日記(le 25 mai 2021)

近所の公園のこと

この記事を書き始めるちょっと前(深夜1時前ぐらい)に、公園から男女の歓声と、金属のきしむ音が聞こえてきました。恐らくはブランコに乗っているのでしょう。
夜中に複数人で公園のブランコに乗る。それだけならいいのかも知れませんが、雰囲気からすると飲酒もしているようで、ちょっと残念です。その公園の隣のスナックはなんだか店内の調度品を次々と粗大ゴミに出していて店を閉めてしまいそうな勢いなのに……。
僕の住んでいる界隈は比較的スナックが多いのですが(前に住んでいた町もスナックが多かった)上に書いたのとは別のスナックもやっぱり、数日前に店内のものをあれこれ外に出していたし、どこもかしこも店じまいしてしまうのではないかと、他人事ながら心配してしまいます。

久しぶりのキャンパスのこと

今日は久しぶりに大学のキャンパスに行ってきました。前に来たのが去年の9月、助手業務の引き継ぎのときだったので、半年以上も慣れ親しんだこのキャンパスに足を踏み入れていなかったことになります。
大学へ行ったのは、招聘研究員の身分証を発行してもらうためでした。無職だ失業者だと名乗ってはいますが、複数の先生方のご厚意により、肩書的にはいちおう大学の附設研究所(助手として勤めていたところ)の招聘研究員ということになっています。どこの大学でもあるであろう、無給研究員というやつです。
受けられる恩恵としては肩書がつくほかに、利用者登録をすれば図書館が使えること(後述)、推薦なしで附設研究所の刊行しているオンライン学術誌に論文を投稿できること、科研費をとれている場合は執行できることなどが挙げられます。もっとも僕は助手在任中に科研費をとれなかったし、オンライン学術誌は今年度の〆切を過ぎてしまったのでもう投稿できないのですが。
しかし助手時代の経験としては招聘研究員の肩書でオンライン学術誌に投稿してくる人も一定数いるので、院生の身分を失って、大学院の紀要に論文を投稿できなくなってしまった今となっては貴重な研究成果の発表先といえるでしょう。もし来年度も招聘研究員の身分が続いて、かつ研究して論文を書くだけの余裕があれば、ぜひ投稿したいと思っています。
とはいえ受け取った身分証はペラペラの紙で、ついでに返却した助手時代の教職員証がプラスチックでIC認証もついているのに比べると、なんだかずいぶん頼りないようで、無給研究員という身分の不安定さを改めて思い知らされたようでもありました。
久しぶりに訪れたキャンパスは、同じ緊急事態宣言が出ていても去年の今頃に比べると格段に人が多くなっていました。対面授業なども再開・継続されているのでしょうか。それでも人は少ないですが、去年のほとんど無人といっていいキャンパスを知っている者としては何ともいえない感慨があります。このままワクチン接種が進んで、感染も収束に向かって、またキャンパスに人があふれる大学が戻ってくればなあと思います。学生時代はキャンパスにあふれかえる学生たちに辟易していたのに、いざいなくなってみると寂しいものですね。

