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【きれいなものは、たしかにあるのだ】

やさしい気持ちで生きていたいのに、全然やさしくなれない。だからせめて、読んだ人がやさしい気持ちになれる文章を書いてみようと思う。

どういうものを読んでやさしい気持ちになるかは、人それぞれ違う。だからこれは、私の主観のお話。

頭のなかがいっぱいで、色んなものがいっぱいで、ぱんぱんに膨らんだ風船みたいに今にも破裂しそうだった。家のなかに籠っていると余計に苦しくなるので、思いきって外に出てみた。

ぬるい風が強く吹いている。晴れたり、曇ったり、お空も何だか忙しない。そういう時期なんだろう。梅雨にはまだ早いけれど、気圧の変化が激しい日々が続いている。

川沿いの道をてくてくと歩き、きれいな花を見つけては立ちどまりスマホをかざす。シャッター音が響くと同時に、そよそよと花びらが揺れる。恥ずかしがっているようなその仕草に、思わず頬が緩んだ。

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勢いよく雲が流れている。雲間から差し込む光を「天使の梯子」というのだと、そう教えてくれたのは、だいすきな作家さんのとある小説だった。天使の梯子が無数に降りている。そのうちの一つを、いつかは私も登るのだろうか。それとも、登ることを許されずにぷつりと落とされるのだろうか。『蜘蛛の糸』に出てくる、主人公みたいに。


息が軽く上がってきたのを合図に、車まで引き返そうと踵を返した。その瞬間、目に入ってきた光景に思わず息をのんだ。

白鳥の親子が、そこに居た。

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ふわふわの産毛をよちよちと揺らし、両親のそばを行ったりきたりしている。どちらが父親でどちらが母親なのか、さっぱりわからない。でもそんなことはどうでもよくて、その光景は、ただただ、やさしかった。

雛たちを振り返りながら、ゆっくりと進む。その首の傾げかた一つに、「あいしている」が滲み出ていた。

世界には様々な生き物がいて、そのどれもが生きるだけでもままならない。けれど、こんなふうに揺るぎない愛もたしかにあるのだ。きれいなものは、たしかにあるのだ。

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心がすさんでいると、日頃見えているはずのものが見えなくなる。足元にあるしあわせや、すぐ隣にある温もり。道端で揺れる花の色、水鳥の羽音、産まれたての雛の産毛、微かに香る潮風。

己のなかに見たくないものが溢れているときくらい、見たいものだけに目を凝らしていい。耳を澄ましていい。そうやって呼吸を取り戻したら、きっとまた歩き出せる。


見せないようにしているだけで、身の内に真っ黒いものを抱えている。だからこうしてきれいなものを見ると、喜びと同時にちょっとだけ苦しくなってしまう。

”本当にやさしい”ことと、”やさしく在ろうとする”ことは、似ているようで全然違う。私はまだまだ、前者にはなれない。だからこそ、せめて後者の姿勢を忘れずにいたい。そうして歩んでいくなかで、いつかなれたらいい。
本当の、”やさしい”ものに。首を曲げて我が子を振り返っていた、あの白鳥のように。


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