相方やパートナーに代わるピッピ的待望論
メルカリで吉行淳之介の本を買ったら、とても丁寧に梱包されて届いて、茶封筒に手紙が添えてある。
手紙はぼくの名前からはじまり、「人生も本も整理する段階に入りました。積ん読のままの本も喜んでくれると思います」といったふうに書かれている。プリントアウトしたものだけれど、その一通ずつの心遣いを嬉しく思う。メルカリが間をつないでくれても、その両端にいるのは人間に変わりない。
久しぶりにまいちゃんと会って音声番組を収録する。仕事の都合だったり何だりでしばらく録音できてなかったけれど、言葉のキレは相変わらず。手を叩いて笑いながら3本つくる。
まいちゃんのトークは鋭いジャブから必殺右ストレート!って感じがあって毎回スリリングだ。
夜は恋人と火鍋を食べにいく。信頼している舌を持つ人からの勧めだったので不安はなかったけれど、店内に客がほぼいなくて心細くなる。でも、食べてみたら、なんのなんの、ラム牛豚と肉もたっぷり、もりもり食べる。前菜に頼んだ牛肉のクミン炒めも美味。
あまりに客が来ないせいか、店員がふつうにテーブルで晩酌したりしてたけど、そんなところも妙に異国っぽくて楽しんでしまった。恋人は火鍋が初めてだったそうだけど、箸が進んでいてホッとする。
帰り道に、流れは忘れたけれど、「奥様/旦那の呼び方どうするか問題」が話題に上がる。まぁ、お互いのことは名前で呼びあえばいいんだけど、文章で他人の関係性を書くときに困るのだ。
「相方さん」も「パートナー」もなんだかしっくりこないし、佐々木ののかさん発の「配偶さん」は良いなと思いながら、現状はののかさんのコピーライト感がある。知っている限りの日本語の限界を感じた。
恋人が「もうみんな“ピッピ”でいいんじゃない⁈」と言い出すので全然よくないんだけど、おじいちゃんになっても「うちのピッピが……」と話しあう自分を想像して、痛さと微笑ましさのサンドイッチを味わう。
とはいえピッピなら、カレピもセフピも旦那ピも色々使えるといえば使えるし、便利なのか……? いや、さすがに、うーん。
寝床で、ストロングゼロを飲んだりしながら、すこしだけこれからのことを話したりする。ぼくとしては良いと思ったり本音を伝えたりしてるつもりでも、恋人からそれを信じ切ってもらえない節がある(いや、そう思ってるのは自分だけかもしれないけど……。)
どうもお互いに過去にいろいろあったせいか「猜疑心」が強いタイプっぽいということが見えてきて、もう猜疑心発揮しまくってても仕方ないので信じちゃったほうが早くない?という結論も見えてくるが、なかなか、どうか。
変えられない他人よりも変えられる自分のことを。すくなくとも、ぼくからそれを始めるしかないだろう。
しばらく寒い夜が続いていたけど、今日は心まですっかりと気持ちがほぐれて、あたたかく眠る。
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