橋本達矢

京都出身、大阪でサラリーマンのかたわら、演劇をやっています。最近は小説の勉強もしていま…

橋本達矢

京都出身、大阪でサラリーマンのかたわら、演劇をやっています。最近は小説の勉強もしています。 遊劇舞台二月病、劇団員。劇団HP https://nigatsubyou.jimdofree.com/ 思いついたことを書き留めていこうと思っています。よろしくお願いいたします。

最近の記事

「需要と供給」~中華料理屋A店を回顧する~

 私の通っていた大学の近所に、ある中華料理屋があった。その店、仮にA店としておくが、このA店はラーメンを推していた。  店の前には「ラーメン」の文字が書かれたのぼりが立てられ、メニューにも、しょうゆラーメン、みそラーメン、しおラーメンはもちろんのこと、カレーラーメンやスタミナラーメン、ちゃんぽんなどのラーメンメニューが乱立しており、並々ならないラーメンへのこだわりなのか、執着なのか、とにかく強い思いが店内に漂っていた。  しかし、ベタベタと貼られたラーメンメニューにひるん

    • 日本版“ハロウィン”で世の中がまわる

      10月31日は今年もハロウィン  近年のハロウィン商戦は、クリスマスやバレンタインデーに食い込むほどの規模で展開され、リターンも見込めるものになった。  昨年はコロナ禍の影響で、メディアで取り上げられる機会は少なかったが、2010年代の中頃から、このハロウィンは日本においてのイベントとして市民権を得るに至った。  しかし、イベントとして認知された一方で2014年には渋谷に仮装した若者が集まり大混乱となり、2018年には若者が騒動を起こし、軽トラックを横転させるなどで逮捕者

      • 2021年、健全な怪談ブームがきている!

        怪談・オカルトは僕らのそばに 怪談、オカルトのブームというものは、爆発的なヒットではなく、水面下でじわじわと息が長く続くものである。  振り返れば、1990年代はじめから2000年に入るこの約10年間は、テレビでは『恐怖の百物語』、『世にも奇妙な物語』、『特命リサーチ200X』、『奇跡体験アンビリバボー』、『USO!?ジャパン』などオカルトや怪談を取り上げた番組が毎週のように放送されていた。1999年のノストラダムスの大予言も重なって、怪談、オカルトはメディアで取り上げられ

        • 実話怪談『シャン、シャン』

           当時、私は会社の社員寮に住んでいました。  私の住んでいた部屋は寮の四階にありました。部屋は小さなワンルームで備え付けのベッドと大きな窓があり、棚と一体になった机が設置され、壁はコンクリートというデザインナーズマンションを思わせる部屋でしたが、ベランダはなくて、共用のランドリーが一階にあって洗濯物を干すのは屋上という不便な面もありました。  その日も仕事から遅く帰ってきて、簡単に夕食をすませてベッドに入りました。布団の中で横になっていると、外から“シャン、シャン”と鈴の

        「需要と供給」~中華料理屋A店を回顧する~

          アウトサイダー・アート③ ~作品と作者~

          ……アウトサイダー・アート②の続き 神の見えざる手 SNSやネットにあふれる「作品」たち、さらには「アウトサイダー・アート」が独自の地位を、世の中において得ているということは、ある事案をはらんでいる。  それは世間からはまったく認知されていない作品をすくい上げるという行為が、そのまま芸術の売買に直結しているということだ。  わざわざ、ある一定の理解、つまり公認の美術教育から逸脱した芸術を「アウトサイダー・アート」として、あえて価値を付けるということには、芸術探求という学術

          アウトサイダー・アート③ ~作品と作者~

          アウトサイダー・アート② ~芸術性を支える観念~

          ……アウトサイダー・アート①の続き 「創作」においてプロ、アマは関係あるのか  SNSや投稿サイトに提示されている作品は、プロのものではないことの方が多い。これはプロの活躍の場が、ネットよりもまだ書籍やイベントであることが関係している。  もちろんネットを介して活躍しているプロの作家や絵師、歌い手もいるが、プロへの足掛かりとしてネットで活躍している世間的にはアマチュアとみなされている「作者」が大半であると考えられる。これらネットに投稿された「作品」がテレビや書籍化されること

          アウトサイダー・アート② ~芸術性を支える観念~

          アウトサイダー・アート① ~ヘンリー・ダーガーにとっての「創作」~

          世の中にあふれる「作品」たち 昨今のSNSや投稿サイトには、多くの「作品」がひしめいている。それ自体は素晴らしいことだと思うし、発信の場がより身近になったことで、新たな作品や作者と出会うことが増えた。SNSでヒットした作品が、書籍化されたりと一部ではネットでの提示が、表現の場の中心にもなりつつある。  このような現状を見たとき、「アウトサイダー・アート」と呼ばれる作品たちの世間での立ち位置、そしてヘンリー・ダーガーが著作した物語作品『非現実の王国で』に起こった、その創作作品

