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ドラマ「VIVANT」で甦ってきた旅のシーン

TBSドラマ「VIVANT」のロケ映像で砂丘、岩砂漠、大草原、ゲルなど海外の懐かしい映像がいろいろ楽しめた。しかも、初回からまるで映画みたいな派手な逃走シーンの連続だった。製作費用もかなり嵩んでいるな。パトカーと馬と装甲車で日本大使館を目掛けて突っ込んでいく。途中では警察犬の鼻をごまかすために肥溜めに隠れて、顔にもベットリ塗りたくる羽目に。堺雅人らメイン俳優3名にあそこまでやらせるのか。
初回映像だけに絞って海外ロケしたのかと思っていたが、ラストで役所広司が馬に跨って登場したので、まだまだ海外ロケ・シーンがあるんだと分かった。モンゴル系の顔つきとアラブ系の名前と風体がアンマッチなのが謎の国バルカ共和国らしくて雰囲気も良かった。

【註】冒頭の白砂漠は2005年にブラジル・レンソイスで撮ったもの

1.懐かしい旅の風景たち

(1)豊かな大草原と乾いた砂漠

ドラマの感想は寸評形式で逐次Amebaブログに書いてきた。それと同時に、このドラマを見ているとこれまでの旅の風景でいろいろと思い出した事がある。前半ではそんなショットをいくつか振り返ってみたい。
 
ひと事で言ってしまうと、TBSドラマ「VIVANT」の世界は大草原と砂漠。緑は豊かな生命の象徴であり、対する砂漠はVIVANT(フランス語で「生きる」の意)ギリギリの過酷な環境だった。
砂漠好きとしてはいろいろな砂の世界に入り込んだ旅の積み重ねがある。それは後で紹介する事にしよう。他方で、大草原の中に身を置いた経験はなかった。
確か2004年だった。もう20年ほど前になる。ドバイのデザートサファリでカザフスタン航空のCAさん2名とご一緒したことがある。明らかに日本人の顔つきだったので「日本人ですよね」と話しかけたら、2人とも固まってしまった。でもカタコトで話すうちにロシア語のありがとう(スパイシーバー)やダー、ニエットなど簡単な挨拶を教えてもらい、別れ際に「カザフには大草原があるから遊びに来て」と言われた。それはもう10年以上も前のことだ。
顔つきこそ日本人とそっくりだったのに、彼女たちが暮らしている内陸国の環境が全く異なっているのは考えてみると不思議だ。 世界地図を眺めてみると、カザフスタンとTBS「VIVANT」のロケ地モンゴルは僅かに国境を接している。おそらくベキ(役所広司)やノコル(二宮和也)が馬を駆っていた大草原がそこにも広がっていたんやないか。
 
まだ見ぬ大草原の雰囲気に最も近いのは、おそらく礼文島のたおやかな風景だと思っている。礼文島には4回ほど上陸しているが、この桃岩コースはいつも欠かさずに歩いている。標高200mに満たない場所でも高山植物に溢れている、花の浮島だ。
利尻・礼文の魅力は陸だけではない。海岸線に近い断崖に迫ると、眼下に沖縄と同じような碧い海が広がっている。ただ残念なことに、盗掘防止のために敢えてこうしたサブルートを雑草に覆って今では近づけなくなっている箇所もある。

<2017年・メルズーカ大砂丘>
<2021年・礼文島の桃岩コース> 

(2)スイスの高原地帯

私が実際に海外で旅した中で大草原に近しい場所を挙げるとすれば、どこだろう。ヒツジがのんびり草を食むニュージーランドの風景もいいけど、いささか人工的である。
それはやはりスイスだろう。7月のベスト・シーズンにユングフラウの山域を1週間くらいかけてゆっくりトレッキングした。日本の登山と違って高原地帯を気軽に歩けること、そしてユングフラウの氷河地帯も日帰りで2時間くらい散歩できた。とにかく交通インフラが充実しているお陰だった。
・アイガー氷河駅 ~ クライネシャイデック ~ アルピグレン
・ブスアルプ ~ バッハアルプゼー ~ フィルスト
・クラインシャイデック ~ メーンリッヘン往復
・ クラインシャイデック ~ ベンゲンアルプ
・ミューレン ~ ビルグ(シルトホルンの手前) 

(3)ヨルダン・ペトラ遺跡のロバ

かつて、ヨルダンのペトラ遺跡でエル・カズネのずっと奥地まで荒地を登った事がある。いざ帰ろうとして歩き出すと「下りはロバに乗っていけ」と誘われた。即座に「助かった」と思い、その誘いに応じた。
しかしいざ乗ってみるととんでもない。ロバはすぐ右手が崖になっているルートを平気で下り始めた。これってドンキーが一歩でも踏み誤れば大怪我しそうだ。ドンキーに怖いって感覚はないんだろうか。
およそ「VIVANT」で二階堂ふみ(柚月薫)が演じていたようにラクダの背で眠っているなんてあり得ない恐怖だった。おかしな妄想が始まると気分悪くなって「降ろして!」と頼んで、その場にへたり込んでしまった。
 
