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おたふくと冥王星と人生のリマインダー

おたふく風邪で丸3週間出席停止になった。

小6の時だ。
それまでこれといって風邪を引くこともなくほぼ欠席ゼロだった健康体だったから、突然目の前に新しい世界が現れたみたいだった。
この3週間の「冒険」の記憶は、風邪で寝込んでいる時にみる夢みたいに、当時の日常の記憶から不思議と浮き上がって折り合わない。
でも、ひょっとしたらそれはまだ続いているのかもしれない。


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おたふく風邪の流行で僕のクラスで5、6人感染した。
でも、1週間以上休んでいたのは僕だけだったと思う。
それまで毎日ただひたすらに楽しいだけの小学校生活を送っていたから、3週間そのコミュニティから隔絶されるというのは、普通に考えたら結構なストレスだったと思う。
でもその辺りのことは具体的には何も覚えていない。
毎日友達がその日配布された授業プリントや連絡事項などの書類を帰りがけに持ってきてくれて、その時だけ友達と顔を合わせていた。
一体何を話したっけ。

実家は小学校から近いからチャイムの音や校内放送が自然と聞こえてくる。
今でも帰省した時にチャイムを聞く機会がまれにあるが、なんとなく聞き入っているとちょっと感傷的な気分になるのは、その時の見えない記憶がまだ何か役割を全うする機会を窺っているからかもしれない。

ともかく、そのときの学校とか友達の記憶はその程度しかない。
もっと、ずっと鮮烈に覚えている話をしよう。

最初の1週間は食事が苦行だった。
顎の下のリンパ腺が腫れまくっていて、刺激のあるものは絶対に食べられない。みかんやグレープフルーツは最悪だ。
最初は数日くらいは高熱も出ていたけど、1週間もすれば微熱くらいに落ち着いたはずだ。
腫れがすごすぎるせいで鏡を見ても自分の顔だと認識できないのが衝撃だった。鏡の前で手を使って顎のラインを隠しては外して、隠しては外して、と遊んで「これは自分!誰?これは自分!誰お前?」っていうくだらない遊びをした記憶がある。

2週間目になると、自覚できる不調はほとんどなくなって完全に長期休暇の様相を呈してきた。
この頃は毎日ドラクエ3(ゲームボーイカラー版)を遊んでいた。パーティ編成は忘れた。ゲーム内の双六めちゃくちゃやりまくったのは覚えてる。
でも毎日10何時間も遊んでいるとさすがに飽きる。
かかりつけの内科からもまだGOサインが出る感じもなかった。
症状なんてリンパ腺の腫れが戻ってないだけなのに。

親としてもほとんど平常運転の我が子がど平日に家で暇を持て余している状況をよく思うはずもなく、僕はある日家から連れ出された。
行き先は本屋だった。
確か小学生の頃から両親に書店に連れて行ってもらって1冊好きな本を買ってもらうというありがたい習慣?があった。
何か1冊本買ってあげるよ、と言われて選んだのがこちらの本。

「別冊日経サイエンス144 驚異の太陽系ワールド 火星とその仲間たち」

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ゲーム以外でこの頃一番興味のある分野は宇宙だった。
ちょっと背伸びして、この日経サイエンスの太陽系探査特集を買ってもらった。別にゲームの攻略本とかじゃなければ割となんでも買ってくれたと思うし、宇宙の本も他にたくさん目の前にあったはずだが、どうしてかこれを選んだ。

この特集のメインは火星探査だ。
2021年もNASAの火星探査機パーサヴィアランスの話題が一部界隈で活況だが、この特集では当時活動を開始したばかりの2台の火星探査車スピリットとオポチュニティによる報告が取り上げられている。
火星表面の画像はあまりに鮮明で、画像というより風景というほうが近い。
食い入るように見て、頭の中で赤茶けた荒野を歩き回るという遊びに夢中になった、かもしれない。

特集には惑星の他にも月や太陽、小惑星の探査の現状が綴られていた。
その中にワクワクしながら読んでいた印象深い記事がある(下図)。

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その当時打ち上げに向けて進行していた冥王星探査計画「ニューホライズン計画」の記事だ。
冥王星は非常に遠くにある小さな惑星(今は準惑星)だから、その詳細な地図を持つ人は誰一人いなかった。
そんな太陽系最後の未開拓惑星へ向けて、NASAが近々探査船を打ち上げるという。ワクワクしないわけはなかった。

探査機ニューホライズンズは予定通り2006年に打ち上げられ、9年以上に及ぶ冥王星への孤独な旅が始まった。



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結論から言うと、僕はこの探査機のことを、あるいはこの計画にワクワクしたことをすっかり忘れていた。
理由らしい理由はない。ただ興味が移り変わっただけ。あるいは時間が経っただけとも言える。

