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明るさと孤高-宇多田ヒカルというSingerについて


1.最初に


まずはNHKのSONGSスペシャルで、宇多田ヒカルさんが糸井重里さんと
対談した時の言葉を引用します。『真夏の通り雨』に出てくる"止まない通り雨"について、宇多田ヒカル(以下敬称略)はこう語りました。

「その瞬間死んじゃったら私としては降り止まなかった雨になるわけで。次の瞬間があるという前提が無いってことです。」

2016.9.22NHK総合『SONGSスペシャル 宇多田ヒカル』より

改めて、この言葉を思い出しています。
宇多田ヒカルという人は、希有な才能を持っているとデビュー当時(Automaticリリース時)から感じてきました。『真夏の通り雨』については、音楽評論家のレビューやnote.のユーザーの方々も優れた論考をしておられ、一ファンの私にそうした視点は荷が重く遠く及ばないため、別の視点で以下を綴ってみます。


2.明るい孤独-Goodbye Happiness

まずはこの記事を。

宇多田ヒカル(以下敬称抜き)が長期休業に入る前に発表された曲『Goodbye Happiness』。曲はアップテンポで楽しげに聞こえます。

しかしながら、曲の世界が纏うものは郷愁であり「孤独」です。歌詞を追うとそれが浮かび上がります。


3.進まない時間-真夏の通り雨。

このMVを掲げ、下記以降では歌詞の世界に触れたいと思います。

喪失の悼み(痛み)。この世界はそれで貫かれています。
正に、この稿で最初に挙げたように"次の瞬間があるという前提がない"。
思いの行き止まり、そんな世界が渺々と示されていると感じるのです。
 
この世界観については、宇多田ヒカルの母である藤圭子の死が色濃く反映しているでしょう(前述のインタビューで本人が言及しています)。

一見すると正反対に見える『Goodbye Happiness』と『真夏の通り雨』。
私は(休業前と活動再開時に発表された)二つの曲に共通する孤独を感じ、数え切れぬほどの回数、両曲を聴きました。そして、その孤高に言葉を失っていたのです。言葉を失いつつ、楽しんでもいました。相反する2曲を創り出すことのできるシンガーに魅了されながら。


4.次の時間は-BAD MODE

宇多田ヒカルの8枚目となるオリジナルアルバム「BADモード」は、2022年1月にリリースされました。 

BADモード=落ち込んだ気分 であることは言うまでもありませんが。
それは単純に暗い心理ではないようです。

こちらは英語で表記されており、正しい意味を把握し綴るには私の語学力では難しいため、Wikipediaの記述も参考にしようと思います。

上記より、一部を引用いたします。

宇多田は「身近な大切な人が調子悪いとき、
辛そうなときに自分には何ができるだろうかということを考えた」といい
(表題曲の歌詞にはその結果が反映されている)、
その過程で「自分が人に何をしてほしいか」、
そして「どうしたらそれを誰かにしてあげられるのか」
ということを考えた結果、
最終的には「周りの人と良好な関係を築くために、
どのように自立して、自分自身と良い関係を築けるか?」
という答えにたどり着いた。
本アルバムではそれが大きなテーマとなっている。

Wikipedia『BADモード』頁より抜粋

世界が広がっている。曲を聴き、逸話に触れて、私はそう感じました。

『BADモード』の歌詞は以下のサイトからご覧いただけます。

リズムは軽やかなのに歌詞(の意味)が深い。デビュー当時から宇多田ヒカルというアーティストに、そうした印象を抱いていました。長期休業後、その深さに「日本語を丁寧に歌う」印象が加わり。『BADモード』では、復帰前のヒカルに「宇多田ヒカル」という「成熟した女性」の彩りが混じり合う。孤独・孤高であった宇多田ヒカルが「世界に手を伸ばし始めた」。『BADモード』を聴いて、私は宇多田ヒカルの変わらぬ魅力と新たな境地、その双方を感じました。

5.最後に

頂点を極めるアーティスト・シンガーでありながら、アルバムリリースの間隔は長め(ひとつひとつの曲が丁重に創られており完成度が高い)、既視感を感じさせるマンネリズムが存在しない。
それが、私が宇多田ヒカルというアーティストに感じつづけていることです。宇多田ヒカルの歌詞について取り上げた記事を見つけましたので以下に貼ります。

歌は「創作物」です。創り手の思考や生きる環境が、創作物に影響を与えるのは当然ですが、創り手=創作物(歌手=歌)ではない。そのことを踏まえ(混同せずに)純粋に曲を楽しむ。そうあるべきですし、それが「歌を聴く」ことなのだと思うのです。宇多田ヒカルは「音楽の楽しみ方」をファンに与え続けることのできる、希有な才能の持ち主だ。そう感じます。

加えて、彼女は常に冷静で「自分の才能に溺れていない」点が最も凄いことだと思っています。長期休業の理由が「普通の生活をしなくては駄目になる」と(自分の欠落を自覚し)感じたことであったことも、私にとっては良い意味での驚きでした。宇多田ヒカルの「人間活動」と自称した長い時間は、私にとって楽しみな時間でもありました。彼女はどんな姿で私達の前に姿を表してくれるのだろう。そう思っていたのです。そして、今の宇多田ヒカルを見聞きできることを、ファンのひとりとして幸せに思います。

当たり前のことですが、歌は歌であり、歌詞はメロディがあって存在しえるものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。歌はメッセージテーゼではないのだ、「解釈」という論考はプロフェショナルの識者にお任せしよう。そう思いつつ、拙い感想を綴って参りました。そして、宇多田ヒカルの「ことばと音」に身を任せ、魅了されていようと思います。一ファンとして、これからも。私がヒカルを追うことができる限り。

それでは、今回はこれにて。ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。ご笑覧いただいた貴重なお時間へのささやかな御礼として『花束を君に』公式PVを。

良い曲ですよね。ドラマ「とと姉ちゃん」も大好きな朝ドラでした。この曲に関しては「純粋に楽しんで」聴いていたいと思います。余計な文言を加えたりせずに(今回、理屈っぽかったなぁ、と筆者は反省しきりです(汗)。

宇多田ヒカルの懐かしい姿も貼っておきましょうか。

宇多田ヒカル20才バースディ企画。MSNメッセンジャーを使って生配信したんですよね。ヒカルはネットに卓越しているので、当時生配信できた訳です(日本MSN全面協力の下)。あの時代は今の様な光ファイバーが存在しなかったから、色々大変だっただろうと思います。ちなみに私はリアタイしました。私はその頃すでにミドルエイジでしたが(年がまたバレるなぁ(笑)DVDに纏められたものも所有しています。

余談。宇多田ヒカルのアルバムは『COLLARS』以降、ほとんどを追尾して購入しています。初期(ヒカル10代)のものはベストアルバムで。『Automatic』『Firs tLove』など、いいですよね。では、また別の曲でお目に掛かりたく(なんだかラジオのパーソナリティみたいな台詞ですよね、これ(笑)
余談の余談、蛇足ですが。今回、#熟成下書き 企画にも参加してみました。この記事はnote開設当初に下書きしたもの。推敲を重ねた結果、長くなりました(類似記事を色々拝読、重複した内容にならぬようにしたかったのです)。お読みくださった方、長くて本当に申し訳(滝汗)
1000字以内を心がけているのに3000字を越えてしまったので(深謝)。

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