鰹節

「ずっと使っていたキーボード壊れた。買わなくちゃな、、、」
いや、最近お金使ってたしな、まずネットであれこれ調べて注文したり、商品吟味するのめんどくさいな、、、またにしよう。今困ってないし。来週か来月買えばええわ。

どうも、こんにちは。お久しぶりです。そんなことを繰り返し続けて気づけば恐ろしく月日が流れた玉手箱開封系作家の有坂はるなです。

やっと買ったこのキーボード、なんとメチャクチャにタイプしづらい。
テキトーに買ったし、まあ使えないわけじゃ無いから使うけれど、、自分のめんどくさがりによって痛い目を見るのはいつものことだから慣れた。

 snsにも書きましたが、先日とある地元のうまい浅煎りコーヒーを出すカフェ(週3以上通ってるかも)の店主と好きな美術、工芸作家の話になった。
一見厳しそうな?というか、威力のある男性でなんとなく怖くてあまりお話ししたこともなかったのだけど、話の流れで美術の話題となり、少しお話をさせていただいた。ご存知の方もいるかも知れないけど、私はずっと絵画を描いており、当たり前のように美大に進学したし、幼少期より描くのも観るのも好きだった。

一方で、その店主の一言目が「俺、絵画興味ないからなぁ。」だったのだ。

私はよくいるコミュ障なので、普段ならそんなこと言われたら一撃で何も言えなくなってしまうが、咄嗟に「なんなら好きなんですか?」と返してしまったのだ。

返事が返ってくるまで言葉という鈍器で殴り殺されるに違いない、、、!くらいのことを頭の中で考えていたと思う。

しかし、店主は数分後、「木工とか、工芸作品で好きな作家さんはいる。あと版画とか。絵画は強いて言うなら、、、」と私に好きな作家さんを教えてくれるではないか。しかも、私が知らないような作家さんが多くて(私が無知なだけだけど)その作品たちは美しかった。今まで興味が無いものは美しいと思えなかった私が見ても、断然美しいのだから驚いた。
店主が付け加えて「命を削って作られたものが好きだ、そういうものにお金は払いたくなる。それ以外には興味がない。」と言った。
結局違う意味で言葉という鈍器で殴り殺されたのだった。

帰りのバスでも殴られた感触が残っていて、ずっと考えていた。

美術は命を削るのが大前提。命を削って造られたものは美しい。ニッチでもメジャーでもなんでもいい。命削ったその土台の上に技術やセンスはのっかってくる。お絵描きなら好きに描いたらいいけど、お絵描きから芸術の領域まで持ってくには命を削らなきゃいかんのだ。
ご存知の通り、私は阿保で面倒くさがり、おっちょこちょいの間抜けだ。(我ながら悲しくなってくる自己紹介である)
それでも私は美術を志しているのだ。私は芸術を相手にしているのだ。怖くても、上手くいかなくても、大変でも、面倒くさくても命を削って作らないといかん。根性論みたいになってくるけど相手は芸術なので当たり前である。もちろん技術やセンスも大切だけどそもそも命の削り方が甘いから目に止まらないのだ。


 そんな大事で忘れがちなことを再認識したので鼻息荒くなってこのnoteを書いているけど、このこだわらずになんでもいいや!と購入した安いキーボードは命を削って作られていなくて打ちにく過ぎて泣けてくる。
いいものや美しいものを作ろうとすれば、どうしたって削れてくるのだ。

本日も盛大に削って生きたいと思う。ちょっとお昼寝した後で。

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