マイノリティの中でのマイノリティ

「パンケーキって、フライパンで焼く系のケーキ全般を指していて、ホットケーキもクレープもパンケーキなんだって。」
私の周りには、父親やさっちゃん(一番初めのnote『めんどくさい。』で登場したnoteを書くことを私に勧めてくれた腐れ縁幼馴染)をはじめとした少し雑学好きな人間が割と多くいて、これは高校生の時に同級生の角煮という変な女が急に教えてくれた豆知識だ。
あっそう。というか。。。正直あんまりにもどうでもいい情報すぎて当時から今に至るまできちんと調べ直したりしなかったのだけど。話半分で聞き流していたし。

みんながいちごのショートケーキだとしたら、私はパンケーキの中でもクレープなのではないだろうか。

大丈夫か?このひと。となっている人もいるかもしれないが、就活をしていく中で、ふと、そんなふうに思ってしまったのである。
まぁ、あくまで私の個人的な意見なのだけど、普通に正規雇用で正社員として働いている人たちをいちごショートケーキだと考えた時、私はその枠に自分が入れないと思うのだ。発達障害を持っていることと、一度鬱を経験したことがあるという事実ももちろん関係ないとは言えないが、障害の有無以外に何かとてつもない壁をそこら辺にいる会社員などに抱いてしまう。あの人たちのように生きれない感というか、、、ショートケーキを全うしている自分を全く想像できないと言ってもいいかもしれない。
逆に障害者としての自分はどうだろう。よく言われるのは「そんなふうに見えない」
医師の診断的には典型的な不注意型ADHDでガッツリ発達障害なんだそうだ。(自分でもびっくりしている。)うつがひどくなった時期もあったし。しかし、もとの性格が綺麗好きであり、きっちりやりたいタチ。自分で言うのも変だが、真面目でしっかりしていてコミュニケーションも取れないわけではない(しばらく話していると分かる)遅刻も嫌いで、その上めちゃくちゃ気をつけているので第一印象では分かりにくいらしい。(気が抜けた時にわかる)
つまり「私の脳の作りと私の性格はリンクしてはいるが、別物である。」と言ったら分かりやすいだろうか。
だから、「そんなふうに見えない」のは仕方がない。誰かを分かったり、分かってもらうのはかなり難しいことなのだ。

障害者と聞いて皆さんは車椅子に乗った人のピクトグラムなどを思い浮かべるかもしれない。しかし私は目も見えていて車椅子にも乗っていない。かなり分かりづらいと思う。でもショートケーキの仲間には入れない私。しかし、みんなが思い浮かべるパンケーキとも違う。私はパンケーキの中でもクレープなのだ。
ショートケーキみたいに生きれないけど、パンケーキの人たちの中に入ってしまうと一見ショートケーキのような中途半端さ。なんか、可哀想な気がして悲劇のヒロインを気取って泣こうかなって鼻をぐすぐすしてみた。
別に涙は出ない。鼻水が少し出た。透明の鼻水なのでアレルギー性鼻炎かな。

私の目から涙が出ない理由が実はちょっと分かっている。
ショートケーキの人たちは私から見たらショートケーキに見えるが実は全員クレープかもしれないと気づいているからだ。私が人から「そんなふうに見えない。」と言われているのと、私が人を勝手に「あの人ショートケーキだ」と判断するのは同じことだ。
人には見えない苦しさをみんな抱えて生きている。障害は歩行困難や発達障害のように認知されているものもあれば、そうでないものもある。病気でなくても何かが道を阻むこと自体が障害だと思う。だから、ADHDでも困っていなければ傾向があっても障害ではないと私は思うのだ。
何にも壁にぶち当たらない人はほぼ存在しない。何がその人の障害なのかはその人の問題であって、生まれながらみんな障害を持っている。大小はさまざまだけど。
そんなふうに考えた。完璧なショートケーキは綺麗で美味しい。しかし、クレープは割と好きなものをトッピングできて幸せだ。

ショートケーキも、ショートケーキ寄りのクレープも、パンケーキもどれもどうせ美味しいではないか。

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