<2008年・ペトラ遺跡のロバ使い>

(4)ウルムチ郊外のゲル

ベキが仕切っていた闇の組織テントは決して一面的なだけのダークな存在ではなかった。テントの危機は孤児支援の危機でもある。そうした事態にあって、チンギスが事を丸く治めるのに適した過去を持つ人物像に設定されていた事でストーリー的に奏功した。
ノコル、バトラカ(林泰文)、ピヨ(吉原光夫)などテントの首脳陣はゲルの中で会議していた。そのシーンを見ながら、中国人に混ざってウルムチ郊外の1日ツアーに参加したのを思い出した。日本の小さな住宅1軒分くらいのゲルに入って、ティー・タイムがあったのだ。外装は地味でも内装は華やかなテントだった。
踊っていたのはカザフ族の女性。そして、ゲルの中で20~30人規模で食卓を囲むと家族の一体感が自ずと育まれてくるものだろう。 

(5)大好きな砂丘、そして岩砂漠

砂漠好きとしてはとても満足! 前半の逃走劇を見ていると、野崎寛(阿部寛)がハマり役でこっちが主役じゃないかと勘違いしていた。UAEのドバイなどで見掛ける赤白の布を頭に巻いたアラブ人の恰好も似合っている。
第一話で乃木憂助(堺雅人)が砂漠のど真ん中で置き去りにされた。乃木は砂丘の中で彷徨う。足元の砂はサラサラと静かに崩れ落ちて、急いで先に進もうにも思うに任せない。面白いもので、砂は雪崩を打ってどこまでも崩れていくものではない。いい具合に止まってくれる。
それが歩きにくいんだけど心地よい感覚なのを久々に思い出した。 私が砂丘を歩いているとあの感触を何度も味わいたくて、砂丘を斜めに下ってはまた登り返す、そんな事を何度も繰り返していた。
 
砂漠好きとしてはナミブ砂漠(ナミビア)、レンソイス砂丘(ブラジル)、ソコトラ島の白砂漠(イエメン)、ワディ・ラム(ヨルダン)、ヤルダンと鳴沙山(中国)、シンガトカ大砂丘(フィジー)、メルズーカ大砂丘(モロッコ)などいろいろ旅してきた。国内ではもちろん鳥取砂丘にも出掛けた。砂漠について語り始めると尽きないので、ここは以前に弊HPにアップした記事のリンクを2つ紹介して切り上げる事とする。

※参考:私が訪れた世界の砂漠(前編、後編)

私が訪れた世界の砂漠(前編) | Y's Travel and Foreigner (ystaf.net)

私が訪れた世界の砂漠(後編) | Y's Travel and Foreigner (ystaf.net)

2.馴れない漢字を咀嚼する

(1)「VIVANT」最終話に出てきた難解なワード

最終話にはなんだか難しい言葉がいくつも出てきた。別班・乃木(堺雅人)が早口で語ったワードが公安の野崎(阿部寛)の耳にストレートに届いたんだろうか。野崎がいくら優秀でも耳で聞いただけで正確に対応するのって神業じゃないか。
いずれも知らない語句だったのでつい調べてしまった。
 
・眼光紙背に徹す: 行間をシッカリ読み取れ、と解釈した。
 
・鶏群の一鶴: 「鶏頭となるとも牛後となるなかれ」よりも更に実態はシビア。デキル奴は桁違いにデキルって事で、NHK朝ドラ「朝が来た」でディーン・フジオカが盛んに喋っていた「ファーストペンギン」だな。
 
・皇天親なく惟徳を是輔く: 天は親しさの濃淡には関係なくしっかりと徳を積んだ者を助けるって事なのか。

(2)テレ朝「シッコウ」には老子の言葉

ちょうど同時期に放送されていたテレ朝のドラマ「シッコウ」では老子の言葉が執行官たちの詰所に掲げられていた。それが「天地は仁ならず。万物を以って芻狗となす(天地不仁、以万物為芻狗)」。
これは確かにその通り。芻狗は「すうく」と読み、藁で作った人形の意味だと知った。 明確に敗訴して悪あがきしている被告人の苦しみも分かるけど、何の落ち度もない人々が苦しむリビアの洪水もモロッコの地震もその映像を見ると無力感に苛まれる。大局的に捉えてみれば、人間なんてちっぽけな存在なのは尤もなのだ。
ちなみに老子の言葉はこう続く。「聖人不仁、以百姓為芻狗」。天地も為政者も個々の属性や民の事情を推し量ってまで細かな沙汰を下す訳ではない。
 
