堀江貴文『ゼロ』、料理と生活、考える力

起き抜けに堀江貴文『ゼロ』を読んで、じんわりと言葉を受け止める。すごく読みやすくて、するすると入ってくるのは構成と編集のちからも大きいのだろうけれど、それにしたって、すごい。人の半生を追って、格言めいたものだってたっぷりあるのに、きれいなお蕎麦をつるりと食べたときのような爽快さ。

誰にも起きるであろう「不安」や「迷い」っていうのは、それをそのまま受け止めてしまうと足かせになっちゃうんだけど、ちゃんといろんな根っこがつながっているもんなんだよなって思えたのも大きかった。

20代前半のぼくはまさに書かれた“若者”っぽい考えをしていたし、それは今でも捨てきれてはいないと思うんだけれど、ライターや編集者という仕事をさせてもらえるようになって、だいぶ薄まってきたようにも感じている。

それは、誰かに褒められる、っていうシンプルな良さがあるからだ。記事を作る、読んでもらえる、それに対して感想をもらえる、人づてに「あの記事が喜ばれてるよ」と聞く。そんな成功体験が着々と積み重なっていくから、「書くのがたいへんだなぁ、しんどいなぁ」と思うことはあっても「嫌い」になってしまうことはないんだろう。

それでわかったのは、仕事と同じくらいに良い効果があると思えるのは「料理」や「生活」で、それはシンプルに自分で自分を喜ばせてあげられる、ちいさな営みで成功体験だからだ。それに料理をつくって他人に「おいしい」と言ってもらえることは信じられないほど喜びがある(だって生きるためには食べなければ行けない)んだけど、生活力の一つひとつがついていくと、すこしずつ生きる不安が減っていくような気がする。だってぼくはぼくのことを、ちゃんと喜ばせてあげられるじゃないか、って。

堀江貴文さんも「かけがえのない『いま』に全力を尽くすこと」を説いていたけれど、「料理」や「生活」はまさにそれにも近くて、とにかく「いま」にだけフォーカスすることの良さはたくさんある。いま、ぼくは何をするのか。

『ゼロ』の余韻にひたったまま、あたらしい仕事の打ち合わせをしながら、中目黒でランチをした。なんで同年代なのにこんなに大人っぽいのだろう(いや、もう31歳なんだけど……)と、会うたびに「しっかりしろよ自分」と思えてくるような編集者の彼に、今回の仕事を「信頼できる人と一緒にやりたくて」と声をかけてもらったので、とてもうれしくて頑張ろうという気になる。

食べながらぼくは、ぜんぜん交通整理のできていない自分の考えをつらつらと話してしまって、それでも彼は顔色ひとつ変えずに聞いてくれる(しかも時折、ちゃんと笑ってくれる)。この、聞いてくれる、という彼の凛とした佇まいは、たくさんの話し相手を安心させてきたんだろうなって思っていた。

彼はそのあとで、自分がやろうとしていること、大事にしていきたいことの展望を語ってくれた。それで結局、これからの若い人たち、いや、ぼくたちも、おとなたちも、もっともっと「考える力」を養って、その扱い方と効果を知ることが大切だよねって話をした。言葉の表面の「つるつる」した触れ方だけで落ち着かないで、「そもそも」や「定義」を見定めることの必要性も。

ぼくが常々、なぜか自分が「大学」というものにずっと惹かれているのは、いわゆる勉強から逃れて「考える」ことが職分になるのが大学生だから、なのかもしれない。この段階で手渡してあげるべきこと、あるいは体験しておくべきことが、それからの生き方をぐぐっと左右するかもしれないっていうのは、案外に馬鹿にできないことだ、とおもう。

それはもちろん高校生以下も必要なことだけれど、そもそも脳がそこまで追いついていないから仕方ないっていう話を以前に聞いたせいもある。

当時13歳のトリーシャは「2年のサイバーいじめを受けて自殺した11歳の女の子」のストーリーをオンラインで読み、衝撃を受けた。トリーシャはリサーチを進め、SNSで10代がネガティヴな発信を「してしまう」理由を脳の成長過程と紐付けた。脳全体の90パーセントは13歳までに形づくられるが、意思決定で使われる前頭葉を含む部分はさらに13年ほどの月日が必要となる。つまり、10代の未発達な脳は判断力が弱く、衝動に走りがちだというのだ。
https://wired.jp/2017/10/11/wrd-idntty-report/

だからもし、10代や20代前半で「いまなら判断しないこと」をしてしまったとして、それが自分の心や行動に尾を引いているとしたら、それはもしかすると「仕方なかったんだよ」で済むのかもしれないね。過去にとらわれるよりも「いま」を見ること。いま、どうしたいのか、どうすべきか、何ができて、何を大事にしたいのか。30歳をすぎて、ぼくもようやくそんなことが腹落ちできるようになってきたよ。

ぼくらの脳にはいろんな「仕方ない」がひそんでいて、それをうまく扱いながら、だましながら、あるいは愛しながら生きていくのが賢くて、それがあるからぼくは「ライフハック」が好きだし、その言葉も好きなのだ。ダメだと思える自分も、そんなダメさを慈しみながら、「自分」のままで生きるために。

最強にして最高のヒューマン・ハックはたぶん「愛」なんでしょうけれど。

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