中学時代はまだ星や天体現象なんかに興味があったけど、次第に対象が変わっていった。
だんだんもっと包括的で根本的な、この世の真理みたいなことを知りたいと思うようになっていった。

だから高校の頃は、素粒子物理とか高次元時空とかそんなワードに惹かれてスティーブン・ホーキングやリサ・ランドール、ブライアン・グリーンなどの邦訳本をよく読んでいた。

「この宇宙がどうやって生まれて、今後どうなるのか」
「物理法則はどうして存在していて、どうやって現実世界に発現するのか」
「どうして現象を知るために数学が有効に機能するのか」

こういうことを妄想するのが楽しかった。もっとも、高校の頃は碌に物理も知らなかったわけだけど。
これらの著書には宇宙というワードは頻出するけど、火星や冥王星、太陽といった馴染み深かった言葉はまず出てこない。
つまり、この頃一旦「身近な宇宙」から「離縁」したのだ。


大学に入ってきちんと物理を勉強するようになってからは、さらに大変なことになった。面白そうな分野が物理学に限っただけでもたくさんあるのだ。
今までは「宇宙」という1つの大きなカテゴリーで括れたが、その範疇から明らかに逸脱することにまで興味が出てきた。
大学生活というのは、多感(?)な青年には刺激が強すぎる。
面白いことが多すぎるせいで、軸がブレるとかいう次元じゃない。

それでも残酷なことに時間は楽しければ楽しいほど急速にすぎる。

時は流れてもう4年生。2015年になった。
なんとか専門科目の勉強も食らいつきながら、これまでの学生実験や研究室見学を通して考えた。
物理学の分野は大雑把にいうと、素粒子分野の理論/実験、物性分野の理論/実験の4つの分野に大別される。
世界の真理に一番近そうな素粒子物理を少しでも理解したいという思いが、あることにはあった。
だから4年生の研究室配属では、素粒子理論を扱っている研究室に参加することにした。

研究室セミナーでボコボコにされないように、一読しただけではさっぱりわからないテキストと日々格闘する。
こうした日常は充実したものだったから、このときは他のことはあまり考えていなかった。
このまま大学院に進んでこの研究室で研究をやろうかな。
そんなふうにかなり成り行きというか、あまり確かな手応えや意志を持たずに同じ分野の友人とホワイトボードに向かって数式を並べたてて、あれこれ意味のあるのか無いのかわからない議論をしていた。
これまでのこともこれからのことも何も考えていなかったなと今は思う。


それでも、2015年に向けて11年前に設定されたリマインダーはほんとに予定通りに、僕の薄弱な意思とは無関係にその役割を果たした。


冥王星探査機ニューホライズンズが冥王星に到達し、その詳細を全人類に知らしめた。

ニュースで冥王星の姿を見た時は、もう純粋に感動した。
これが太陽系の最遠方の惑星の姿なんだ。50億キロ離れたところからこんな高解像度の画像が送られてくるなんて。
山脈の輪郭をなぞって、表面の詳細な凹凸から立体的な景色を想像した。
ついでにそこから見る冥王星の空の様子も想像した。
久々に自分の中で「身近な宇宙」がトレンドになった。

ちょっと世間の認識とズレるかもしれないが、物理学科にこのニュースに食いつく人はなかなかいなくて、仲間内でこの話題で盛り上がることはなかった。
でもそんなことはどうでもよくて、久しぶりに自分だけが共感できる、共有できる(自分だけなのでちょっと変な日本語だが......)ネタが見つかってちょっと嬉しいという感覚があった。

そして、ニュース記事でこの探査機の打ち上げが2006年だということを知った。
2006年といえば自分が中学の時だから宇宙関連の本は色々買っていたし、手持ちの本の中に探査計画の当時が書かれているものがあるかもしれないと思い、自宅の本棚を捜索した。

件の日経サイエンスはだいぶ埃をかぶっていたが程なく見つかった。
冥王星探査のページを開いてみると、確かにニューホライズンズは2006年に打ち上げられ、2015年に冥王星に到達すると書いてあった。

ニューホライズンズは50億キロ彼方の冥王星のデジタル情報だけでなく、手垢のついた日経サイエンスを通して、あの時の感動や日々の感覚さえも鮮明に蘇らせた。


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この後、所属研究室での院進を希望したが院試をパスできなかった。
単純に実力不足以外の何者でもない。でも考える時間はできた。
自分は今何がしたいのか?
本当に素粒子物理がやりたいかそれ以外の分野がやりたいか?
はたまた大学院には進まず就職?

なんとなく、宇宙を研究するのがいい気がした。
多分気がしただけだし、苦し紛れだったかもしれない。
でも、やっぱりこれしかないでしょ、という感じはあった。

過去の自分というか、記憶というのは業が深いなというお話でした。

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