時間のほうが長かったかも。笑

こんなにじっくり体験できると思ってなかったから、嬉しかったな。
また会いに行きたい場所になりました。

朱漆の赤獅子、唐津くんち

夜は唐津くんち「宵曳山(よいやま)」へ。
大きな山車(曳山)が町内を練り歩きます。

果てしなく続く出店の列を抜けて、無事唐津神社にお参り。
この旅も暑いくらいの晴天続きで、本当にお世話になりました。

2時間前くらいには場所取りした方がいいかな、と思って狙った場所に移動したけど、結局これから動き始めるぞというときになって初めて埋まり始めた通行ルート。
すれ違う人に「久しぶりー!」と手を振るママさんたちをみては、やはり地元の祭りなんだなと思う。

たくさんの少年少女や青年に引かれ、曳山がやってくる。漆と金箔で仕上げられた巨大な美術工芸品の曳山は、荘厳な迫力があって、近くを通るとぽかんと口を開けてしまった。

全部で14台の曳山のうち、赤獅子はつくられてから二百周年。
曳山に乗る人たちからは、どこかしゃんとした空気と誇りと威厳を感じた。

鯛や飛竜は、人の波を泳ぐようにして大きく前後に揺れながら進んでいく。
曳山の高さはビルの2階よりも高く、勢いよくコーナーを曲がる。
きっとすごく勇気がいるけれど、それ以上にかっこいい。
乗っている青年たちは、さぞアイドルになっただろうと思った。

ようやく喋り始めたらしい子どもも、曳山を見上げながら「エンヤー!」と掛け声を真似する。
この子が綱を引くのはいつだろう。
脈々と続いてきたこの街のDNAをしっかり受け継いでいるのだと思ったら、猛烈に羨ましくなった。

唐津の街には伝統と誇りがある。
柔軟に変えていくことが称賛される風潮の裏側で、変わらない(変えない)ことの美しさと、そこにかける人たちの情熱を知ることになった。

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