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家族が天才だから自分も天才なんだと思ってた話

まじでツラい。このテーマ
私の幼少期から今に至るまでのバカデカコンプレックスと自己陶酔と承認欲求を大公開するような感じ。
なんでこんなテーマを掲げたかと言うと他にあんま話すこと浮かばなかったから。


私の祖父は芸術家だった。
実家(?)の近くに祖父と祖母の家があって、徒歩五分かからないのでしょっちゅう行き来してた。

その家は半分が祖父のアトリエになっていて、産まれた時からその空間があったから当たり前のように見ていたけど、正直、祖父は天才だと本気で思う。そのくらい凄いアトリエなのだ。

祖父は紙粘土と革で作品を作っていて、アトリエの中には今にも動き出しそうな、力強く派手で、眼に魂が宿っているような様々な種類の動物の作品が並んでいた。
玄関の門を開けると、2体のオスとメスのライオン。
ゴツゴツしたコモドドラゴン。壁には大きなサイの頭部。その横を這うオオトカゲ。
複数の不気味かつ鮮やかな色の人間椅子が囲う、大きなテーブル。
その上には天井に吊り下げられた大きなシーラカンス。
壁一面に、大きなキャンバスに描かれた祖父の油絵と少しだけ母の油絵が貼られ、その周りも隙間なく紙粘土で埋められていて、混沌としている唯一無二の、あまりにも独創的で狂気的で、誰もが目を奪われる空間なのだ。

色んな芸術作品がこの世にはあって、繊細なもの、リアルなもの、ダイナミックなもの、凄く計算されて作られているもの、時には価値が分からないアートもある。
素晴らしい!凝ってる!綺麗!と思う作品は沢山あるけど、それでも、私は自分の祖父のアトリエ程に情熱と魂を感じ、恐怖を感じ、心がワッとなる感覚を味わえたことがないのだ。


また、私の母も絵を描く。
母は昔から本当によく働いていて、その中で頑張って時間を割いて少しずつ少しずつ絵を進めていた。
ちなみに今も描いてる。

母の絵は、乾いてひび割れた大地に青い大空、その中央に人やものを描くっていうスタイルがほぼで、そういう景色と空間が好きなんだと思う。

母の描く人間は南米を思わせる色鮮やかな衣装を纏っていたり、ケンタウロスだったり、私と私の姉(をモデルにしている?)だったり。
貝殻や木の実、なんの種類か分からないけど鮮やかな鳥、など自然的なものが多くて、生命力とほんの少しの孤独感を感じるような絵だと思う。

祖父とジャンル、?というものは違えど、頭の中に常に壮大な景色が広がっているんだろうなと思わせる、そんな作品を作る人達なんだ。

私は、そんな空間を創る人間の、孫で娘。

だから、自分も当たり前に天才だと思っていた。
天才になるんだと思っていた

大袈裟にいうと笑

私は小さい頃から絵を描くのがすきで、内気で話すことや外で遊ぶことが苦手だったのもあるけど、とにかく暇があったら一人で絵を描いていた。

特に才能があったかと言ったらなくて(笑)
でも好きなものを好きなように好きなだけ描いていたから、小さい頃は周りに比べて絵が上手くて、この子は絵が上手い子だ!と思われていた。

小学生のときは図工とかで描いた絵がなんかの賞(大したことは無い)に選ばれたりがよくあって、破綻=絵が上手いってイメージになってたから先生たちもとりあえずこの子のを選んでおけば良いと思ってたんじゃないかと思う。

中学でも部活のポスターとか修学旅行のしおりとか頼まれたから描いたりしてた。

でも美術の時間は実はあんまり好きじゃなくて、絵が上手いって思われてるからこそ本気で描いてる所を見られるのが恥ずかしいって思ってたし、描いたものが皆の期待より下手だったらとか余計なこと考えてた。
まあ描くこと自体は楽しかったからそこそこ頑張っていたけど、私の中で、いつまでも褒められるのが嬉しくて本気で描いてるのダセーって思われてるかもっていう気持ちが湧いてきはじめて、高校に上がる頃には絵をあまり描かなくなっていた。
(家族に見られるのが嫌で隠れて描いたイラストとか途中ですぐ飽きて描くのやめた漫画とか色々あるけど)

とにかく絵っていうものが自分の中で、何よりも楽しい、夢中になるものじゃなくなっていった。

でも、自分は人より絵が上手いからっていう謎の自信と、描いていなくても描こうと思えばいつでも凄いものは描けるっていう謎の自信だけが残った(地獄)

また、私は小二からドラムをやっていた。
自分では覚えていないけど小二の時急に私がドラムやりたいと言い出したって母が言ってた。
なんでドラムなんだろう。よく分からん。

色んな習い事があると思うけど、小学生でドラムをやってる子はどちらかと言えば少数派だと思うし、実際にできた子は小学生の時私ともう1人と、少しできる子が1人って感じで、サッカーや野球、バレエやピアノと比べると確実に少なかった。

だからドラムができるって周りに知られた時凄く褒められて、めちゃくちゃすごいすごい言われた。
しかも女子で出来るのは私だけで、その時は小学生で女子でドラムができるなんてかっこいい!と言われたし自分でもそう思ってた。

