愛くるしさの設計図

姉の産んだ赤ん坊とやらを見に東京へやってきた。

家族と男の子が生まれるか女の子が生まれるかで女に賭けてまんまと負けた私の手には姉からリクエストのあった海外ブランドでぬいぐるみにしてはやたら高価なナマケモノが綺麗にラッピングされて紙袋に入った状態でぶら下がっている。

生まれたての赤ん坊は可愛くないよ。
母と父が昔言っていた。母から生まれた姉を見た時父は「土偶、、、土偶じゃん」と思ったそうだ。
初めての我が子と対面して「お猿さん」とかではなく「土偶」を連想してしまう父。残念な男である。
しかし、いざ「産まれました〜」と送られてきた写真を見ると確かにお猿さんとかではなくて「おっさん?」と思ってしまい、お世辞にも瞬時に可愛い!とか送れない残念な私である。

そんなこんなで一ヶ月が過ぎ、里帰りせず2人とも育児休暇をとっている姉夫婦のところへ私と土偶を産み落とし三人の子供をほぼワンオペで育て切った母(高血圧予備軍)が行くことになったのである。

アパートに着くと泣き声とかは聞こえず、どうやら寝ているようであった。
静かに進んで赤ん坊のいるという部屋を覗かせてもらった。
なかなかに緊張してきた。起こさないように部屋を覗いてみた。
赤ん坊がいない。
姉はこの部屋に寝てると言っていたはず。
姉に「どこ?」と聞くと敷布団の上に寝てるでしょ。と布団を指差している。
、、、え?、、あれ!?、ちっっっさ!

あまりの小ささにいることが分からないほど小さかった。もはやお豆である。よくよく見ればいるという感じでそこにいた赤ん坊は想像よりもずっと小さかった。
それでもこの子は他の子に比べればでかいほうだそうだ。

赤ちゃんの可愛さを体感したことがなった私は赤ちゃんは野良猫くらいの可愛さだろうなと予測していた。写真で見た時も姉には悪いが可愛いには可愛いけど普通に可愛いとしか思わなかった。だが、目の前に現れた赤ん坊は破壊的な可愛さだった。泣いたり寝たりを繰り返しているだけのこいつは何もできない代わりにめちゃくちゃ可愛い。顔の造形とかそんなことの話ではない。背中からお尻にかけるラインとかむきょっと動く手足とか雰囲気とか全てが愛くるしく世話せずにいられなくなるように設計されている。
たったひと目見ただけのただの叔母さんにここまで思わせるのだからすごい。

当たり前だけど産まれた時はみんな赤ん坊だったのだ。この威力を産まれた時すでに持っていた赤ん坊たちがそれぞれの経験を経て愛されたり愛されなかったり愛したりもして大人になったんだから今生きてる人というのはみんなすごいのだ。
今生きてる人みんな誰かしらにこんなにうんこの始末とかしてもらってたのか。めんどくさくなってトイレ我慢し過ぎて膀胱炎になってしまう私もトイレ我慢できるようになったんだもんな。泣けてきた。


可愛い可愛い甥よ、おばさんは最近涙腺が脆い。

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