立て看板のこと

あとはキャンパス内で感慨深かったこととして、立て看板の減少がありました。オンライン授業が中心になってサークルや大学当局の立て看板が減るのは当たり前といえば当たり前なのですが、感慨をおぼえたのは僕が助手として働いていた附設研究所の関係の立て看板が一切なくなっていたことです。
僕がいた附設研究所はほかの助手助教から「イベント屋さん」と揶揄された通り、学術イベント(ワークショップ、シンポジウム、講演会など)の広報や当日の運営、記録などが主な仕事でした。イベントの主体はさまざまな研究グループや、「スーパーグローバル大学」(政府がつけたこの名前自体が外国では通じない、思いっ切りグローバルでないネーミングなのですが)関係のプロジェクトなどがありました。特に「スーパーグローバル大学」関係のイベントは圧倒的に数が多く、場合によっては1ヶ月に2回も3回もあることがあったので、必然的に立て看板の仕事も増えて大変でした。
立て看板はデザインから大型プリンターを使っての印刷、さらに印刷したものを看板の土台に画鋲で貼り付けて雨よけのビニールシートをかぶせ、ビニール紐でぐるぐる巻きにしてキャンパス内に設置するまで、ぜんぶ助手助教の仕事でした(逆の手順で看板を撤収するのも同じく助手助教の仕事)。先輩の助教が「博士号とまったく関係ない仕事だよね」と軽口を叩いていた通り、研究とは関係ないまったくの力仕事です。
しかし、今の助手さんたちは立て看板を立てることもなく、ということは炎天下のなか、あるいは冬の寒空のもと、あの肉体労働をしなくてもいいわけで、少しうらやましいですね。しかしパンデミックが収まったあと、またキャンパス内に立て看板を立てることになったとき、立て看板の作成・印刷・設置・撤収という一連の業務の引き継ぎができていないのは少し不安でもあります。あるいは、キャンパス内に立て看板を設置して学術イベントの告知をするという文化自体が自然となくなっていくのでしょうか。だとしたらそれはそれで寂しいものがあります。

久しぶりの図書館のこと

身分証を発行してもらったあと、その身分証がないと作れない図書館の利用者カードを作るため、少し離れたところにある図書館まで歩いていきました。キャンパスから図書館まで歩くのも本当に久しぶりで、学生時代から助手時代までは、読みたい本があるたびに胸おどらせながら同じ道を歩いていたのが懐かしく思い出されます。いろいろなことがあったけれど、あの頃は本当に楽しかったのだなあと。
図書館のカードは、必要な書類を事前に書いて持参していたこともあり、すぐに発行できました。1年間有効で、期限が切れたらまた作り直すことになりますが、図書館への入館・資料の閲覧やコピーだけではなく、図書の借り出しもできるということで、必要が生じたら利用させてもらおうと思いました。もっとも、定期で大学に通っていた頃と比べて電車賃もかかるので、なかなか気軽に借りにいくわけにはいかない気もしますが……。
本当は久しぶりに訪れた図書館ですし、中に入ってあれこれ本を眺めたい気持ちもあったのですが、このあとメンタルクリニックに通院しなくてはならないので名残惜しいものの立ち去りました。

久しぶりの馬場歩きのこと その1 古書店街

早稲田から高田馬場駅まで地下鉄(東京メトロ東西線)やバスに乗らず、歩くことを早稲田の学生の間では「馬場歩き」といいます。キャンパスから図書館に寄る必要があったこともあり、今日は久しぶりにその馬場歩きをしました。パンデミックになってからはそもそも大学へ行く機会がほとんどありませんでしたし、助手時代は業務終了が17時で、そのほか少なからず残業することもあったので、昼間の馬場歩きはなかなか久しぶりという感じでした。
しかし昼間の馬場歩きでいちばんの楽しみだった古本屋めぐりは、緊急事態宣言にともなう休業要請のため、すべての古書店が店を閉めており、残念ながらかないませんでした。早稲田界隈では数少ない洋書も扱っているE書店で店頭の段ボール箱に無造作に突っ込まれたペーパーバックを漁ったり、日本文学に強いA書房でやはり店先の棚に並んだ評論や詩歌の本の背を眺めて時間を潰したり、堀江敏幸氏のエッセイにも取り上げられたことのあるJ書房で店頭の均一棚でも品揃えのよさにうならされたり、古書Gの思いもよらないラインナップや店頭の均一棚の独特の品揃えに一喜一憂したりしたかったのですが……。他にも早稲田界隈の古書店街ということになると、岩波はじめ文庫の充実していた店や、古い映画スターのブロマイドやポスターをたくさん扱っていた店、ミステリとSFと雑誌(週刊プレイボーイなど)のバックナンバーに強かった店、海外文学の翻訳ものが天井まで届く高い本棚にぎっしり詰まっていた店など、多くの思い出があります。
もっともパンデミック以前、僕が2008年4月に大学に入学してから博士課程を満期退学した2020年3月までの12年間でも、早稲田界隈の古本屋さんは店じまいしてしまったところが少なくありません。ネット通販や電子書籍などに押されてのことだったのでしょう。それに加えて今回のいつ終わるとも知れないパンデミック。新刊書店は営業できて古書店は休業要請というのも、基準がよくわかりません。「日本の古本屋」の公式ツイッターが、古本まつりはできないのにオリンピックはできるということを【今世紀最大の謎】と冗談めかしてつぶやいていましたが、本当に国政といい都政といい、わけがわかりません。
願わくば一軒でも多くの古本屋さんがこの危機を乗り越えて、また早稲田界隈に古書を漁る楽しみを取り戻してほしいものです。

