見出し画像

【小説】相手のことを知ると言うことvol.8

 夜の冷たい風が、酔った中里由麻の頬を冷ました。鞄から取り出したスマホから元彼の林翔太の電話番号をゆっくりとタッチした。呼び出し音が5回鳴って、男声が聞こえた。
「はい。林です」
「あのー、私。由麻です」
「由麻。わー。電話、ありがとう。久しぶりに由麻の声が聞けた。なんか落ち着く」
「うん」そう由麻は頷いて、あとは言葉が出て来なかった。電車の案内のアナウンスが流れた。
「今、何処?なんか少し騒がしいね」
「駅のホーム。もうすぐ電車に乗るところ」
「そうなんだ」
「こんな時間だけど、何処か出かけてたの?」
「うん、臨床検査技師の人と。その人電車が好きなんだって。一人でいつも休日には電車に乗って遠出して写真を撮りに行くの。撮り鉄と乗り鉄があるらしいけど彼は、両方だって」
「そうなんだ、その人は男の人?一緒に電車を撮りに行くんだ」
「男性だけど、違うよ、今日初めて出かけてご飯を食べに行ったんだよ」
「そっか。由麻、実はね、俺、」と、翔太の声が、二番ホームを通過する特急に強い風と共に消えた。
「えっ?何?聞こえなかった」
「ううん、なんでもない」
「翔太、この前、電話くれたよね。会わないかって」
「うん、言ったね」
「会ってもいいよ」
「本当に?」
「うん」

 そうしているうちに、由麻の待つホームに電車が来た。日時を伝えて電話を切った。
 川崎先生の「会えばいいじゃん」の言葉が、また甦った。
 自分を裏切った元彼、友達に取られた腹立たしさ。何故か今はそんな気持ちはなかった。

 次の日、神崎先生に言われて文献をコピーしに図書室へ向かった。図書室の扉が片方だけ空いている。何かが聞こえた。
人の荒い息をする、そんな感じの。図書室の扉の中へ入って、書籍が天井ちかく並ぶ本棚は、等間隔に奥へと並んでいる。ゆっくりと由麻が、その聞こえる方へと足を進めた。すると、
「えっ、何?」

#小説 #連載 #連載小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?