布団を干すという、幸せな行為。

今朝は天気が良くて、近所の真っ白い壁のマンションの一面に、国旗みたいに布団がはためいているさまが、なんだか眩しかった。

子供ころに、日曜日にのんびりと起きると、働きものの母が朝早く起きて干した布団が、竹林をくぐって注いでくる太陽の光を浴びて日向ぼっこをしているのを見るのが好きだった。温かさと、冬のきりっとした空気が、ちょうどいい塩梅に混じる午前中の時間帯に、太陽を独占している布団たち。布団のくせに、私より早起きしたんだな、と思うと、なんだか自分が情けなくもなるが、自分の見えないところで、生活がちゃんと地続きになってたんだな、という気付きは、なんだかほっこりした気分にさせてくれた。その頃の気持ちを思い出した。

人間の生活とか、人間の世界には問題がたくさんあるのだけど、私はこの干されている布団というものを見るのが好きで仕方ない。

布団を干すという行為は、生活を着実にしている人の、着実に降り注ぐ太陽を吸収しようとする、まっすぐな生活の営みの体現だと私は思う。

もちろんその布団を干している家族、その布団の中で寝ている人達の生活が、悲劇に満ち溢れたものである可能性だって、往々にしてある。でも、布団を干す、という行為は、いまあるものを大切にしながら、未来を見据えて生活を紡いでいく着実な行為であることは間違いがない。だから、私は、そこに人の生活に対する人々の真摯な姿を見るのだ。

はためく布団たちの群れをみて、ああ、日本はまだまだだいじょうぶだなー、と思ったり、この布団の中の何人が本当に幸せだろうか、と思ってみたり。

親にいっぱい愛されて幸せなこどもをつつんだ布団だろうか?

介護されているおばあちゃんを包んだ布団だろうか?

不倫中のカップルをそっと包みかくした布団だろうか?

なんとなく、そんなことを考えてみると、人間が愛おしくなってくる。

このおひさまのにおいをいっぱいに吸い込んだ布団が、また持ち主の家族を温めてくれるのだ。なんて不思議で、途方もない、でも地味なサイクルだろうか。まるで命そのものだ。

来週で、また私は一つ、慣れ親しんだ世界から一歩離れる。

生活は変わり、世界も変わっていく。私はひとところにはとどまるのが苦手だからこそ、こうやって、生活をきちんと続けている人たちの姿を垣間見させてくれる、干された布団というものが、大好きだ。

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