久しぶりの馬場歩きのこと その2 マスク

あと久しぶりに馬場歩きを、というか久しぶりに街なかを歩いてみて気が付いたのは、みんなマスクをしているといっても人それぞれだということです。
不織布、ウレタン、布といった素材の違いはもちろんのこと、マスクを顎まで下げてスマホで通話しているドイツ人や、マスクを完全に外してタピオカドリンクか何か飲んで楽しげなカップル、やはりマスクを完全に外して自転車に乗るおじさん、黒いマスクを手に持ってはいるものの屋外だし暑いしということなのか着けてはいない学生など、さまざまな人がいました。
僕はなにか厳格な決まりのような気がして、基本的に外出時はマスクはずっと着けたままで、たまに飲み物を飲むときに外すだけでもなんとなく罪悪感をおぼえます。そういう性格に加えて、もともと多汗症のうえ太ってからはよりいっそう汗をかくので、不織布だとすぐダメになってしまうと思い、パンデミック初期に通販で買った、水着素材の二重構造になった布マスクをつけています。

汗かきのこと

そんなわけで僕はもともと多汗症で、それがこの十年ほどで太ってしまったこともあり余計に汗がひどくなって、真冬の本当にいちばん寒い時期を除いては、いつもタオルを持ち歩いてひっきりなしに汗をぬぐっています。夏場はタオル1枚ではビショビショになってしまってそのうち用をなさなくなるので、タオルを2枚持って出かけることもあります。
今日もまだ5月だというのに都心は28℃ぐらいまで気温が上がり、今年は梅雨の訪れが早いのか晴れてはいるもののムシムシして、結局タオル1枚ではちょっとしんどいくらいビショビショになりました。
去年の夏は、後半になって少しアルバイトの面接に行ったり、転職サイトで見付けた会社へ就活に行ったりしたものの、基本的にまだ助手だったこともあり、いちばん暑い時期はひきこもって暮らすことができていました。それでも夏バテして、毎日アイスの実かスイカバー、ウイダーinゼリー、野菜ジュースなどの冷たいものしか摂れない日々が続いたのですが、今年はそうも言ってはいられません。
去年は夏に「第2波」がありましたが緊急事態宣言を出すことなく終わり、今年も夏の盛りに緊急事態宣言が出ているとは限りません。むしろ政府その他がオリンピック・パラリンピックをやりたがっていることを考えると、夏場は多少感染者や亡くなる人が増えたところで緊急事態宣言は出されないような気がします。
緊急事態宣言が出されないと失業保険をもらうためにはハローワークへ行って求職活動をしなくてはならず、もし書類を送って面接に来るよう言われたところがあれば、暑い中そこまで出向かなければなりません。社会人はその暑いなか毎日仕事に行っているのだから甘えるな!と言われそうですが、ただでさえ鬱病でしんどいのに多汗症が加わると本当につらいことになるのです。
額からの汗で眼鏡のレンズにはすぐ水滴がつく。いちいち顔をぬぐっていると前が見えなくて不安定になる。タオルで汗をぬぐっていたり、シャツが汗でビショビショだったりすると、暑がっているのだと勘違いされ、冷房の温度を下げるなど気を遣わせてしまう。万が一にも他人に汗のしずくが垂れてしまったら申し訳なくていたたまれなくなる。場合によっては怒られたり、因縁をつけられたりするかも知れない。……その他もろもろの不便なことがあります。
こんな汗かきで、職探しもしなくてはならないし、もし職が見付かったところで汗かきなのは治らないし、本当に運の悪い星のもとに生まれついたなと悲しくなるばかりです。

