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もういけない店、もう会えない人「#1 うちの串は、塩で食べて」

もうなくなってしまったお店についての思い出をまとめた本を読んだことがある。色々な著名人や作家の文章をまとめたもので、『Neverland Diner 二度と行けないあの店で』というタイトルだった。

最近ふと思い出すお店があって、その本のことも思いだした。

ご飯を食べたいと思っている時、入ったお店が一枚板で奥行きと幅が広すぎるカウンターテーブルのタイプだと、「ああ、失敗したかな」と不安になる。

高校三年生の時、受験で初めて一人でホテルに泊まりどこで夕食を食べようかとなれない街を彷徨った時、「家庭料理」と書いてある看板を見つけ、入ったことがある。翌日が試験日だったので、安心して食べられるお店を探していたのだ。

家庭料理と看板に書いてあるのだから間違いないだろうと思って、雑居ビルの地下に降りる階段を駆け降り、半透明のガラスのドアを開けると、奥行きのあるカウンターテーブルがあった。カウンターの中に立っている二人の中年の女性がびっくりして僕の顔を見ていた。

定員らしき女性が二人びっくりしていることに僕も面食らったが、勢いよくドアを開けてしまった手前、とりあえずカウンターに一歩一歩近づいた。

30分くらい冬の街を彷徨い歩いたのだ。これ以上は明日の受験に差し障る。ここで決めないといけない。

「あのー、か、家庭料理って書いてあったので……」
カウンターまで近寄っても、まだおばちゃん二人とは距離があるが、とりあえずこちらの意図を伝えないといけない。

「ば、晩御飯を食べたくてきたんですが、家庭料理ってどんなものがあるんですか?」

顔を見合わせたおばちゃん二人は、おそらく目線を合わせることで超高速の会話ができるのだ。テレパシーの会話がなされた後、丸顔の方のおばちゃんが「えーっと、肉じゃがとか、ひじきの煮付けとかなら」と教えてくれた。

おお、やっぱり家庭料理ではないか。よかったよかった。どうやら肉じゃが定食のようなものがあるらしい。メニューは見当たらないし、お酒の瓶がいっぱい並んでいるが、やっぱり家庭料理のお店なのだ。このおばちゃん二人が作っているのだろうか。

「ありがとうございます!肉じゃが定食だとおいくらでしょうか?」

注文前に値段だけ確認しようとすると、キリッとしたメガネをかけた方のおばさんが眉間に皺を寄せつつ、でも申し訳なさそうに「ごめんねえ、うち、白ご飯はないのよ」というのだ。

何が起きているのかは分からなかったが、とにかく自分が何かを間違えたらしいことには少しずつ気がついていた。あまり傷口が広がる前にお店を出なければいけない。何かを注文する前に。

うまくお店を出るにはどういえばいいのかを考えているうちに、おばちゃん二人の間で話がまとまったらしい。とりあえず座りなさいよと言われ、促されるままに座ると、すぐさまおしぼりを出された。ふんわりと整髪料のような匂いがした。

「えっとね、あなた、学生さんかしら? 大学生?」とメガネのおばちゃんに聞かれた。今思えば、お酒を飲める年齢かどうかの確認だったのだろう。肉じゃが定食を出すのはいいとしても、確認が必要だったのだろう。

「はい、学生です。明日が大学受験で」というと、丸顔のおばちゃんもこちらを向いた。大きな口を開けたおばちゃん二人が僕の顔をまじまじと見て、ぴったりのタイミングで顔を見合わせた。またテレパシーだ。

さっきよりも長めの無言の会話の後、丸顔のおばちゃんが恐る恐る「あなた、高校生? 」といった。頷く僕を見て、「そう、高校生なの……」と下を見た。メガネのおばちゃんは天井を見ていた。

僕はおしぼりをビニールから出し、両手を拭いたところだったが、今が席を立つチャンスということくらいはわかった。

「すみません、なんか間違えたみたいです。すみませんでした」と席を立ち、半透明のガラスのドアをあけ、寒い地上に戻った。そのあとのことはよく覚えていないが、隣の雑居ビルの地下に入っていた洋食スタンドで、レーズンがご飯の上に乗ったカレーライスをその日も翌日も食べることになった。

今になればわかる。あの家庭料理のお店は、定食屋さんではなく、スナックだった。だからまだ夜も早い時間でお客さんもいなかったし、おばちゃんたちも油断していたし、そんなところに勢いよく高校生が飛び込んできて面食らっていたのだ。

びっくりさせてしまい申し訳なかった。しかし、僕も結構動揺した。幸い受験には響かなかったが、あの「ここから早く出ないと」と焦る気持ち、あまり思い出したいものではない。

お店に入った時、幅と奥行きの広い一枚版のカウンターテーブルを見ると、今でもひやっとする。自分が間違ったところに立っているのだと考えてしまう。

大阪の串カツ屋さんもそうだった。

駅前から少し歩いたところ、幹線道路の支流沿いに、三軒の飲食店が並んでいた。その串カツ屋さんは三軒並びの真ん中で、向かって左には沖縄風居酒屋があった。夜になると店内から賑やかな笑い声が聞こえてくる居酒屋だった。右側はよく覚えていない。

それまでも何度か、店の前を通ったことがあった。重たそうな木のドアと串カツの組み合わせが、自分の中でしっくりきていなかった。ある日、晩ご飯をどうしようかと恋人と相談していた時、ふと思いついて話すと「よし、行ってみよう」と素早い判断がくだされた。

