見出し画像

【考】未来に向けて今何ができるのか-日本のフェミニズムは間違っている?

佐久間裕美子さんの書く文章が好きで、以前、「ヒップな生活革命」が出たときに、新潟の北書店でのトークショーで初めて話を生で聞いて、文章だけじゃなくてお話もめっちゃくちゃおもしろくて、最近はポッドキャストでも話が聞けるのでとてもうれしい。

そんなときに、渋谷でフェミニズムをテーマにしたトークが行われるということで、聞きに行ってきた。


私も社会の中で、女性ならではの理不尽なことは多いな、と感じていたけど、特に声を上げるわけでもなく、積極的に発信するほうではなかった。
だけど、韓国の興味深い書籍がたくさん出版されたり、ネット上の署名や活動の情報を見たりしていると、日本でも活発に議論されるようになってきてるんだな、と感じていた。

トークの内容は、手探りの中進んでいるという感じで、断片的にいろんな話が出たのだけど、私の中で、一つ線につながった部分があった。

どうして、日本の女性は理不尽なことがあっても声を上げないのか、の中で、野中モモさんが、「そういう教育環境だからですよね」と言っていた。
確かに、発言をするということを幼少期から積極的に教育されては来てないし、同調圧力や目立ったらたたかれる、という空気間をもって、育ってきている実感はある。

速水健朗さんが「一億総火の玉、とか、ブラック企業とか、キャッチコピーを付けたらみんながそっちにガーっと向いていく国民性ってあるじゃないですか」と話していて、まさに、それは教育のたまものなんだな、と思った。

学生運動の時代に、自分たちの手で、社会を変革できなかったという体験があって、その後のバブルに浮かれてしまって、氷河期を迎えても、自分たちで声を上げることによって何かが変わる、という実感を持てずに、デモをやっても、署名をしても、そんな変わるもんじゃないでしょ、というあきらめムードがある。
その中である一定の人が声を上げたり、大きな社会問題になるトラブルがあっても、そこから生まれるのは、自分たちの声で社会が変わったという実感よりも、政府や権力側から提示されるキャッチコピーに飲み込まれてしまう。なんだか、「働き方改革」みたいなネーミングで、みんなやれっていうほうに転換したよねぇ。みたいな。
本当は、声を上げてきた人が勝ち取ってきたものが、そういう風に見られないように、「いつの間にか上から降りてくるもの」に変化してしまっている。
それは、発言するより空気を読む、という教育環境の中で育ってきた多数の人たちが、社会ではなく権力に扇動されている、実態そのものだと思う。

その中で、一つ希望に思ったのは、大企業が「終身雇用を継続できない」と明言するまでになった、企業体制の変革期
いい企業に入ってレールに乗れたら死ぬまで安泰、という考え方が変わってくることによって、自分で仕事を考えたり、自分で道を切り開いていかないといけないことになる。そのための教育が必要になる。

すでに話題になっている中学校などの教育では、自分で考えて行動したり、勉強したりできる環境になっている。校則やルールでみんながこうしてるからこうしなきゃいけない、ではなく、自発的に何が必要か考えることが求められる。
そういう子どもたちが大人になった時に、もっと自分たちの求めていることや理不尽なことに声を上げることができて、生き方や行政に選択ができる自発性が生まれるのかな、と思っている。

それは、フェミニズムの話というよりは、すべてのことにおいて。

ただ、下の世代の子たちに、期待をするだけではなく、今の自分たちがどういう方法で何ができるのか、考えないと。
そして、世代間の分断を生むことなく、「私たちの時代はそれくらい位のこと我慢するのが普通だったよ」という心をくじく言葉をかけないような大人になることが必要なのだ。

フェミニズム系のトークは、女性あるあるや、不満を共有する場というイメージがあったけど、歴史やなぜこうなっているのか、という視点から現状の問題を考えることがとても勉強になった。


と、思いながら、手を挙げてこのことについて伝えたいと思いながら手を上げられない自発性のなさ、、、

この記事が参加している募集

イベントレポ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?