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文章に「醜さ」というスパイスをひとつまみ

私の文章を読んで、ピリッとしたしびれや痛み、苦みのような「刺激」を感じる人はいますか?

あるいは、なんだか無性に読みたくなってしまうような「やみつき感」をおぼえる人はいますか?

刺激、やみつき感の原因は、私が文章に入れたひとつまみの「スパイス」がきいているのかもしれません。

スパイスとは「みにくさ」。


私は、自分の記事に「みにくさ」というスパイスを入れています。

しばしば醜さ(みにくさ)は嫌悪や恐怖を引き起こす。対義語は美である。精神的な醜の意味では恥と同義で使われる(例:醜を天下にさらす)。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どの記事にも入れてるわけではないのですけどね。
ときどき、ひとつまみ入れてます。

私の中にある、汚くてケバ立っている気持ちや、みっともない部分。本当は、自分でも見たくないし感じたくない。

人に見せるなんて、ありえない。

noteでは、そんな私の「醜い」部分を文章にまぜこんで、みなさんに届けています。

なぜ?
「醜さ」が宿っているものに惹かれるから。

透き通ってつるんとなめらか、あかりに照られてキラキラした文章も、もちろん好きです。いいにおいであったかく包まれるような文章も。

でも、書き手の醜さ卑しさ、汚さがあざやかに表現された文章に出会うと、むさぼりたくなるんです。

そうそう。わかる。同じ。そうだよ。
醜いのは私だけじゃなかったんだ。
もっと聞かせて、もっと教えて!

読んだあと心にとどまる文章、また読みたくなる文章には「醜さ」がある。私はそう思うんです。

これって、一種の「スパイス」なのでは?


自分の好きなスパイスは「これがなきゃありえない!」ってくらい欠かせない存在になりますよね。

逆に「絶対むり。ちょっとでも入ってたら食べられない」ってくらい苦手なスパイスだってあります。

私の場合、おでんにはカラシが欠かせないし、おそばにはワサビ。周囲が引くくらい蕎麦つゆにワサビを入れます。ダチョウ倶楽部もびっくりなレベルで。

一方、私はパクチーが苦手。少量でもイヤです。
あとは、豚の角煮によく入っている「八角(スターアニス)」もいやだ。

でも、パクチー大好き!って人もいますよね。
「パクチー食べられないなんて人生損してる」なんて言われることも。

みんなそれぞれ、自分好みのスパイスがあるのではないでしょうか。

私は「醜さ」というスパイスがきいた文章に魅力を感じる、だから私が文章をかくときには「醜さ」をひとつまみ入れる。自分の文章を好きになりたいから。

……今日の記事にはふたつまみくらい入れちゃった。

みなさんには、好みの「スパイス」ありますか?


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