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甘いけど甘くないハナシ「今村秋」

今の時期は梨がとにかく美味しい。やたらめったらに果物を買い漁る私だが、意外と美味しいから食べたいと思って買う果物は意外と少ない。 買う果物の性質上、お世辞にも美味しいとは言えない果物もかなりある……その度に「私は経験を買ってる!」と思って耐え忍んでいる。

ただ、この時期になると大玉のあきづき梨が置いてあるのを見るとパプロフの犬のようにヨダレが条件反射的に口内を駆け巡る。これぞ垂涎ものというものなのか?

あきづきは1番美味しいと思う品種なのでぜひ食べて欲しい

あきづきはシャクッ…!と歯切れの良い程よい硬くて、果汁も多いし、そのうえ甘くて、これぞ理想の梨像?といったところである。あきづきの良さを描き綴っているだけで食べたくなってきてしまった、あぁ…私はあきづきの完全に虜である。私にとってこれは禁断の果実であった。かなり脱線してしまったが、これはあまり気にしている人はいないと思うがあきづきは食べた後のカスもほとんどない。これは今回の今村秋を紹介するにあたってかなり重要な事になる。二十世紀や幸水でもやや口に残るが多くの人はさほど気にしない。

これを書いている最中にも梨が来た。これで今年最後のあきづきになってしまうかもしれない。

あきづきへの愛が高まってしまって今村秋のことを何も紹介できていないが、多くの人は現在のナシといえば「甘いけどしつこくないさわやかな甘さ・果汁が滴るほどのみずみずしさ・シャクっとした歯切れの良い食感」を想像するであろう。そんなイメージを持った人に今村秋を食べさせたら、どんな反応をするのだろうか気になって仕方がない。

果皮はザラついていて、スポット(点)が多い

味の感想を書く前に今村秋の来歴を紹介したい。今村秋はかなり古い品種で高知県の高岡郡高岡町もしくは仁淀川流域の源産。栽培の起源はかなり古く江戸時代終盤(天保年間)には高知県吾川郡伊野町の石黒米蔵の庭には既に今村秋の古木があり、同村では「米蔵ナシ」と呼ばれ旨いナシとして接木をして増やされていった。今村秋という名前がついた経緯は2つあり、1つは明治2年に「高岡町」の今村庄太郎が福原伊勢八から「米蔵ナシ」を貰いうけ、実を付けた際に品質が優れていたので「今村秋」と命名した説。二つ目は各地の品評会でこのナシを出品したものに今村姓を名乗るものが多く、そこから「今村秋」と命名された説がある。しかし、今村昌耕『今村秋と新高梨』では今村家の本家の井村守屋がこのナシを東京の品評会に出品したところ優良品に選定されたものの、名前がついていなかったことから審査員の当時の農林省農事試験場の恩田鉄弥氏が出品者から名前をとって「今村秋」と命名したとある。今村一族が栽培を大規模に栽培していたために名付けられたという説もあり、ハッキリとはしていない。とにかく今村の名を持つ人物が関わっていることは間違いないだろう。

ちなみに日本各地に古いナシの品種が存在するが、高知のナシの在来品種はかなり特異なものでありルーツが中国の江南地方にあるとされる。新高や菊水などを作り出したかつてのナシ育種の威厳であった菊池氏も果実や葉など特徴から中国由来だだと述べており、今村秋を含む土佐系の品種は遺伝子解析の結果からも中国の品種とかなり近しい間柄であることが判明した。背景に室町以降の勘合貿易では応仁の乱の後に堺〜土佐〜琉球〜中国の寧波を結ぶ航海路が利用され、寧波や福建あたりでは大型のナシ品種があり、その際にそのナシが入ってきたとしても辻褄がつく。時代が進むにつれ海外との交易が盛んになり江戸時代になると高知に交易船が漂着した記録もあり、その船に積まれていたナシから派生したという可能性もある。また、土佐のナシ品種郡は地理的な隔離を受けたことでその独自の遺伝子が強く残った。 

明治期のものでは今村秋は確認出来ず。残念無念。せめて表紙だけでも。

真ん中:昭和5年のカタログ。下:大正5年のカタログ。脱線するが昭和5年のものにフェイジョアの記載。その時代にフェイジョアがあったことが驚き

その後の流通は意外と遅かったようで手持ちの資料では明治期のものでは苗木の販売が確認できず、苗木が出回るのは大正に入ってから。似たもので今村夏もあるが、枝変わりなどではなく同じ土佐の原産で江戸時代には既にあり、これまた今村姓の人が作っていたのと夏(8月頃)に採れるのでこの名がつけられた。明治20年代に一時的に栽培が広まるも日持ちがせず直ぐに淘汰。


昭和10年「原色果物図説」より。3月まで貯蔵でき、暖地のものの方が品質が良いらしい。

今村秋は昭和30年代後半(オリンピックが開催されたあたり)までは栽培があったが、主流品種では無く補助的品種であった。すき焼き等の油っこい食事の後に油落としのデザートとして食べられたようである。この時代から青果物も木箱から段ボールでの出荷が多くなり、均一なものが求められるようになり始めた。そのため実の形があまり良くなく、果実が大きすぎて品質にもバラツキがある今村秋は瞬く間に消えていった。またこの頃になると同時に収穫できる新高の普及、二十世紀の子供品種の幸水などの登場、栽培技術向上により二十世紀の栽培の容易化などさまざまな要因が複雑に絡み合っての結果だと考える。後は食味も大きく関係してると私は踏んでいる。

二十世紀 緻密な果肉と果汁の多さが特徴。風味もよく、少し酸味が効いていておいしい。

新高 果汁は多く、果肉は硬め。甘味はやや少なめで、少し素朴に感じる。最近ではかなり減ってきた。ちなみに今村秋×天の川とされていたが、遺伝子解析により今村秋ではなく長十郎とされている。