働けそうにないこと

汗かきもさることながら、本当に鬱の悪化とひきこもり生活の長期化のせいで、とうてい働けそうにありません。
今日だって、実質活動していたのは家を出た15時から帰宅した17時半の2時間半程度なのに、すっかり疲れ切ってしまいました。正午前に起きて、食事を摂って、食休みして、郵便物を確認して、シャワーを浴びて、着替えて大学に出かけて、事務所のあと図書館に寄って、それからメンタルクリニックに行って帰ってくるというだけの1日です。助手として勤務していた時代も鬱病で学内の保健センターに通っていましたが、そのころの僕だったら助手としての勤務のついでに済ませられた程度の内容に過ぎません。むしろ助手として勤務していた頃の僕なら、他にもフランス語の授業に出て、古書店めぐりをして、図書館でも手続きだけでなく読みたかった本をトートバッグいっぱいに借りて……と、他にもたくさんのことができたはずです。
それが、鬱の悪化と長引くひきこもり生活のためか、実質「15時に大学へ行って図書館に寄り、メンタルクリニックに通院して17時半に帰宅する」というだけの用事ですっかりくたびれてしまい、帰宅して夕食を摂って19時前には寝てしまったのです。あまりの眠気に、日ごろのルーティーンになっているCOVID-19関連のニュースサイト巡回や、その他のサイト・ブログなどの確認すら途中で投げ出してしまいました。こんな状態で9時から17時までの仕事なんてつとまるとは到底思えません。まして残業なんてした日には、確実にそのあと1週間はダウンしてひきこもってしまうでしょう。
こんなことでこの先どうやって生きていったらいいものか、途方に暮れています。

疲れて寝ている間に見た夢のこと

そんなわけで今日は実質2時間半しか活動していないのに疲れ果ててしまって19時前から23時半まで眠ってしまったわけなのですが、そのときにこんな夢を見ました。
妹がマラルメの詩に曲を付けようとしています。しかし参考にしている岩波文庫の渡邊守章訳が、草稿を参考にこれまでの解釈と変更したというので、feuille morteとあるところが何かまったく別の単語になっていて(fをsと読みかえていたのだけは覚えている)、いくらなんでもそれはないだろうと困惑する夢でした。
いま思うと邦訳に曲を付けようとしているのになんだ原詩の綴りが問題になるのかよくわからないといえばわからないし、feuille morteといえばまず何よりヴェルレーヌだし、夢らしく辻褄の合わないところばかりです。fをsと読みかえるのは、確かマラルメ全集の解題か何かでマラルメの草稿ではfの横棒がなく、sを縦長に書いているためfとsの区別が付きづらいということをどこかで読んだような記憶があって(マラルメの専門家ではないので本当のところはよくわかりませんが)それが夢に出てきたのだと思います。
何にせよ無職になってから眠ってばかりいるので変な夢をたくさん見ます。このあいだは戦時下の旧制高校の文科の学生になって、配属将校やナチ思想にかぶれた教授に向かって、トーマス・マンを引きつつ「本来ドイツ文化が持っていた豊饒な富をナチスは台無しにしてしまった」というような演説を振るう夢を見たりしました。トーマス・マンは読んだこともないし、ドイツ文化についても詳しくはないのですが。
しかし楽しげな夢を見たあとは無惨な現実とのギャップにつらくなり、嫌な夢を見たあとはその嫌な気分を引きずり、どちらにせよ目覚めのときはしんどいのがここ半年ほど続いています。読書や映画鑑賞といった逃げ場さえ鬱の悪化のために奪われて、このうえ睡眠という最後の逃げ場すら失くしてしまったらどうしたらいいのだろうと悲しくなってきます。

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