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機能不全家族、鬱、ACを引き起こした事例

母は寂しい人だった。厳しい両親に躾られ、姉に虐げられ、その時代にしては身長が高く男のようだと言われ、その狭い町の中で息苦しく育った。

父も寂しい人だった。父とはあまり会ったことがなく、潔癖症の母の元で育った。小学校は1学年ごとに転校したが、友達も出来ず、いじめの対象になることが多かった。でもどうせその場限りの人間関係だから、父は人間関係は逃げるものだと学んだ。

寂しい2人が大人になった。

母が看護師を勤めていた地元の病院に父が研修医として入った。
地元に縛られていた母と、全国を転々としていた父。2人が惹かれ合うのに時間は掛からなかった。

父は受けとめて貰えなかった母性を母に求めた。
母はそこで人から求められる承認欲求を得た。
互いの寂しさを埋め合わせるように、誰から見ても仲睦まじい2人だった。

母は子どもを欲しがった。
やがて結婚し、地元を離れ、
一度の流産を経て第一子が産まれた。
元気な男の子だったので、両親はできる限りの愛情を注いだ。彼の求めるものは出来るだけ応じた。ポケモンが好きな子供だったので、両親共々151匹のポケモンを頑張って覚えた。

そしてまた一度の流産を経て、第二子が産まれた。
男の子だったが逆子のため帝王切開だった。
母は酷く恐ろしい思いをしながら手術に望んだ。
産まれた子供は身体が弱かった。
酷いアレルギーと皮膚疾患、喘息等で母は治療のために病院に足繁く通った。次男を入院させたことは何度もあった。
それでも改善されなかった。

父は次男に対して干渉しなかった。
子育ては母親の仕事だと主張した。
母はもっと感情をもって一緒に次男の治療法を探して欲しいと願った。
父は寂しい人だった。
母にもっと一緒にいて欲しかった。
ただそれだけで彼にとって本当は子供は不要だった。

父は女の子が欲しいと思うようになった。
子供が女の子であれば、自分を求めてくれるのではないのかと。
顔は母似で、性格は自分に似た子がいい。
そうして帝王切開の跡が癒えないうちに第三子を妊娠した。

母は産まれてくる子どもの性別なんてどちらでも良かった。
どんな子が来ても自分を求めてくれると思った。
ただ、性別が女だとわかると急激な不安に襲われるようになった。
可愛くないと可愛がれる自信がない。
母には歳の離れた姉が居たが、姉には娘が二人いた。
母からすると姪にあたるその二人は、まるで正反対だった。
長女は一重で声が甲高く、わがままで愛嬌がなかった。
次女は二重で全てのパーツが美しく、愛嬌があり大人しかった。
もし長女の姪のDNAをお腹の子が受け継いでいたらどうしようと考えた。

母は赤ちゃんの石像やフランス人形を買い集めた。
財布に女優の写真を入れ、可愛い子が産まれますようにと毎日マリア像の前で祈った。

結局長女は第二子よりお腹の中で大きくなってしまうと帝王切開の跡が裂けてしまう恐れがあるため、当時の技術で臨月より早く出産させた。
長女は母胎に負担をかけることなくアッサリと産まれた。
男の子と違う柔らかくて白い肌にパッチリとした目をしていた。
母は安堵した。
新生児室を見渡しても自分の子が不細工でないことにホッと胸を撫で下ろした。

母はそれから3人の子育てに追われた。
平日深夜に帰ってくる父、遊びたがりの長男に病弱な次男。まだ寝返りをうつことも出来ない長女。
誰も助けてくれない異郷の地で、初めて大嫌いだった地元に帰りたくなった。
母は少しづつノイローゼによるヒステリーになり、
突発的な母の癇癪により夫婦喧嘩が耐えなくなった。

父は母の癇癪に耐えきれず、できる限り逃げた。
出来るだけ残業し、帰宅しても車から出ず、休日も出勤した。

次男の病気が治ることはなかった。
包帯でぐるぐる巻きにされ、引っ掻き傷とステロイド跡、瘡蓋塗れの兄を見て、病院に連れられて来た子どもに「お化けだ」「バケモノ」とイジメに合うことも多かった。