TBS「VIVANT」に出てきた 「皇天親なく惟徳を是輔く」は書経の言葉。これは孔子に連なる書物だ。他方でテレ朝「シッコウ」の「天地不仁、以万物為芻狗」は老子の言葉である。
たまたま同時期に放送されたドラマで孔孟の教えと老荘の教えが対照的に出てきたのも興味深かった。 片や徳を積めと説き、片やその徳が常に結果に寄与する訳ではないと述べている。
どこかの芸能人が叫んでいたように人生の若い時期に「努力は~、必ず~、報われる~!」と唱え続けて頑張るのはもちろん大事なこと。ただ、他方で「努力したんだから報われて当然」と勘違いして身勝手な自己主張をしてはいけない。プロセスと結果が一致しない事なんて世の中にいくらでもある。だから、孔孟も老荘もそれぞれの場面に応じた賢い教えなのだと考えたい。
 
まあ、自分のルーズな発想は孔孟より老荘に近いのは若い頃から分かっている。大学生の頃に荘子の新書本を読んだ事あるけど、そろそろ老子の本でも読んでみようか。

(3)中国人と話して知る四字熟語

それにしても中国4000年の歴史は深い。中国を旅したり中国出身の方と話してみると、「VIVANT」ほど凝った表現ではないにせよ知らないワードが出てきて驚く事がある。ここでは以下の4語を紹介したい。
 
・菊竹蘭梅
・一路平安
・紙上談兵
・細嚼漫咽
 
先ずは「紙上談兵」であり、つい最近出てきたのは「漫嚼」だった。どちらも唸ってしまった。
最初の方は4字熟語としてGoogle検索して直ぐに見つかった。「理屈ばかりの議論で、実行が不可能であったり実際の役に立たなかったりすること。紙の上で兵略を議論する意」机上の空論に興じている様って事だろう。
「漫嚼」を検索すると、そのものズバリでは該当なかったが「細嚼漫咽」と出てきた。「よくかんでゆっくりのみこむ.ものごとをじっくり吟味すること」。これもコンパクトに表現した秀逸なワードだな。スマホが普及して何でも即断即決する、ムダな情報は直ぐに捨象してしまう世の中だ。サラリーマンしている時にも、PowerPoint資料が普及し始めた頃から自分達IT企業の人間もユーザ顧客も反射神経で判断してしまう事が増えてきたと思う。そんな中で「漫嚼」は鈍い事ではなくやっぱり大事な事だな、と思い直した。
 
実は、中国を旅していると、日本人として漢字を書ける事はとても助けになっている。会話が通じなくなっても、筆談する事で何度となくその場を切り抜けられた事がある。
厦門駅前の安食堂で料理を食べていた時に、笑顔の店主から何やら声を掛けられた。何も判らず肯定したら、ドンともう一品運ばれてきたけどもうお腹が一杯で食べられない。そもそも頼んだ認識もなかった。そんな時に、「不要(プーヤオ)」の一言も言えなかった時にはその料理の代金を払うかどうか悩ましく、「折半」と書いてお互いに笑顔で店を出る事もできたものだ。
 
敦煌で2日続けて中国人の若者3人と莫高窟や鳴沙山(砂丘)を回った事がある。最初は彼らからスマホで中国語と英語を翻訳しながら会話を試みてくれて、とても助かった。でも、お互いに漢字とスマホで通じ合えると判って、そんなやりとりを始めた。細かい事はもう忘れたけど、最後の挨拶「一路平安」だけは覚えた。イールーピンアン、道中ご無事で。
 
もう10年以上も前だけど、杭州から上海へ鉄道で戻る際に腰が痛いので安いチケット(硬座)を避けて、軟座の票(ピョウ、切符)を買い求めた事がある。駅の構内はぎっしり詰まっている。チケット売り場では15ケ所くらいの窓口それぞれに20人くらいの長い行列が連なっていた。幸い混んでいたのは硬座であって、軟座はそこそこ空いていた。4人席に中国人の女性と2人だけで座る事になった。この女性とはカタコトの英語で話したが、次第に漢字で筆談も交えて長話になった。その時に知ったのが「菊竹蘭梅」だ。
この語順だと検索結果は見当たらなかったけど、「梅蘭菊竹」が見つかった。まあ自分の記憶が雑だったのだろう。「四君子。東洋画の題材とされる竹、梅、菊、蘭の総称で、草木や花のなかでも気品があり高潔であるところがあたかも君子のようであるところから生まれた呼称」とか。蘭州って地名もあるし、中国蘭もある。蘭は中国らしいな。

うーん、中国語ってまだまだ奥が深い。次の旅ではどんな人、どんな漢字と出会えるのか楽しみだ。

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