見出し画像

【劇評212】昭和のアトリエで、私自身の過去が亡霊のようによみがえってきた。

 文学座のアトリエは、一九五○年の竣工である。チューダー様式のこと建物には、昭和の匂いがしみついている。たとえば、入口右手に座員の下駄箱があり、名前が張られて居る。よく観察すると、すでに退座した役者の名前も見つかる。おっとりした雰囲気が、文学座の持ち味なのだろう。

 雷雨の夜、マキノノゾミ作、西川信廣演出の『昭和虞美人草』を観た。

 夏目漱石の高名な小説を原作とし、時代を昭和の後期に移している。ロックが若い世代の支持を集め、一九七三年、中止になったローリングストーンズの来日公演が劇中にある。四人の登場人物たちは、新しい音楽雑誌エピタフを立ち上げたが、それぞれの事情で別の道を歩き始める。

 ひとりは、舞台となる重厚な書斎の持ち主、政治家の甲野大吾(早坂直家)の長男欣吾(斉藤祐一)、もうひとりは彼の盟友の宗近(上川路啓志)は、もうふたりが雑誌から手を引く申し出を受ける。司法試験の勉強に専念する小野(植田真介)、商社に入社が決まった浅井(細貝光二)は、取り次ぎの扱いが決まり、全国展開する雑誌から離れていく。

 四人の青年の成長譚として書かれた戯曲だが、欣吾の妹藤尾(鹿野真央)、小野が京都時代にお世話になった恩人の娘小夜子(伊藤安那)の思いが、彼らの人生を揺り動かす。

 この劇には、いくつかの読み方がある。

 ひとつは、おそらくは現在、六〇代後半となって、多く存命している世代が、二十代をどう過ごしたかを活写する風俗劇としての側面がある。熱い議論が日常的で、長髪やヒッピー文化の影響を受けたあの頃の話題や音楽が頻繁に引用される。私自身は、少し下の世代だが、より若い世代の俳優が演じるとこうなってしまうのか、戯画化され、喜劇的に扱われることに、正直言って違和感を持った。

 もうひとつの読み方がある。

ここから先は

384字

¥ 100

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。