2018年の、あれは何月くらいだったかは忘れてしまった。

例の木のドアはやはり重く、力を入れて開くと、思ったよりも勢いがついてしまった。バッと開いた先には、カウンターテーブルがあった。大きな、一枚板のカウンターだった。しまったと思った。

カウンターの中に立つ60歳くらいの男性が、こちらをみて、いらっしゃいと言った。店主だった。小さい割に、聞き取りやすい声だった。

大きなカウンターに、ゆったりとした間隔で6席ほど。テーブル席はなかった。カウンターの横にはお酒が並び、暖簾を挟んだ店の奥には調理場が細長く配置されていた。調理場には店主の奥さんと母親がいた。客は僕たち二人だけだった。

メニューにはサラダや一品などのアラカルトと串物が並んでいたが、串のコースがあったのでそれを頼んだ。これまで、ガヤガヤとした串カツ屋さんには行ったことがあったが、こんなにしっぽりとした雰囲気で串カツを食べたことはなかった。別に雰囲気に負けたわけではないのだが、ここではコースで頼むのが正しい気がした。

「天使のエビです」店主が1本目の串カツをそっと並べた。カウンターの高くなったところに置かれたステンレスのトレーに、揚がった串を置いてくれるのだ。

「うちは、塩で食べてください」
串カツを塩で食べてくださいと言われたのは初めてだった。ぎゅっとしまったえびの身は、確かにソースよりも塩があっていた。エビの後に出てきた串カツはどれも繊細な味で、やはり塩がよくあった。

お店にはいろんな種類の日本酒があった。初めてお店に行った時、「辛口のやつがいいのかな」と話していると、「だったら純米や吟醸だけじゃなくて、本醸造もありですよ」と店主のおっちゃんが教えてくれた。「本醸造ってだけで敬遠する人もおるけど、ちゃんと美味しいのもあるんですよ」と。

その串カツ屋さんには、恋人の住む町で会うと(当時は東京と大阪での遠距離恋愛だった)、毎回のように行くようになった。

何度かお店に行くうちに、おっちゃんがよく話しかけてくれるようになった。串カツの素材のこだわりから、天王寺で飲める美味しい樽酒から、正しい枡酒の飲み方まで。もとからお酒好きだったのだろう。脱サラしてこのお店を開いたと言っていた。

たまに奥さんも会話に加わったが、おっちゃんの横で微笑んでいることの方が多かった。串を揚げるのはおっちゃんだが、一品料理などは奥さんの担当のようだった。先付けの小鉢もとてもおいしかったけど、あれも多分奥さんの担当だったんだろうと思う。

結婚して、僕は大阪に引っ越し、恋人もその町から引っ越して妻になった。新生活が始まってしばらくして、そういえばあの串カツ屋さんに行けていなかったことに気がついた。

久しぶりにお店に行くと、奥さんとお母さんの2人がいた。聞くと、おっちゃんは体調を崩しているらしかった。

串カツは変わらず美味しかった。
もしや、串カツを揚げるのも奥さんの担当で、おっちゃんはサーブのみだったのだろうか。謎が一つ増えてしまった。

早く治るといいですね、また来ますね、と言ったものの、実はまだあれ以来数年間行けていない。新型コロナウイルスの流行があり、緊急事態宣言があり、そして僕はコロナとは関係なく体調を崩した。

お店に行く機会をなかなか見つけられないうちに、まだお店があるかどうか不安になり、ネットで調べるのも怖くなってしまった。もし、もう閉店してしまっていたら。おっちゃんにもう会うことができなかったら。

各駅停車に乗っているのが好きなんですよ、とおっちゃんが話していたことがある。
各駅停車の電車に乗って、ぐるっと回って帰ってくる、そんな時間の使い方が好きだったらしい。詳しい理由も聞いた気がするけれど、残念ながら忘れてしまった。

ぐるっと回って帰ってくると言っても、大阪市内の環状線の話ではない。大和路線、万葉まほろば線、阪和線を乗り継いでの話だ。大阪の天王寺、奈良、和歌山というのは、電車でぐるっと回ることができる。

僕も昔、ぐるっと回ってみようとしたことがある。ふと思い立って天王寺経由で奈良に行き、観光して、帰ろうと思った時に、路線図を見ていて和歌山にも行けることに気がついたのだ。

万葉まほろば線の次の電車を調べてみると、和歌山に行くまでに結構な時間がかかることを知った。かかる時間だけでいえば、奈良から天王寺に快速で戻って、これまた快速の阪和線に乗る方が早かった。ぐるっと遠回りなのに。
次の予定に間に合わなさそうだったので、和歌山にはいかず天王寺に戻った。

そんな話をしたらおっちゃんは、「でもたまにはええもんですよ。遠回りしても、途中で降りんけりゃ運賃は一緒やしな。ま、昔の話やけど」と笑っていた。横では奥さんが少し呆れたように、でもやっぱりにこにこと笑っていた。
思い出すおっちゃんの姿は、いつも大きなカウンターの内側で、優しく笑っていた。

幅の広いカウンターのあるお店に入ると、おっちゃんの姿を探してしまうことがある。もちろん、見つかることはない。

大きなカウンターが苦手な理由が、一つ増えてしまった。

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