日々と大人をたくさん知ると起きること

航空業界の仕事を聞く取材があって、それは旅客機ではなくて積み荷を運ぶ「貨物機」に関わることだったんだけど、知らないことが多すぎて。

ぼくらがのんびりと空の旅を楽しんでいる座席の下には大小さまざまな積み荷が入っていることもあるし、専用貨物機では「貨物室に入る、可能なものなら」というスタンスで、動物園のパンダから半導体から築地でとれた鮮魚までが載ってる。その取り扱い品種を工夫しながら増やすのも仕事なんだそう。

それらが空を飛んで、欲しい人のもとに届くってすごいなって思う。築地の鮮魚が20時間もたたないうちにシンガポールの日本料理屋に運ばれて調理されることも可能らしい。えっ。すごくない?

ぼくが暮らす「日々」のまわりには、あらゆる人の「仕事」や「営み」があって、その一つひとつをすべて知ることなんてできないから、どれも聞くたびに面白くなる。で、その聞いた面白さは、ぼくの「日々」をくっきりさせてもくれる。硬い言い方をするなら「解像度が上がる」ようで、ぼんやり見ている景色がちょっと色鮮やかになっていく。それがたのしい。

夜には、メディア運営で悩める女史とごはんを食べて、あれこれ企画のアイデアを出したりした。

そんななかで、女性が演じる「美少年」の緊縛同人誌がめちゃくちゃ売れていて素敵なんですよって話を聞いて、それをつくっている方のTwitterで見た写真が、これがまた「私はこれがやりたい!」という気持ちみたいなものが全力であふれていて、超くらくらして素晴らしかった。そういうのを見て、女性たちは「きゃー」ってテンションをあげて、うっとりするんだそうだ。写真と小説の間みたいな恍惚感があるんだろう。気持ちはわかる。

https://twitter.com/digudagu66

女史と別れて、さらに夜は、ぼくが姐と慕うお姉さんと軽く飲んだ。かれこれ干支一周分を超えるくらいの付き合いで、ぼくにとっては信頼も信用もおける、家族をのぞけばとびきりの人間のひとりだ。だいたい姉さんはきまってウーロンハイをどこでも飲み、ぼくは黒ホッピーや男梅サワーなんかをやっつけていく。

ある男性を取り巻く喜劇的ともいえるエピソードとかの馬鹿話に大笑いしたりしつつ、ぼくは弱音を言う。姉さんは顔をぎゅーっとしかめたりしつつも、「でもそれはさ」って言葉をくれる。姉さんはいろんな経験をしているので、ぼくにとってはくっきりしていない……解像度の低いままの話を伝えても、その道筋を教えてくれることが多い。

ぼくは姉さんを通じて、飲み会を通じて、たくさんの「大人」に会わせてもらって、その10代後半から今に至るまでの時間の数々は、今のぼくにとって良くも悪くも「大人のサンプルケース」を見せてくれた意味でも、ほんとうに価値が計り知れない。

いろんな大人がいる。みんなそれぞれ、壊れてたり、輝いてたり、悩んでいたり、うろうろしたりしながら生きている。良い人ばかりじゃない。「おお、こんな大人にはならないようにしないとなぁ」と心のどこかで苦い顔をしながら、そんなダメさ加減にちょっと憧れたりもする。ぼくはそんなふうに、人から人にも旅をしてきたんだと思う。

とにかくたくさんの大人に会ってきた結果、ぼくが得たのは「なんとかなる」という自信だった。ただ、他人を手痛く裏切ったり、自分が良ければそれでいいという気持ちでいたり、そういうことがなければ、大人たちは今日もどうにか生き、笑い、酒を飲んでいる。

家に帰って、炭酸水を飲みながら、うとうとした。咳をしていた姉さんと恋人の具合が気にかかる。

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