          アウトサイダー・アート① ~ヘンリー・ダーガーにとっての「創作」~

          アマビエはどこに行った

          2021年10月 緊急事態宣言解除  新型コロナウイルスは、2021年も変わらず世の中で蔓延している。  10月1日より緊急事態宣言が解除され、飲食店はアルコール類の販売も可能となり、街には人がまた増えてきたように思う。  今後、どのような対処が政府によって発令されるのかはよくわからないが、ワクチン接種も順調に国民に施されており、世界でもトップクラスのワクチン接種対応を可能にした国であると、首相は豪語する。  約一年にもわたって緊急事態宣言続きであったので、いざ解除と言わ

          アマビエはどこに行った

          『ウルトラマン』シリーズの系譜学②

          きたぞ! われらのウルトラマン 空想科学シリーズ『ウルトラマン』は1966年7月に円谷プラダクション制作の特撮ドラマとして放送が開始された。  それまで『ウルトラQ』のテレビ放送によって空想科学特撮作品は人気を博していたが、これまでの短編作品の『ウルトラQ』とは違う連続特撮ドラマの制作の企画が決定した。敵怪獣と互角に戦える正義のキャラクターのカラー放送作品というコンセプトにより制作は進められた。  これこそが、55年にもわたり放送され続け、日本におけるテレビヒーローの一角を占

          『ウルトラマン』シリーズの系譜学②

          『ウルトラマン』シリーズの系譜学①

          ウルトラマン生誕55周年  2021年はウルトラマン生誕55周年にあたる。  幼いころより親しんできた、作品がこれまでシリーズとして続いていることに一人のファンとして大変うれしく思うが、ここまで続くにはそれなりの物語群のつながりがあり、これまでの作品が次世代の作品に影響を与えているという点が、親世代と子供世代をつなぐ結果となっている。 ウルトラマンシリーズの沿革 ウルトラマンは宇宙警備隊の一員であり、ウルトラシリーズは基本的にはこの宇宙警備隊の面々の地球での活躍を描いてい

          『ウルトラマン』シリーズの系譜学①

          七本足の蛸

           こんな話を聞いた。 「蛸の足は外敵に襲われた際に切れても再生するが、ストレスから自分で足を食べてしまった場合は二度と再生しない」  生物の細かな生態はよくは知らないし、この時に蛸の体でなにが起きているのかもわからない。そもそも本当かどうかもよくわからないのだが、このことはなんだか蛸が自分の足を食べたことを自覚しているから起こるような気がする。  「自覚」ということについてさらに言及するならば、それは「自分のせいで足がなくなった」ということについての自覚である。  外敵

          七本足の蛸

          浮気は本当によくない

           表題の件は、ただの一般論ではない。  昨今、芸能人の不倫報道がワイドショーを騒がせることが度々あるが、あれら報道によって発信されているのは「情報」であって「問題」ではないのである。  何年も前の話だが、この浮気を取り巻く「問題」に巻き込まれたことがある。    その時、私は大阪の日本橋をうろついていた。なぜだったかははっきり覚えていないのだが、午前中から一人でうろうろしていた記憶がある。たぶんフィギュアか漫画を探したかったのだと思う。  昼時になったので、なにか食べ

          浮気は本当によくない

          問題の先延ばし

           自宅アパートのクーラーから変な水音がする。調べてみると、汚れがたまっていることが原因なのではないか、とある。  確かにしばらく掃除もしていない。放っておけば汚水が逆流するかもしれない。しかし夜に今から掃除というのも気が引ける。いつ掃除ができるのかはまだわからない。これは問題の先延ばしなのだろうか……  問題の先延ばしといえば、思い出すことがある。  大学時代、私の周りには留年する者が何人かいた。彼らは言う。 「留年するやつは、期末のテストの時点で自分が留年するかどう

          問題の先延ばし

          俳句の世界

           俳句は「感覚」の描写であると思う。五・七・五の十七音の中に、作者の感覚が投影されている。  俳句において、対象となっている風景は、絵画のように克明に提示されるものではない。詠まれたその瞬間に、その一句に使われている言葉が我々のイメージを呼び起こし、その一句の「世界」を我々の中に構築する。その一句を引き金として我々は、作品世界の情景として五・七・五で詠まれている言葉を理解するに至る。そして我々は自分で作り出した作品世界で、その情景を「鑑賞」する。  『柿くへば 鐘が鳴るな

          俳句の世界

          「表現」の構造

           会社の同僚と話をすると「自分に負荷をかけて、仕事をすることで認めてもらう」という意味合いの言葉が出てくる。このことは自分としてはどうもうまく繋がらない。そしてこの同僚は「自分を表現する」という言葉でその話を締めくくった。  ここで言う「負荷」とはおそらく精神的負荷や行動的負荷といったもので、あえて自身で考えたペナルティを自身に科すという意味であろうが、それを行うことで認められれば苦労はないわけで、「負荷」というのであれば、ある程度の仕事の中での負荷はサラリーマンならつきも

          「表現」の構造