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『幽玄F』青の向こうの景色

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ


この本を読んだ人からは「ただようじゃないだろ……」と突っ込まれてしまうと思うが、ふとこの歌が浮かんだ。皆さんご存知の通り、牧水の一首である。

空を飛びたいというのは人類のロマンだ。そして、それは飛行機という技術で解決されている。

僕たちは、その気になれば空を飛び、海の向こうに広がる世界へビュンと行くことができる。

鳥が空を飛ぶのを見て、自由でいいなあと感じたことがない人はいるだろうか。青い空を背景に、自由に、気の向くままに飛び回る姿は、僕たちが囚われている日常という鳥籠の存在を浮き立たせる。

ここではないどこかへ、今日とは違う明日へ。いいなあと思ったことのない人は、おそらくいないだろう。


佐藤究さんの『幽玄F』を読むと、人類が空を飛ぶというのはなかなかに難儀で、むしろ地上よりも規則が厳しく、自由とは対照的な世界であることに気づかされる。音速を超える戦闘機に乗る場合は特に、だ。

言われてみればそうなのだが、戦闘機に乗って、自由気ままに空を飛んでいいはずがない。旅客機のルートと交わったら危険だし、もし意図せず他国の戦闘機と出会ってしまったら危険どころではない。真面目な話、燃料だってバカにならない。

重力から、地上から自由になろうとすればするほど、規則にがんじがらめになっていく。

この記事ではあらすじや本の内容それ自体のことはあまり書かないようにしたい。が、少しだけ、あらーく紹介すると、空に憧れた少年が戦闘機のパイロットになり、辞め、それでも空の世界で生きていく話である。佐藤究さんの小説としては、バイオレンスの要素は少な目である。

戦闘機に乗る、ということについては、これでもかというくらい語られる。速くてどうとか計器類がどうかとかだけではない。音速を超え、とてつもないGがかかり、上下の感覚を失い空に溶けていくこともあるような世界について、である。

そして、三島由紀夫と護国の思想と蛇と真言密教が入ってくる。

単語の羅列になってしまい、よくわからなかったら申し訳ない。

これ以上は詳しい話になってしまうので書かないが、一つだけ、単行本を買った人にはやってみて欲しいことがある。

単行本のカバーを外してほしいのである。

『幽玄のF』は、戦闘機に魅せられた一人の青年の話である。戦闘機が飛ぶ空の色は青だ。単行本のカバーも、いうまでもなく真っ青である。しかし、一度カバーを外すと、単行本それ自体がどのような姿になのか。

読む前ではなく、読んだ後に試してみてほしい。

『幽玄のF』というタイトル、そして読み終わった時の印象から、僕の頭には牧水の一首が浮かんだ。

「青」に浸されることは溶け込んでしまう、いや、青に飲み込まれてしまうようなもので、計り知れないものなのかもしれない。

白鳥は青に染まらずに漂う。溶け込みもしないし、ましてや飲み込まれることはない。

それでは、戦闘機はーーー。カバーを外した単行本の姿が、さまざまなものを飲み込んでいく「青」の正体なのかも知れない。

空の青の向こうに広がる景色を、ぜひ体感してほしい。

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