「大人になる」が枷になる

東証一部上場の企業で働く、28歳の女性をインタビューした。彼女は2015年に転職して以来、めきめきと成果をあげて、社内でも注目される的になっているらしい。ということで、たくさんいる社員のなかから推薦されて、お話を聞くに至ったわけです。

事前情報から勝手に「バリキャリモデルで、めちゃくちゃカツカツしてそう」とイメージして、ゆるふわなインタビューをしがちな自分は勝手に恐縮していたのだけど、会ってみると快活に笑って、底抜けに自信屋で、「目立ちたがり」な自分を隠さない、完全に「陽」のキャラクターな女性だった。お話も和やかに、たのしく進む。

でも彼女自身、関西の大学を出て、超大手企業のブランドに惹かれる形で新卒入社して、希望部署とはまったく違うところに配属され、しかも福岡支社に送り込まれるという3年間を過ごしていた。初出社で「辞めよう」と心に決めていたというほど、仕事も環境も馴染めなかったそうだ。

その後、親の勧めもあって3年間は勤務したものの、やはり退職。一念発起して(そして憧れもあって)上京し、いまの会社に転職。そこで今の仕事に出会い、活躍している。ぼくも社会人で最初の3年間は、いまの仕事とはほぼ関係のないサラリーマン生活があるので、「このままでいいのだろうか」と葛藤するときや、「自分らしさ」とのせめぎあいに苦しむことなど、共感する部分も多かった。

数日前に本で読んだ「自信には根拠があってはいけない」という話を地で行くような彼女の姿は、その眩しさに気持ちが高揚してくるようだった。話しているとなぜか引き込まれて、つい「この人と仕事したらどうなるんだろう」と思わせる。彼女はネット広告の運用を手がけているのだけど、ぼくがもし出稿主だったら、ちょっと任せてみたくなる。彼女の実績にも納得がいった。

もし、彼女がそのまま転職していなかったら。もし、彼女がそこで上京していなかったら。いろんな「もし」が考えられるけど、彼女の場合はその生来の「自信家で目立ちたがり」な自分を輝かせられる場所であれば、きっと何かしらの成績を出したんだろう。ともすれば従来の社会では不必要だったその要素が、変化が早く、上下関係の少ない世界においては強い武器になっている。

結局、ぼくらは「大人になる」というフレーズに自分を犠牲にしたり、「社会人になる」というフォーマットに合わせすぎてしまったりして、それが枷になってしまうことがあるのかもしれない。「あらねばならない」に殺されてはいけない。なくしちゃいけないことと、賢く取り回すことを、ちゃんと切り分けて使うんだ。

彼女の姿に「じゃあ、最近の君はどうなんだね?」と内省しつつ、あー、どこかすっかり潜めてしまっている部分もあるんだろうと思ってきた。女々しい自分が表れてくる瞬間の殴りたくなる感じとか、ほんとうにきらい。

でも、人格なんて矯正できないし、きらっているうちは変えられなくて、まずはその弱さも受け入れてから、「なりたい自分」に近い日々を過ごしたり、そのことすら忘れるほど目の前のことに打ち込んだりするうちに、気づいたら「変わっていた」くらいになるんじゃないか、とおもう。

つきつめて言えば、仕事など「何をしているか」はなんでもよくて、自分が「どうありたいのか」を考えることのほうが、よっぽど大事だ。その仕事に対して自分がハマっていて、それによって日々と人生がちゃんと動いている実感があり、社会や精神に無理のないかたちで存在できれば、それでいい。

夜は、以前お世話になり、ぼくの師匠筋にあたる編集者が起業したので、そのパーティーに顔を出す。昔話もしながら、あらためて仕事させていただけることになり、嬉しさもある。業界的には大先輩なのに、その垣根もなく、接してくださることに喜びが増す。ぼくが編集者やライターになって、6年目の冬。

「いまの夢は、1億円する東京タワーの見えるマンションを買う」と言い切った彼女みたいな目標が、ぼくもほしいなとおもっている。

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