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「多様」なのが当たり前の子どもたち

2学期の終わり頃から
ほぼ学校へ行かなくなり

12月は
〇時間目だけ、給食だけ、と
母子登校をしていた娘だけど


冬休みのおかげで
教室に入ることへの恐怖心も薄らぎ

「家は家でちょっと退屈」という理由で、
3学期は始業式から登校している。


2日目は5時間目で早退したものの、
朝から友達と登校できているのは
母として大きな変化だと思う。


その日は学活で係決めをしたらしく
その時の話が少し気になったので
ここに残しておきたい。

係決めは、
すでに名前のある係に対して
「誰がやるのか」を決める以前に

「どんな係が必要か」を
みんなで出し合って決めるそう。

それから、
それぞれやりたい人を募る形式。


先生が決めたことをやるだけの
受け身でない感じが、すごくいい。


娘はその前日から
ある係を提案したいと言っていて、
その係に決まったと報告をくれた。

昨年も、学年全体を巻き込んで
楽しませてくれたその係。


私も、
やること自体には大賛成で、
決まったことも嬉しい。


なんだけど、
よく話を聞いていると

・5人ぐらい希望者がいた
・他の人気のない係と合体した
(1つの係の中に複数の役割がある)
と言う。


だけど、娘は
「一人でやりたい」と主張し
結局それが通ったのだとか。


それで、いいのだろうか。

楽しいはずの係だから
言い出しっぺは娘だけど
やりたい人が他にもいた。

それを「一人でやりたい」理由は
テレビで観たのと同じように
やりたいからだとか。

クラスメイトにとっては
「知らんがな」って話。


先生は、
「話し合いの段階で
 自分の希望を言ってくれたので
 すんなり決めることができた」と

自分の気持ちを言えたこと、

特に、決まった後に
泣いて訴えるんじゃなく、
話し合いを投げ出すでもなく
話し合えたことを褒めてくれた。


のだけれど。

みんなの優しさで
成り立っているような気が
しなくもないのは、

私の思考の
アップデートの問題か…


昭和生まれの感覚だと

「一人でやるなんてずるい」
「私もやりたいのに!」
「ワガママ」

などと言われるんじゃないかと
ヒヤヒヤしてしまう。


大人は今になって
「多様性を尊重しよう」
とか言っているけど

今どきの子どもたちって
すでに「多様」なのが当たり前で

「一人でやりたいんだって。
 じゃぁどうする?」と

誰かを責めるでもなく
建設的に話が進む……気がする。


そんな気がするのだけど。
だけど。

それって低学年の間だけかな~
と思うと、やっぱり

「他にもやりたいって言った子
 嫌がってなかった?」
「ほら、楽しいやん、その係。
 みんなやりたかったかもね…」

などと言ってしまうのだ。


娘は、相手の気持ちも聞いて
対応できる子だとは思うから
しばらく様子見だけど。


手が離れても
目も耳も心も離せない。
離しちゃいけないと改めて思う。

こんなことを日々考え
深い話をするのが好き。
ラボ(研究所)でも作りたいくらい。

子育てで
誰でも必ずうまくいく方法
なんてものは無いけれど

「私はこう考えて
こんなことを実践してみた」などは
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