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中学3年で被災した私があの日見つけたもの #東日本大震災から12年

あの日どこにいて、どんな経験をしたのか。その経験が、どのように今へと繋がっているのか。東北の被災した地域で子どもたちの支援をする団体で働く人たちが、どのような思いがあって今の仕事にたどり着いたのか。

2022年にハタチ基金の助成先団体に加わった13団体。そこで働く人たちは、岩手、宮城、福島、それぞれの場所で子どもたちを取り巻く課題を一つ一つ拾いながら解決へと導くために活動をしている。

今回は、岩手県宮古市で中学3年のときに被災した、みやっこベースの八島彩香さんにお話を伺った。

NPO法人みやっこベース

震災後に地元の高校生たちが始めたボランティアをきっかけに活動をスタート。2013年団体設立、2015年NPO法人化。宮古市の子どもや若者が自分らしい価値観を育みながら、前向きな希望と意志を持つことができる地域づくりを目指し、地域での活動の機会を提供する場を作っている。子どもたちの居場所や交流の場となる街中のフリースペース「みやっこハウス」、小学生向け社会体験プログラム「みやっこタウン」など地域の魅力に触れる機会にも力を入れている。

八島彩香さん

震災を経験してやりたいことが見えた

震災が起きたのは中学3年のときで、卒業式を目前に控えたタイミングでした。
自宅は半壊認定を受けましたし、家族も私も避難生活を送る中片付けに追われていました。そんな中、今まで気が付いていなかったのですが、これまで意識をしていなかった地域の人との繋がりが目に見えるようになって。みんなが助け合いながら、コミュニケーションを取る機会が一気に増えて、人と人との繋がりやそのあたたかさに感銘を受けたのです。

私にとって震災は、進むべき道が見えた出来事でした。

インフラが復旧し日常を取り戻しつつある中、高校入学が1ヶ月遅れたこともあり、私は時間を持て余すようになりました。自分自身も被災した身ではありますが、「自分も人のためになることをやってみたい」と次第に思うようにも。でも、何をすれば良いのか、どこに行けばできるのか、当時は何もわからない状況でした。勉強と部活だけでは面白くないから何かしたい。そう思っているときに、みやっこベースと出会いました。

みやっこベースでは、自分たちが考えたアイデアを地域で実行できるように大人たちがサポートしてくれました。商店街のマップづくりなど地域に少しでも貢献できるような活動を行う中で、消極的で控えめだった自分の性格もどんどん積極的になっていったように思います。また、自分がやりたいことは「コミュニティデザイン」や「まちづくり」に関わる仕事だということにも気付くことができました。

学校と自宅の往復だけではできないこの経験を、次世代の後輩たちにも繋げていきたい。そんな想いから、将来みやっこベースで働くことを目標に、視野を広げるため県外の大学に進学し、その後就職もしました。2022年春、8年ぶりに宮古にUターンをして、現在みやっこベースのスタッフとして働いています。

宮古の小学生向け社会体験プログラム「みやっこタウン」2022年の参加者とスタッフ

被災経験がある若者たちのUターン

宮古では、みやっこベースのOBOGをはじめ、震災当時小中学生や高校生だった若者たちがUターンをすることも増え始めています。地元の企業に就職をしたり、中には個人事業を立ち上げる若者も。先々Uターンを検討している若者も多くいるように感じています。一方で、コロナ禍でのリモートワークであったり、副業やフレックスタイムの導入など、新しい働き方ができる企業が少ないと感じています。課題がある中でも地域の担い手が増えていく希望がここにあると信じて、私たちは宮古を支えたい若者たちを応援できるように活動をしていきたいです。

みやっこタウンの実行委員には、中高校生の子供たちが参加している

ハタチ基金は、「東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えられるその日まで」をコンセプトに、2011年より活動をスタートしました。2023年3月に12年目を迎え、残りの活動期間は8年となります。東北被災地の団体が、ハタチ基金活動期間終了後も子どもたちを持続的に支え見守れるように。そんな思いで、これからも皆さまからのご寄付とともに支援を続けてまいります。

ハタチ基金についてはこちら https://www.hatachikikin.com/


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