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考え抜くとは

最近気づいたこと。

会社で「考え抜いていない」と評価されることがあった。自分で発案したプロジェクトなので、誰よりも考えたいたつもり。もちろん考えたアイデアがうまくいったり、いかなかったりすることはあった。また、そのアイデアを実行する前に他者の意見を反映し修正することもあるし、他者の意見が自分のアイデアより優先順位が低いと思われれば、(合議のうえ)採用しないこともあった。そのようなプロセスを経ていてなぜ「考え抜いていない」なのだろうか良く分からなかった。上司に聞いても「その考えがポイントを外しているんだろうと」要領を得ない答え。

気になるので手持ちの書籍を調べてみたところ、『ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群』にある以下の一節が目に留まった。

ところで、だれもがほんとうに考える力が必要だと思っているのだろうか。あらためて問われると迷うのではないか。自分で考えるというのは難儀であり、大きな流れに身をまかせていた方が楽である。皆と同じように考え、皆と同じことを言っていた方が世の中は渡りやすい。皆もそれを期待している。世間でよくいう「もっとよく考えろ」というのは、「自分の頭で考えろ」という場合より、むしろ「まわりの考えに合わせろ」という場合の方が多いのではないか。/ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群(北川 達夫 、‎ 平田 オリザ)

「考え抜く」が「まわりの考えに合わせろ」ということであれば、もっと他者の意見を聞いて採用する頻度をあげることを上司は求めていたのかなと思う。

そうすることがプロジェクト成功に導くこともあるんだろうけど、まわりの考えに合わせることばかりに頭を使っていたら、「本当は自分は何をやりたかったんだろう?」という罠にはまりはしないか?

やっぱり結果としてポイントがずれていようが、「考え抜く」にいては「自分の頭で考える」が基本だと思う。



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