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泣いてばかりじゃいられない。

挑発的💦で恐縮です。泣いても良いと思います。そして、ひととき泣いたならば、涙は拭って前を向き前進せねばならないとも思っているのです。
他者に、そして自分に優しくするとは、一体どのような行動を指して言うのでしょうか。ただいたずらに、「大変だね。気持ちが良く分かるよ。頑張ってね」そんな言葉を掛けることなのでしょうか。

不遜な私は、そう思えないのです。
ここで、先に引いた菱川善夫の本を紐解いてみようと思います。

歌人かじんは、いまや批評者の位置から、奪回者の位置に身を転じなければいけないのだ。それによって奪われたものを奪い返さねばいけない。
(中略)
佐佐木幸綱の『夏の鏡』に、こんな一首がある。 
 
  青木あおきの実色づくころをひよどり
  うるさくけり泣けばすむとや
 
「泣けばすむとや」。まさにこの反問を出発点として、どのような奪回をこころみたらいいのか。現代の短歌は、その難問の前に立たされている、といっていいだろう。

菱川善夫『飢餓の充足―現代短歌・状況と課題』/桜楓社 
喩の時代から歌の時代へ 24頁より引用

飢餓の充足』は、私が北海道・朝日カルチャーセンター、現代短歌講座(講師:菱川善夫(担当当時、北海学園大学教授)を受講していたときのテキストでもあります。今では殆ど見られないハードカバー。本自体の重みも綴られた言葉も、昭和55年の初版から今、令和5年・2023年となったこの時もその重みは変わらず、否、益々重さを増しています。

ここで、菱川善夫という人、その人柄に少し触れておこうかと。上記を読むと「何て厳しい人だろう。怖くて近寄れないよ💦」と感じられるかと。そんなことは全くといってないのです。
この講義がはじまるとき「春永さん。『飢餓の充足』は入手したのかな?カルチャー窓口で直ぐに購入できるけど、知っているかい?」と声を掛け私を気遣ってくださいました。
私が「探し方が足らなかったのか市内の書店では見つからなかったんです。京都の古書店から新書(新品)で通販しました」と答えを返すと、「ああ、そうなの。まあ扱いに困るからね、一般書店では。扱いは殆どないんだよ。持っているならよかった。わざわざ遠方から取り寄せてくれてありがとう」とお礼を告げてくださいました。

優しくて気遣いのある男性、なおかつ言葉に一切の妥協を許さぬ文芸評論家。それが菱川善夫という人です。彼の人が旅立たれて17年になりますが、私は永遠に現在系で語ります。過去にはならないから。

さて。佐佐木幸綱さんの「~泣けばすむとや」、この反問に私は答えなければなりません。

泣けばすむはずがない。泣くひま、そんな余裕があるのなら、私は歯を食いしばって硬い笑顔を浮かべ、ひたすらに今日と明日を生きていく。無様な姿をさらしながら、それでも私だけができることを探して
詠う。歌は憂さの晴らしどころなどではない。希望を未来に託すためにこそ歌人は三十一文字を手放さず、韻律で誠の鳴き声を上げるのです。命を歌うのです。21世紀、2024を目前にして、私はわたしの歌を奪回します。

泣くならば泣き止んでこそ傍らに寄り添う人と生きていくため 
                              
春永睦月


泣いていい。一緒に泣いてくれる人は必ずいます。そして、泣き止みましょう。今日の空が雨であっても、雨は必ず晴れるのですから。例え私が歩めなくなった後であっても。


それでは、今回の不遜、記事を終わります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
今回、菱川善夫氏に(いては佐佐木幸綱氏に)捧げる短歌を詠いました。
#推し短歌  参加いたします。

note公式テンプレートをお借りして。


私の「推し短歌遍歴?」は別記事で纏める予定です。

歌作についての参考記事
「短歌」の作り方を覚えて、大人の趣味にしてみませんか?自由な発想で楽しく創作し暮らしに彩りを /LIFULL HOME'S


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