5名でお待ちの、『フリーザ』様。

スマホを格安SIMに変えたのだが、新宿ビックロの店員さんの対応がとてもよくて、びっくりした。

とても良い、というのは、なんだか説明しづらいのだが、

『親戚のガジェットに詳しい兄ちゃんとあーだこーだいいながら決めた感じ』

がして、とても心地よかったのだ。

最近は昔みたいに、スマホの契約も難しくなくて、説明も資料もかなりシンプルになったし、時間もわりと短時間、むしろ即日でできてしまう。そして、(競争が多いから、といういこともあるだろうけども)変なオプションをつけさせよう、とかそういうものがまったく店員さんからも感じられなくて、しかも詳しいことはよく説明してくれて、こっちも色々と初期費用抑えることができて、お互いにwin-winだった。

何かに詳しい親戚のお兄ちゃんに、説明を受けているときってそんな感じじゃないだろうか?

しかも途中からジビエは本当にうまいのか?ベストなゴリラを拝める動物園は関東圏ではどこか(※野毛山動物園がおすすめだそうです)という話も交えながら、さくさくと話が進んだ。(※ゴリラゴリラうるさくていってすみませんでした(´・ω・`))まあこの辺も親戚の兄ちゃん感がしてもとても楽しかった。

文化が多様化したこと、また評価経済になったことって、こういうところにも影響するんだなーと思った。ニッチ化していく経済の中で、本当によくて価値のあるものが残って言って、それは更には人の評価にさらされて、よくないものは淘汰されて、最終的に評価も良いものだけが残っていく。顧客サービスなんていうものは、親戚の兄ちゃんタイプ(=自分に害をなす可能性の低い人間)が、ムツカシイことをわかりやすく説明しながらやってくれるのが一番いいよね、と思った。

めちゃめちゃ商品に詳しく、勢いだけでゴリゴリいく営業マンタイプとか、信頼はできそうだけどあんまり商品のこと詳しそうじゃない、でも信頼だけはできそう、みたいな人間性だけで押してくタイプとか、そういうわかりやすい営業マンのテンプレはもう通じなくて、全体として調和が取れてないとダメな気がする。これだけオプションのある世界なんだから、その人が心からいいと思っていたり、本当に勧めたいものを売っている人のことしか、人はもう信じない。いかに真摯であるかを、顧客はよく見ているからだ。そして、当人が意識していようがいまいが、真摯である=うそのない人、だけが残っていくはずだ。

もちろん嘘がある場合もまだまだあるけども、人間ってそこまで馬鹿じゃないのだ。なんか、感じわるいね…っていうものは苦しさがつたわってくるし、感じ取ってしまう。

私みたいな、その場にあった適切な会話、みたいなものをちゃんとこなして、社交辞令をこなし、きちんとした大人の振りをするのが結構苦手なタイプにとっては、すごくいい時代になったな、と思う。だってさ、いつまでも、レストランの順番待ちのところの名前にはさ、『フリーザ』様って書きたいじゃない…!?

まあそれは全然関係ないんですけどね。いまだにやっちゃうよね、きちんとした大人の振りをちゃんとできないから、という話ですね。

まあ、何を言っているかわからないかもしれないが、そういうことだ。(えっ)

人間が真摯に、みんながその人『らしく』いられることを受け入れ、よしとすることができる世界で、あれ。

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