でも私は当時(小4~6あたり)ドラムがめっちゃ好きかと言ったらそうではなくて、どうしても習い事だからやらなきゃいけないこと、好きな時だけやるんじゃダメなこと、て感覚があって純粋に楽しいだけの気持ちじゃなかった。

そんな気持ちで続くはずもなく、小6で辞めて、中学では吹奏楽入ったけどなんかフルートになって打楽器には触れず過ごして終わって。

高校生になって軽音部に入ってやっとドラムと再開した。
ドラム希望の子は最終的に(まともに覚えてるのだと)私以外は男子2人で、ドラム経験はおそらくゼロ?だったと思う。
私はやってなかった期間があるとはいえ経験があるから最初は周りより全然できた。
別に優越感は感じてなかったけど、少しだけ安心感はあったのだ。練習しなくても基本的にできるからって。
部活は週一でしか行かなかったし、練習もライブでやる曲を耳コピして叩けるようになればいいって感じだった。

でも、周りのふたりは、私がそんな風に適当にやっている間に、1年、2年過ぎると
気づいたら、なんか、めちゃくちゃ上手くなってた。
びっくりした。
個人個人の得意不得意はあるにしろ、力強くてとにかく楽しそうで、純粋に叩くのが楽しくてたまらないんだろうなって、私には見えた。
それを見たとき、本当に恥ずかしくなって、怖くなって、自分は小学生からやってたのに、こんなに簡単に縮められるんだって思って、周りから褒められてタカをくくってた自分をぶん殴りたくなった。

そして、絵も。
自分は周りと比べると絵が上手い、て思い込んでいた。何年もずっと。
たまに人間の上半身だけ描いて満足して、描いた気になってた。周りっていうのは狭い中学までの話で、私はその中で自分の実力を価値を見出してた。

けど年齢が上がるにつれて、友達の投稿や、Twitterで流れてくる他人の絵や作品を見る機会が増えていった。
同じ歳の、なんなら年下の、私よりも遥かに上手い、人体構造を理解した、光の当たり方を影のでき方、明暗を理解した、その上で個性があって独創的な絵を描く人が沢山いることを知った。
私が、滲むし上手くかけないからと思っていた水彩絵の具や、面倒くさそうって思って使わなかった油絵を、好きで楽しくて使っている人達が沢山いた。

私は、自分が何でもない人間なんだと思い知ってしまった。めちゃくちゃ悔しかった。
でも努力をしてない自分が悔しがるのも違くて笑

私はドラムも絵も、昔は楽しくて誰に見せるでもなくてもただ好きでやってた。

でもいつの間にか自分の価値を見せつけるためのものになっていて、楽しいと感じるより先に承認欲求が出てしまっている気がして、ほぼどちらもまともにやらなくなった。
小さい頃からやってたから、周りはまだやってなかったから、家族がすごいから、その才能を受け継いでるはずだから、いつまでもそれが続くと思って、何も努力しなかった。天才でもないのに何もやらなかった。(書いてて悲しすぎ)

ドラムは高校を卒業してから1回くらいしか叩いていなくて、絵はたま〜〜に気が向いた時iPadで描く程度。
他に上手い人が沢山いてそれが当たり前になってきて、最近はもはや悔しさとか無くなってて周りのそんな人達に凄いなカッコイイな、と思うようになった。
どんなに小さい頃からやってたって、キャリアが長くたって、周りにどんなすごい人がいたって、自分が本気で好きでやらなければ、あっという間に抜かれちゃう。当たり前だね。

こんな結論に至って呆気ないけど、今更、今からでも見返してやる!!!みたいな気は起きなくてそんなの漫画の世界の話で、そりゃやれば出来るしやり始めたらカッコイイけどそんな気力はなくて。

気が向いた時に出来ればそれでいいんだ。

でも最近音楽をやってる人と知り合い出して、その人たちが仕事をしながら楽曲制作に励む姿を見て、かなり影響を受けてて、かっこいいな、すごいな、私も音楽やりたいな、て気持ちがうずうずと湧いてくる事がある。

近々、久しぶりにスタジオ行ってドラム叩いてみようかな。ほんと全然やって無さすぎてリズム感覚まじで無くなってるし、なんも出来なそうだけど。笑
でも、なんも出来なくてもやりたい、上手く出来なくても楽しい、そういう気持ちが、半ばできるよりもずっと大事ってことに気づけたので、出来なくてもやる。!

そうやってやっていくうちに、自分の価値とか他人からの評価とか見られ方とか、承認欲求とかSNSとか何も気にせず、邪念ゼロで楽しんでた小さい頃みたいになれたら嬉しいっていう気持ちに落ち着いた。

まあ今の時代SNSで作品を見せることで自分を紹介したりこんなことが出来ますっていうアピールをして仕事に繋げたり、人間関係の幅を広げたりできるから、他人からの見られ方を気にするのが罪ではないんだけどね。
それによって本来の自分や目的を見失ってしまったり病んでしまうのがだめなんだよね、学んだ

これにて家族が天才だから自分も天才なんだと思ってた話は終わり。面白そうなテーマ出しといて中身はただ私がスッカラカン人間だったんですって自己紹介してるだけになってしまったけど、ようやく自分の1番のコンプレックスと向き合えた気がするから書いてよかった。
こんなんでも自分を好きになりたい。
好きになれるように今できることをがんばろ。

徹夜で書いてしまった。
頭痛い。吐きそうだから寝る。

破綻

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