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コロナ渦中の学校についてのあれこれ

コロナの渦中、色んな人がいろんなことを言っているので、頭が混乱しているので、その整理のために思いついたことを羅列しよう。

(あくまでも外野の妄想なので、ご了承いただければm(_ _)m)

1.オンライン授業ができるできないは、結局はリーダーシップと組織力。

この混乱の中、企業だって、政府だって、臨時対応が求められていて、どこも同じ状態という認識はあります。
この状態の中で、企業だってやっぱりテレワーク導入できるところとできないところがあるように、学校もやはりオンライン学習などできるところとできないところがある。(企業は職業柄があるので一律にはできないと理解していますが、学校だってリアルじゃないと成り立たないこともたくさんあるけど、その中でできることを探しているという意味では同じ。)
結局それって、やっぱりリーダーシップと組織力の問題。

- 2月にダイヤモンド・プリンセス号に感染が蔓延し始めた頃、どこまで現状の自体を予測できていたか
- 起こり得るissueを分解して、打ち手を想像できていたか
- 打ち手を確定した際に、組織全体で行動できるよう、ガバナンスを整えられたか
- で、結局普段から不測の事態に対応できるよう、↑の事ができるような運営がされていたか(情報の集約方法、指揮系統の明確化など)

組織が大きければ大きいほど、動きが鈍くなるのも企業と同じ。公立学校は方針を決めれば影響値は大きいけど、動かすまでの数が大きいだけに鈍くなるのは否めない。
でも、そこで動いている公立はすごい。

2. どの方法が良いかは目的次第。
 
そもそも、この混乱の中、「何でもいいから学習を進めよう、テレビでもYou Tubeでもいいからやろう!派」と、「オンライン授業の中でもリアルタイムオンライはだめなのである!などのオンラインでも正解は1つ派」、「オンラインで縛るのではなく、今こそオフライン派」など。いろんな主義主張の人たちがいて、何なんだ、と私も思っていたのですが、それぞれの方法に利点はあって、それぞれの目的に合わせて、方法を取ればいいだけの話であって、どれが一つ正解、ということでもない。

『リアルタイムvs オンデマンド』『 既存の動画 vs 先生制作動画 』についても、誰か児童・生徒の声で正確に測った人はいるんだろうか?教師側・大人側が「こうあるべき」と話しているのしか私は聞かない。

学校の生徒の状態によってもそれは様々であり、いずれにしても同一には語れない。やるべきことは自分の学校での「最適解」を見つけることなんだと思う。(ただ、それには顧客の声に耳を傾けるという姿勢が必要なのは確か。)(また、生徒によって選べるのも最高。管理は大変だけど。)

個人的には、「なんとしてでも正解は◯◯なのである!」という人が一番、正解主義体質の20世紀的人たちなんだろうな、と見ていて思う。

それと、企業だとしたら、自分たちの勝利パターンを見つけて、競合他社が違ったことをやっていたら、SNS上で「それは間違っているよ、君!」と大声で言ったりしないんですけど、本当にそういう意味では教育に関しては、みんな人がいいというか、人を自分色で染めたくなっちゃう人が多いのかなあ。なんて思って、ふむふむと外野鑑賞。


3. 教育をアジャイル化する。でもそれにはファクトベースの振り返りを。

今回こそ、実証実験がキーになるような事態はないかもしれない。
小さくフィジビリして、振り返って粗を見つけて、ある程度の精度になったところで大きくリリース。そしてやりながら振り返って、また修正をかけていく。それこそがアジャイル化。そうでもしないと今は乗り切れない。

でも、こと教育はウォータフォール型で動きすぎるところがあり、教育現場に実験は許されない。(ステークホルダー:保護者、自治体、その他世間も許してくれない)
更には日本国憲法で教育の平等化を教職採用のときに痛いほど埋め込まれている先生たちにとっては、一部の人達だけで試しでやってみる、なんて平等性にかけるから絶対NGと、昔からベテラン教師たちから叩き込まれている。
今はその文化との戦いなのだと思います。ハードは急に変えられても、ソフトはそんなに簡単に変えることはできませんよね。

そしてそこに果敢にチャレンジしている学校はいずれにしてもすごい。

養老孟司さんが昔
「ボクらの時代は教科書を墨で塗られた時代だから、いきなり今まで正しかったことを否定されるという経験があり、その危うさというのを肌で感じている。だから、いきなり変わるということが起こり得ない科学、しかも解剖学というのを僕は選択した。」
と、おっしゃっていて、教育というのは人の信条や思想だということを痛感したことがありましたが、今回は先生たちの教科書を墨で塗らなければならないようなことが起こっているのだと思います。

そんな中、なにが正しいのか、どう次に進めばいいのか、すがるものは何かといえば、ファクトであってほしい。

システム開発をするときに、必ずやることは、後々その機能がどう使われていたかを測るために、計測できるような仕組みを事前に埋め込んでおくということ。
もし、実証実験型の教育をやっていくのであれば、ある程度後々振り振り返れるようなファクトを集める設計を事前にしておくことが大事だと思います。(アンケートで定量としているところもありますが、バイアスがかかったアンケートかどうか、注意が必要。これは定量論文を書いている人は分かるはず。)

そうでないと2のような思想のぶつけ合いから抜け出すことができないし、じゃあ結局どいう方向性を取ろうかという、意思決定の話合いのときに何を根拠に判断すればいいのかわからない。

ハーバード・ビジネス・レビューが今月号でまさに「A/Bテスト」の話を取り上げていましたが、システム開発の思想に学ぶところは経営にも学校にも大いにあるなと思っています。

以上、学校現場にいない、外野の妄想でした。

(あくまでも外野の妄想なので、ご了承いただければm(_ _)m。2回目)



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