「優しい洞察力」を持つ人が好きだ

久々にポジティブな恥ずかしい思いをした。「照れる」に近いのかもしれないけど、自分でも言語化してない行為を言い当てられると、こんなに顔がカーッと熱くなるものなんだな、と。

それは「あと男性をひとり呼ぼうと思ったとき、長谷川さんがいいなって」と誘ってもらって嬉しすぎた飲み会が広尾で開かれ、いそいそと出かけた、その会話の最中でのことだ。

1時間ほど前に現地に着き、駅前の銭湯でさっぱりしたところで現地民らしきおじいちゃんから「スマホゲームやってるか?俺はGREEの『釣りスタ』で100位なんだ」と急に自慢されてビビって、最盛期7万人、現在は2万人ほどだというヒエラルキーの上位と素っ裸で会う体験に「今夜は予期せぬことが起こるかもしれない」とワクワクしながら、会場に向かった。

とても美味しい馬肉をいただきながら、ふと、ぼくが日記を書くこと(このnoteのことだ)は結構いいものですよ、と勧めていると、好きで読んでくれているという編集者のTさんが、日本酒が何杯か進んだ後とは思えないほどの澄んだ声で、こう言った。

「あのnoteは長谷川さんのこれまでの編集人生ぜんぶ詰まってますもんね」

とりとめなく書いているように見えて、これまでやってきたこと、つくってきたナレッジ、得てきたスキルが、ほのかにでも随所に詰まっているというわけだ。

ぼく自身は、ほんとうに意識をしたこともなく、フリーハンドで書いているつもりだし、構成もつくらず一発書きなのだけど、そう言われると確かにそうとしか思えない。無意識のつもりが、実は意識的に「編集しながら書いている」ことを言い当てられ、なんとも面映ゆい。

ただ、事実は事実だし、言われたぼくも褒められてはいるので悪い気はしない。誰も傷つかず、貶めるわけでもなく、価値を浮かび上がらせる言葉だった。

編集という仕事に就いて6年くらいが過ぎようとしている今、ぼくがここへ密かにいろんなナレッジをつぎ込んでいるというのは正直バレたくはないことだったのかもしれないけれど、見る人が見ればわかっちゃうものだし、見抜いたTさんの素晴らしさも讃えつつ、仕方ないよねとおもえば、なんのことはない、むしろもっともっと気楽に書けるという感触がある。

これは言うなれば「優しい洞察力」みたいなもので、他人でも自分でも、それを向けられる人は言語化がうまく、さまざまな気づきをかたちにできるのだろう。

飲み会でご一緒した、スマホの自撮りがめちゃくちゃ上手な女性が馬肉を撮りながら「私はアウトカメラは素人なんで」と言って大きな笑いが起きたけど、あれもひとつの優しい洞察力だったとおもう。

たった一言、されど一言。ぼくは物事を、人々を、空気を、文章を、よく見られているだろうか。おもえばぼくが好きだと感じる人は、みんなこの優しい洞察力を持ち合わせている気がしてきた。

#日記 #エッセイ #コラム

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最後まで、ありがとうございます。また、あした!

すき!
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長谷川賢人

なるべく上等な劣等感日記

誰も劣等感を脱ぎ捨てることはできない。人生はけっして素晴らしいものではないが、どうせ生き続けなければならないのなら、なるべく上等な劣等感を身につけた方がいい。 ──吉行淳之介
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