Facebookをやめたら、こんないいことがあったよ。


東京→京都→沖縄に移住するにあたって、Facebookの使用頻度を減らしてきた。

そもそもアップデートするのも、見るのも恐らく一週間に数回程度だったので、完全にやめたところで、大した差はないだろう、と踏んでいたのだけれども、実際のところSNSから完全にマインドを切り離すことで、自分なりに素晴らしいことがあったので、書いてみようと思う。


まず、変な競争意識が減った。

あまり他人と比べて落ち込む、ということはそもそもなかったとう思うけれど、今では全くなくなったと言っていい。フィードに出てくる、自分の知り合いの知り合いの友達の妹の(要するに赤の他人)成功によって自分の価値が減少したみたいな女子中学生のようなメンタルに陥ることがなくなった。人生を簡素化すると、なんと人間はエレガントな気持ちになれることだろう。いいね、を何百も受けて、成功のまっただ中に要る人間に、素直に賞賛をおくるのは構わないけれども、自分とその人の歩いている道は違うんだ、自分には自分の人生のタイミングがあるんだ、ということをちゃんと覚えておかないと、人生は大変で、報われることのないレースになってしまう。

そして、何に関しても意見をもたなくては、という危機感がなくなった。

これは特に、政治関連のポストを読んだ時に顕著なのだけれども、自分がそもそもあまり知らない、よくわからない、ということに関して、”わからない”では済まされない雰囲気があったように思う。が、今はそういった物事に関してもニュートラルな姿勢を取れるようになった気がする。例えばだけれども、先日あった元米軍兵の沖縄での女性殺害の事件。その事件に口を出し意見できるほど、沖縄と米軍の歴史、レイプ殺害の比率や、実際に関わった人間たちの間で、どういうことがあったらこういうことになっているのか、ということが、事件発生直後は特に私は分からなかった。が、本土にいる知人(のもちろんごく一部ではあるけれども)が発生直後に、『日本は主権を行使すべきだ!』とか、『正義が勝つべきだ!』といったポストをしていて、実際にこちらで生活している人よりも激昂し、しかも意見を吐き出しているの見て、なんだか違和感を覚えた。それが間違っている、というわけではないのだけれども、ああやって直ぐに自分の意見(そもそもそんなものあるかどうかわからいし)を発表できる場があると、人間って、よくわからないものにも自分の意見を提出しなくてはいけないような、そんなプレッシャーを感じてしまうものなのだろうか。人間誰しもが、いつ何時も政治的関心や意見をもっているわけじゃない。そういう変な焦燥感がなくなったのはいいことだと個人的には思っている。

また、興味がないことに、時間を費やさなくなった。

友人のタイムラインに出ているから、という理由だけで、一体今までどのくらい大して興味がないサイトに足を運んだろうか。愚にもつかないような知識を詰め込んで(夫に一生大事にされる妻の条件10個!とか…)何か達成した気になっていた自分もどうかと思うが。いらないものはいらない、お腹いっぱいなときはお腹いっぱいですよ、という癖がついたので、よかったように思う。

中毒でなかった自分でも、こんなにいいことがあったので、一ヶ月でもいいからFacebook断食、してみてはいかがだろうか?今では特に好きでもなければ、必要もないので全くみないようになったが、これほど爽快なことはないですよ。

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