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閉じ込める

深夜に暴れ回るカメムシの羽音は存外うるさい。温かい室内が恋しくて入ってきたのだろう。毒虫ではないと知ってはいるが、夜ごと暴れ狂う彼らと共に安眠するのは難しい。

室内に臭いが残るのを防ぐため、捕獲時には必ずガムテープを用いる。ガムテープに捕らえられたカメムシは、六本の足を必死にジタバタさせてもがく。その様を見下ろしながら、躊躇なくガムテープを二つ折りにして密閉する自分が、時折ひどく残酷な生き物に思える。動きを封じられ、閉じ込められ、酸素が尽きれば死に至る。いっそ一思いに叩き潰されたほうが、どれだけ楽であろうか。

虫の声は、私には判読できない。当然、意思疎通も叶わない。ただ、もしも自分なら、じわじわと酸素が薄くなる空間で、粘着質な紙に捕らえられて身動きさえもできず、秒ごとに死に近付いていく責め苦を味わうぐらいなら、一瞬で何もかもを終わらせてほしい。自らの身を守るための臭液が、カメムシの末路を残酷なものにしている。その矛盾を憐れむ私は、きっと傲慢なのだろう。

数日前、感染症に罹患した。咳の影響で息苦しく、酸素が薄い。吸おうとすればするほど、呼吸が浅くなる。極力吐くことに意識を向け、ドンドンと胸を叩く動悸には気付かぬふりをする。そんな夜を過ごしているものだから、“窒息”という末路を辿るカメムシの最期がやけに気にかかってしまった。

祖父母の家は山奥で、カメムシは常に室内を闊歩していた。幼少の私に、カメムシをガムテープで捕獲する術を教えたのは祖母であった。

「こうすれば臭いが残らねぇがら」

祖母の言う通り、ガムテープに包めば臭いは残らない。同時に、生きようともがいた痕跡、抵抗した証もまた、残らない。血まみれの人間をブルーシートで包んだら「何も見えなくなる」みたいに、体液も臭液も茶色の粘着テープで包んだら「なかったこと」になる。「ごめんね」と呟いて、ガムテープをゴミ箱に放り込んだ。私が捨てたのはガムテープではなく、その中に閉じ込められた一つの命なのだと、やけに鮮明にそのことを自覚した。

鎮痛剤が切れてきた。咽頭と内耳の奥が軋むように痛い。熱のある夜は、いつもよりセンチメンタルな気分になる。今夜ここでこんな文章を書いた私は、明日の夜にカメムシの羽音を聞いたなら、おそらく何の躊躇いもなく、命をガムテープに閉じ込める。そんな程度なのだ、私の今宵の感傷など。踏みつける側は、いつだって己のためだけに悔い、己のためだけに前を向く。

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