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映えと刺さるの反対側においでよ

きっと相変わらず誰にも分からないなって思ってしまう。それは諦めから出発するようなゴールなんだけれど、その途中で僕も私もそう思うっていう人が現れてくれたのが僕のこの10年くらいの道筋を言い当てるのに相応しい言葉なのかもしれないなって思った。

昨夜のライブは、みんなは何を求めているんだろうって思っていた。僕はもうとっくに自分がないのかもしれないとも思った。でも圧倒的に人のために音楽をしていたい。だから、自分の人生を通して喜びも苦しみもすべて知り尽くしていたい。

少し前に全然音楽に感動しなくなっていた時期があって、ふと思い出したBertrand Chamayouというピアノ奏者の演奏するモーリス・ラヴェルの曲を聴いていた。そこにはポップミュージックでは決して聴くことができないような生身の音楽が収められているようで心底街のざわめきや木々のゆらぎに近いような鼓動めいたものがあって、改めて人間らしさに寄り添うような音楽の心地よさの中にいた。

そういうのはすべてタイミングで、そういうのが自分の身体に合うタイミングと、圧倒的な3分間のキャッチーソングが聴きたくなるときがある。たまたま今は前者の中にいるだけなんだけれど。

そんな心持ちの中で歌う自分の歌は、輪郭がはっきりとあって、楽しかった。いつも苦しみの側に立っていたい、というか、勝手にそっちにいきたくなってしまう、身を滅ぼさない程度に自分を制しながら。

周りのみんなは随分疲弊しているなって最近よく思う。そう思うくらいには僕も疲弊しているように見えるのかもしれないけれど、全然そんなことなくて、むしろすごく元気。

自分に正直にいると、自然と僕はすごく普通で、ただそこにいるだけになれるような気がした。なんだかそれがとても心地よい。

一緒にいるんだけれどほどよくほかっておいてくれる人は落ち着く。そんなに焦らなくても、もう映えとか刺さるとかはあんまり幸せとは関係がないから、みんなさっさと塩おにぎりくらいを食べてうめぇ〜って心でガッツポーズできる世界にしていこうよって思ったりもする。

でもそんなことはほとんどの人には通用しないだろうから、さっさと分かるだろう人と一緒に喧騒から一抜けしてみよって思ったりしてる。

それは頑張るとか頑張らないとかじゃなくて、当たり前に戻るだけ。早く火おこしがしたい。ぴょんぴょん跳ね回って、美味しい空気を吸っていたい。メタバースもSNSもどっちでもいいから、みんなで楽器を鳴らして終わりにしか向かわない人生に祝杯を上げ続けたい。

子どもの眼を見るのが好きだ。あれが本当の人間の輝きだって思う。おばあちゃんの手を握るのが好きだ。それは本当に人間らしく生きた最期の感触だ。

やっぱり人に紛れるのは安心する。ずっと人はそうやって生きてきたんだからだと思う。昨日も会いたい人に会えて嬉しかった。自分のステージがその人たちの人生に触れたのが嬉しかった。そうすると僕もみんなも、そこに生きている感触が湧いてくるから。

もう年末だねえ。年末は一年で1番好きな季節。みんなでなんとなくおつかれさまって言わなくても言い合える感じがするから。

ひと足先に僕は今年を終えました。明日からは2023年を始めるための醸成を始めようっと。

今も僕の近くにいてくれてありがとうございます。2022年は楽しかったです。最新世界を歌って会えた人たちがその音楽の力のすべてです。

目指すものがある今は楽しいね。これからも今を生きるだけだよ。最後まで読んでくれてありがとう。

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