見出し画像

【アリ、時々キリギリス】

私の母は、美容院に行かない人だった。一本に縛った髪の毛を、ハサミで真横に切り落とす。私も何度か、その役目を任された。

ジョキン。

潔い音とともに、風呂場の床に母の長い髪の毛が散らばる。それらをかき集める最中、よく爪の間に髪の毛が刺さった。痛みよりもやるせなさを感じた理由が、当時はわからなかった。でも、今ならわかる。やるせなさを感じていたのは母で、私はそれを無意識化で拾い上げていただけだった。

母は言った。

「美容院代なんてもったいない。髪の毛を切るだけなのに何千円も払うなんて、ただの無駄使いよ」

お父さんが飲む酒代は、無駄使いじゃないの?

喉元まで出かかった言葉を、何度となく飲み込んだ。表に出す意味のない言葉もある。言ったところで誰もしあわせにならない言葉は、飲み込むに限る。あとで腹を壊すとわかっていても、外側の痣が増えるよりはマシな気がした。内側の破壊のほうが「傷つけられた」意識を持たずに済む。

「贅沢」という言葉が、常に自分のなかにあった。自分のためだけにお金を使う。そのことに対する罪悪感を拭うのは、想像以上に難しかった。少しずつ、練習をした。食べたいものを食べて、飲みたいものを飲む。まずは、そこからはじめた。最初はうまくできなくて、外食のあとは数日、納豆や卵以外を口にできなかった。
贅沢をしたぶん、我慢しなければ。お金を使ったぶん、節制しなければ。その感覚はおそらく誰しもが持っているもので、でも私は、それが少し極端だった。レシートに記載されている金額を目にするたび、母の声が蘇った。

「贅沢ばかりしていたら、キリギリスみたいに食べるものがなくなって死んじゃうのよ」

歌って遊んでいたキリギリス。働いて食糧を溜め込んでいたアリ。冬がきて、キリギリスは飢えて死んでしまう。
あの御伽噺が、私は嫌いだった。どうしてアリはキリギリスに食料をわけてあげなかったのか。どうして誰もキリギリスに冬を超える厳しさを教えてあげなかったのか。どうして目の前で倒れているものを見てみぬふりできるのか。どうして歌って踊ることと、働くことが両立し得ないのか。どうして、どちらかを取ったらどちらかを諦めることが前提なのか。
いろんなものが、納得できなかった。

父が飲んでそこら中にまき散らす吐瀉物と怒声にかける数万円を、母に渡してほしかった。その金の半分でもいいから、母に無理矢理にでも握らせて「美容院に行っておいで」と声をかけてほしかった。私たちのお下がりの服を着ている母に、新しいニットやTシャツを買ってあげてほしかった。母は、ずっと働いていた。365日、休みなく働いていた。そして、歌うことも踊ることも諦めていた。働き者の母は、キリギリスを嫌っていた。

先日、とある道の駅に立ち寄った。そこで売られていたマンリョウの枝に、強く惹かれた。真っ赤な実と、薄い黄色の実。濃い緑の葉が、ハッとするほど美しい果実の色を引き立てている。冬ならではのコントラストは、私にとって懐かしい風景のひとつだ。祖父母の家の庭には、立派なマンリョウの木がある。毎年たわわに実る果実を、野鳥が目ざとく狙ってくる。ヒヨドリの鳴き声を聞くたび、「またきたか」と顔をしかめる祖父。鉄瓶から湯気が立ち昇る茶の間。炬燵の上には必ず蜜柑と煎餅があり、外気は寒さでピンと張りつめ、朝には必ず霜柱が立っていた。

連れて帰りたい。

単純にそう思い、枝をひと抱え持ってレジに向かった。小さな実が、ゆらゆらと揺れる。それを見ているだけで、ふわりと心が躍った。自宅に戻り、花瓶に生け、仕事中も目に止まりやすい場所に飾った。

12月は、幸福と痛みが交互にやってくる。理由は色々だ。12月は、父が生まれた日があって、私が生まれた日がある。それだけでも、心を揺らすには十分だった。だからこそ、できるだけ自分を甘やかそうと決めていた。
これまで許されてこなかった“自分へのご褒美”を、惜しみなく与えた。ご褒美のあとに極端な節制をしなくとも、今の私は生きていける。食べ物を買うことさえままならなかった時代を経て、花や食器にお金を使える自分になれた。これは努力だけではなく、正直、運もある。でも「がんばった」と、そう自分で言いきっても恥ずかしくないくらいには、がんばった。

働き者かそうじゃないかと問われたら、私はおそらく働き者の部類に入ると思う。でも、ときには歌いたいし、軽やかに踊りたい。ちょっとした贅沢を楽しんだり、花を愛でる自由もほしい。

結婚前、私も母と同じように、髪を風呂場で切っていた。ジョキン、という音とともに床に散らばる髪の毛を、ひっそりとかき集めていた。でも私は、あの当時から本当は、美容院に行きたかった。「贅沢だ」と表面上は言い張っていたけれど、本当は、美容院に行きたかった。みんなみたいにお化粧をしたり、ネイルをしたり、おしゃれを楽しんでみたかった。

がんばった自分にご褒美をあげる。それが許される今に、感謝せずにはいられない。働いて、時々踊る。踊り疲れたら少し眠って、朝起きたらまた働く。アリとキリギリスを足して2で割ったような生活を、私は望んでいた。昔からずっと、望んでいた。

母は今でも、風呂場で髪の毛を切っているのだろうか。あの寒い風呂場で、服を汚さないためにゴミ袋の先を切って頭からかぶって、自分で自分の髪の毛を切り落としているのだろうか。

「本当は、美容院に行きたかった」

いつかその言葉を、母が父に言える日がくるといい。母が本当はどう思っていたのか、どれほどの我慢を強いられてきたのか、父はきちんと知るべきだ。例え届かなかったとしても、母は自分の思いをきちんと口に出すべきだ。誰しも、色んなものを諦めながら生きている。でも、私の父と母は、諦めるべきではないものを、あまりにも簡単に諦めてしまっていた。

私は、諦めない。働くことも、歌うことも、踊ることも、生きることも。全部をちゃんとほしがって、自分の背丈に見合った生き方をする。時々背伸びはするけれど、それは自分の成長のためだ。誰かに見せびらかしたり、誇張した自分を作り上げるためじゃない。

今週、今年最後の美容院に行く。嵐のようだった2021年の幕引きとして、自分を整えるために時間とお金を使う。今の自分が恵まれていることは、痛いほど自覚している。でも、もうそこに後ろめたさを感じたくはない。ちゃんと、堂々と楽しみたい。堂々としあわせでいたい。

どんな過去があっても、しあわせになっていい。しあわせを諦めなくていい。しあわせになりたいと思っていい。

アリ、時々キリギリス。その生き方が、今の私だ。

画像1


この記事が受賞したコンテスト

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。