長男が小学校に上がり、2年生になったところで転校が決まった。
父が病院長と揉めて転職をした。

新しい家は狭くて田舎で何の遊び場もないところだった。
それでも子供は棒きれ1つでもあれば遊ぶことが出来る。
しかし医療機関はそうもいかなかった。
次男を治してくれる病院がなかった。

母は色んな手段で次男を治そうとした。
漢方から一般療法、仕舞いには呪いや宗教に手を出した。

長女は産まれてからほぼ放置されていた。
母が家にいる時、次男の看護疲れで横になっている母の元へ駆け寄っては「遊んで」と声を掛けた。
母は「お母さん疲れてるから、ごめんね」と言った。
長女はひとり遊びが好きだから問題なかった。
しかし母は人と関わらせなければ、と思いよく団地の子どもたちと遊ばせていた。
母は自分が直接末娘に愛情を注げないことに胸を痛めた。

暫くして次男の病気が少し鎮火した。
半年だけ幼稚園に通わせることが出来た。
その時服用していた薬が漢方薬だった。

母は漢方薬のお陰でアトピーや蕁麻疹が薄くなった、と喜んだが父は成長と共に免疫がつき薄れていっただけで、漢方と病気の緩和について何の因果関係はないと言った。

それを争点に何度も衝突した。
東洋医学を信じて止まない母と、止めさせたい父。次第に漢方薬が買えなくなるように父からの経済DVも行われたが、母は生活を切り詰めて東洋医学、果てには見えないものに更に執着するようになった。

父は母との生活を苦に、転居と共に別で家を借りていた。
土日どちらかの数時間しか実家に来ることはなく、たまに泊まることはあれど結局喧嘩して父が怒って帰ることが多かった。

兄妹は父と遊ぶことが好きだった。
けどどうしても満足するまで遊んでくれることはなかった。

長男は録画したポケモンを見せたかった。長女は公園で仲良くなった犬を紹介したかった。

父が怒って家を出ていくと、長女は父が見えなくなるまでベランダで手を振った。
父も長女が見えなくなるまで手を振った。
やがて点になり見えなくなると同時に、部屋へ戻りワッと泣いた。

母が父性も担うようになったが、社会性を教えることはなかった。
身体や髪の洗い方も、乾かし方も歯磨きも、洗顔も掃除も必要性すら学ぶことが無かった。
皮肉なことに次男が入院生活で得た一般常識をこっそり教えることがあった。

父がお酒を飲んで深夜帯母に対してDVをするようになったのはその地に越してからだった。

兄妹たちは不眠症だったため、薄い襖の向こう側の彼らの声を聞くしかなかった。
長女はいつもハラハラと両親の様子を隙間から覗いていた。
次男はたまに様子を伺っていた。

長女が小学校に上がってから、頻繁に腹痛を訴えるようになった。
最初は保健室の先生に病気を疑われたが、どうしてか母親の顔を見ると徐々に治まってしまう。
学校から家が近いこともあり、歩いての早退が多くなった。
母のいる家で横になると次第に楽になっていった。

それを見た母は長女が嘘をついているのではと思うようになった。
病院に連れて行っても問題はなく、母が見ている限りは腹痛を訴えることがなかった。
母は長女を嘘つきと呼ぶようになった。

暫くしてから、ランドセルから遺書のようなものが見つかった。
それを見た母は激怒し長女を何度もぶった。

それから長女は深夜の両親の喧嘩の様子を眺める際に、知らない少女が一緒に付き添ってくれるようになった。
その子はまるで今までそこにいたかのように違和感がなく、両親の喧嘩も楽しそうに実況していた。
だから気がつけばストレスを感じ無くなっていた。

長女が小学校3年生になった時、父が単身赴任すると言い出した。
場所は聞いたこともない本州から離れた辺境の地だった。
母は目を輝かせている父が許せなかった。

父は寂しい人間だった。
ただ母に構って欲しい、でなければ長女に愛情を求められたかった。それなのに母の癇癪で何もかも上手くいかなかった。

父は同じ職場の女性看護師と関係を持った。
それに気がついた母は父を強く責め立てた。
そこから逃げるように遠くへ逃げていった。
もしかしたら認知していないだけで子どもが出来てしまったのかもしれない。
それ程切羽詰まった様子で出て行った。

兄妹たちは父親が週に帰って来なくても変わらない日常を過ごすようになった。
ピリピリとした家の空気を感じずに済むことに少し安堵したのかもしれない。

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