かなり大玉で重さは大きいほどよいとされる。原色果物図説によると真の味は400gを超えないとでないそう。

先のとがった形で形は尖円型、古い文献だと不正心臓型ともある。全てがこのような形のものではなく新高のように形の丸いものもある。

実際に食べてみたが、私が想像してよりもかなり衝撃的であった。40代以上の方はご存知かもしれませんが長十郎と呼ばれるナシがかつてかなり出回っておりまして、これも明治からの二十世紀と並ぶ昭和40年代までの2大主流品種でした。このナシはマズイので消えていったのですが、食べたことがない人は今の梨を切って食べる時に芯の周りを少し切り残してしまった時に「ガリッ…!」みたいな小さい硬い粒が潰れる感じた経験がおありだと思います。長十郎はまさにその食感。甘いが果肉全体がガリっとしていて今の梨とは似ても似つかないものである。何も知らずに食べて長十郎がトラウマになった人を何人か知っている。私はまだ食えたがこればかりはどうしようもない。

今のみずみずしいナシは新高のようにいくつか例外があるが、かなり二十世紀の影響を受けていると考える。柔らかくてみずみずしい梨の根源にして頂点。ゴミ捨て場で発見されたとはいえ、二十世紀の名を冠するのにふさわしい梨界のマスターピース。もしゴミ捨て場に生えた二十世紀の木がそのまま切り倒されたと思うとゾッとします。

長十郎 かつては1番栽培されていた品種。甘いがガリガリとした食感が受けず、品種更新の対象に

またまた話が脱線してしまったが、今村秋は長十郎よりもかなり凄かった。皮をむいている最中からもガリッ…ガリッという音が聞こえ、半分に切った時はザクッ…!とドラマで刃物などが使われるシーンの効果音のような鈍い音が響いた。私は覚悟した、これはやばいと。恐る恐る齧ると「これは梨なのか?!?!?!?」という感覚に襲われた。硬い、硬すぎる。ガリっとする石細胞の粒が大きいのか、歯で粒を潰そうとしても粒が硬すぎて歯が負けてしまうレベル。果汁がかなり少ないのも拍車をかけている、本当に少ない。噛むとただえさえ少ない果汁は流れ出てしまい、じゃりじゃりとした水気のない大根おろしのようなものが大量に口内に残る。昔はこういう梨は噛んで果汁だけ吸ってカスを吐き出して食べていた人もいたよう。酸味はなく甘いことには甘いが、その甘みを粉っぽいえぐみが打ち消してしまう。風味もすこし青臭く、お世辞にも良いとはいえない。

糖度11度弱。平均糖度がこのくらいの品種もあるので決して甘くない訳では無い。

本当に恐縮なのだが、これだけはそのまま食べ切ることができずに焼肉のつけダレにさせていただいた。弁解をさせてほしい、一緒に他の品種も送っていただいたが瑞々しく今年食べたナシの中でも1番美味しいナシであった。このナシの特性上の問題であり、栽培に問題があった訳ではない。その点だけはどうかご了承いただきたい。私はゴールデンタイム帯のグルメレポーターのようになんでも「おいしい!」とはいえないのだ。

日本ナシは食感ゆえに、リンゴなどのようにジャムやコンポートなどの加工には不向きとされており活用が難しい。隣の韓国では今ではどうかはわからないが、少し前まで今村秋が栽培されていた。昔の朝鮮では砂糖が入手しづらく、甘味料の代わりとしてナシがよく用いられた。また、文化的にも祭事や供物としてかなり重用されており、韓国ではソフトボール大の新高ナシが一年中手に入る。これは素直に羨ましい。余談になるが唐辛子も塩が高価であったために塩の代わりの防腐剤として普及したと言われる。
また、同国では焼肉などの漬けダレの材料としてもよく利用される。ナシにもパインアップルやパパイヤのように物質は違うものの蛋白質分解酵素のプロテアーゼが含まれており、特に今村秋はプロテアーゼの含有量が多い。梨を肉と一緒に漬け込むことは甘味料の役目を果たすだけなく、肉を柔らかくする効果もあるので理にかなっている。

他にも探せば今村秋の活用法は見つかると思うが難しい。昔の品種はなにか必ずワケがあって消えたワケだし、古い品種を残さなければと口だけでいうのは無責任である。せいぜい私にできることは古い品種を見つけたらなるべく毎年買い続け「買ってくれる物好きがいるんだ」と少しでも延命し、この記事のように情報を発信し、興味をもってもらうことである。数人ではあるものの、実際に今村秋に興味をもって「食べたい!」といってくれたフォロワーさんもいらしゃって、無駄ではなかったのだなぁと痛感する。本当にありがたいことです。また、今村秋を売って下さったかなひろ様にもこの場をもってお礼をさせていただきます。ありがとうございました。

《購入先》

かなひろ様より購入。一緒に送っていただいたかおり梨やあきづきなどは美味しかったです!またよろしくお願い致します。

《参考文献》


今村昌耕「今村秋と新高梨」農文協プロダクション、2019
田邊賢二「ナシの品種 来歴・特性よもやま話」鳥取二十世紀梨記念館、2012
村越三千男、「内藤植物原色大図鑑 第6巻」植物原色大図鑑刊行會、1935
石井勇義「原色果物圖譜」誠文堂新光社、1935
梶浦一郎「日本果物史年表」養賢堂、2008 
浅見与七ほか「新撰 原色果物図説」養賢堂、1971 

書くの疲れた…… 4時間かかりました笑 
全て読んでいただきありがとうございます。

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