見出し画像

人間には、居場所が必要だ。

どうしようもなくしんどい時、僕の一番の救いになってくれたのは、医療でも、行政サービスでもなく、「コミュニティ」だった。

これは、私の想像を遥かに超えるであろう体験をした後の、友人の言葉。
彼は医師で、医療に携わりつつ、医療としての「処方」だけでは叶えられないケアを、「社会的処方」を通して実現しようとしている。
その活動には本当にたくさんの共感者や支援者、伴走者がいて、そのフォロワーの多さから、社会的なニーズもうかがえる。

かく言う私も、その1人。
この4月から、一緒に仕事をさせてもらっている。

(なお、仕事の話もしますが、今から書くことは完全に私の主観です。ご承知おきを。)

兵庫県豊岡市の「だいかい文庫」が活動拠点だよ。

人間は、居場所が欲しい

私が今、活動拠点としてる「だいかい文庫」。
ここには本当に、さまざまな人がくる。

悩みを持った人がスタッフに相談にきたり、誰かと話したい人がふらりと顔を出しにきたり、なんとなく立ち寄って本を読んで帰る人がいたり。
老若男女が、用事がなくても来ていい、居ていい場所。
そこには、目に見えない特別な価値があると思う。

ここにいて私が日々感じることは、「みんな居場所を求めている」ということ。

否定されない、拒絶されない、かと言ってお客様としてサービスを受けるわけでもない、「居場所」。
家庭や職場のように役割や肩書きもなく、ただ「ここにいてもいいんだな」と思える場所。

そういうところって、なかなかないと思う。

生きていると

どうにもならない心身の不調に苦しむ人もいる。 人の体には、老化現象があるし、不可逆的な症状にさいなまれる人もいる。 そして医療にも限界がある。 自分や家族の心や身体の変化をどうしたら受け入れていくことができるのだろう。

「こんなはずじゃなかった」
「なんで自分だけがこんな目にあうのだろうか」
「寂しい」
「苦しい」

それでもどうしようもなく、変わらない現実。
そんな日々に何が癒しを与えてくれるのだろうか。

答えは一つじゃないけど、私はその解の一つに「コミュニティ」や「居場所」が挙げられると思う。

明日を生きる気力が湧かなくて後ろを向いてしまう時も、受け入れてくれる場所や人がいれば。
勇気が出きらない時、背中に手を添えてくれる人がいて一歩前に踏み出すことができれば。

そんなコミュニティがあれば、それは一筋の光になって、暗い気持ちの中でも自分が迷子にならずに済むんじゃないかと思う。

しんどい時、医療や行政サービスが助けてくれたらいい。
でも、それが叶わないとき、誰もが希望の光を断たれないような社会になるといいな。

そんなことを考えつつ、今日も、元気に働いてます。
みんなも、元気で過ごすんだよ。
つらかったら休むんだよ。

ではでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?