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起きて半畳、寝て一畳

映画『花戦さ』の中で千利休(佐藤浩市)が豊臣秀吉(市川猿之介)に言ってました。天下を取り、傲岸不遜にふるまう秀吉と清貧を尊ぶ千利休。まったく価値観の違うふたりは、やがて引き返すことの出来ない悲劇へと向かってゆくのですが。

元々の言葉(それも怪しいのだが)はこうです。

起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半。

どんなに広い家に住んでも、人間が起き上がっている(立っている)には半畳のスペースがあれば十分だし、寝るのにも一畳あれば十分である。
また、いくら天下を取っても、一食に二合半以上の飯を食うことはできない。
人間が生活するのに、人間が生きていくのに、それほど多くのものはいらないということ。
必要以上に多くを望んでも、結局使うことができないので、仕方がないこと。
人間の際限のない物欲を戒める言葉。

由来は諸説あるようです。どこかの偉いお坊さんが弟子に説教したのかも知れないし、賢いだれかがキャッチコピーに使ったのかも知れない。

いずれにしても、ぼくはこのちょっとした映画の中のセリフに感銘を受けました。それもストーリーとはほとんど関係ない場面。主役の池坊専好(野村萬斎)に申し訳ない。

なるほど、人間とはそういうものだな。どんなに偉くなっても自分の身体すらデカく出来ないし、欲張っても我がの体内に摂れる食物の量は知れている。ホントに名言だなと。

映画『花戦さ』。僧侶であり、立花(生け花)の達人でもある池坊専好の破天荒な人生を通し、安土桃山時代のきらびやかな文化と人々の暮らしを描く。花を生け、平和への戦いに臨む専好。果たしてその真意は?彼の心情を読み解いてゆくのもおもしろい。

随所に散りばめられる花々の壮麗な美しさに目を奪われる。色とりどりで可憐そのもの。年ですかねぇ。若いころは微塵もこんな気持ちにならなかったのに。

さて、このぼく自身も清貧に生き、清貧に寝ております。でも残念ながら利休ほどの慎ましさも無く、清廉潔白でもありません。言ってみればまだまだ欲の塊。餓鬼畜生でございます。

茶人そして歌人、また当時きっての知識人でもあり多くの弟子や人々に尊敬され愛された千利休。じつは豪商でもあります。その彼がこのような生き方や価値観であるからこそ、活きてくるセリフなんですよね。到底、秀吉には利休の生き方は理解できなかったでしょうね。

起きて半畳、寝て一畳。

ぼくもかくありたい。精進して参ります。マジで専好さん、ごめんなさい。

映画はおもしろいですよ。オススメです。

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