破綻

note書こうとするとネガティブ反省文みたいなのしか浮かばん。自分はその程度の人間なの…

破綻

note書こうとするとネガティブ反省文みたいなのしか浮かばん。自分はその程度の人間なのだと思い知る。でも自分と向き合うために書く。あいうえおかきくけこ

最近の記事

宇宙船

小学生4年生の春 友達と二人で公園で遊んでいたら、友達が急に近くの山の方を見て 「宇宙船だ!」と言ってその方向へ走り出した そんなの見えなかったけどな、と思いつつも友達の後を走って着いていく いつものかけっこより何故か幾分も速い友達のスピードに追いつけず、山の入口の手前で見失ってしまった 仕方なくゆっくりと足を山の中に踏み入れる 暫く歩いていると、十数メートル先の整備された道から外れたところに子供が寝転んでいるのを見つけた 友達だ!と思い早足で近づいてみる 「あ

    • 下町への憧れ

      下町と呼ばれる場所が好き 下町にしかないような情緒感や懐かしい雰囲気、古びて年季の入った外観の建物が好き また、下町や古い商店街特有の、干渉しないあたたかさに安心感を感じる。 そういう場所に安心感や新鮮さを求めてよく行くのだけど、やっぱりなんというか、行くたびに自分はまだまだそういった場所や雰囲気に染まろうとしている段階なのだと感じる。 やはり下町で長年生きてきたからこそ滲み出るものがそこに住んでいる人や店を営んでいる人にはあって、そういった人達にしかないあたたかさがあり

      • ポジティブ、、❓

        定期的にめちゃくちゃ鬱!みたいな感じになる。 なぜなるのか分からない。 けど自分を取り巻く全てに対してネガティブな感情しか抱けなくなる。 よーし病むぞー!という気持ちはマジで無いのに、もう心臓と脳みそが完全にネガティブマインドに切り替わっちまって、いい事を考えよう!と1ミリも思えなくなってしまう。 でも正直、今の自分は全く不幸ではなくなんなら恵まれていると思うし、嫌だとか辛いとか思う事が日常において全く起きていない、順風満帆なはず。 なのに定期的にこういうマインドになっ

        • 心の奥の奥の奥の1番底に、どんなに成長してもどうしても消すことの出来ない感情があるのに、それを見ないフリしながらどんどん時間が進んでいき大人になっていくのが恐ろしい。 見ないふりをしていればその感情は薄まっていっていずれ何でもなかった事のようになると思って生きてはいるんだけど、 自分の中でどうしても煮え切らないことや、許せないことや、後悔してもしきれないことや、思い出すだけで胸が痛いことや、目の裏に焼き付いて消えない光景や、今でも夢に出てくるようなトラウマや、 そういう

          ばかぼけ反省文

          自分の人生と自分自身を卑下し続けすぎてしまったかもしれない。 私は自分に自信がない。 自信ていうのは自分が人生の中で選択してきたことの全てにおいての結果だと思っていて、自分の選択してきたことが正しいと思っていれば、正解だと思っていれば、悔いがなければそれが自分の自信に比例していくんじゃないかと思う。 私は選ぶ道をとことん間違えてきた自覚があり(バカだからちゃんと考えてなかったせいですが)、山ほど後悔があるので間違った選択の末に出来上がった今の自分が本当に好きじゃなく、じぶ

          ばかぼけ反省文

          ヴィーガンとかコムドットとか

          最近ツイッター(Xに変わりましたが私の中では永遠にツイッターです)を見ていると、しょっちゅうヴィーガンやコムドットをバカにしたり頭ごなしに否定しているツイートを見かける。 ※他にも色々例はあるけど私の中でなぜだか特にその2つがよく目に留まるのでこれらを軸に話してゆく まず大前提として私はヴィーガンではないし、コムドットも好きでも嫌いでもないくらいな感じ。 ただ、ヴィーガン思考の人の話を聞いたり発信を見聞きしたり、身近になるべく動物性のものを食べないようにしている人がいた

          ヴィーガンとかコムドットとか

          青春コンプレックス

          現在24歳、3月に25歳になりアラサーという枠にぶち込まれてしまう訳だが、私はこんな歳になっても未だ青春コンプレックスを拗らせている女版秋元康だ。 ・青春コンプレックスとは(Google先生より) 学生時代に遊びや恋愛、部活、行事を頑張り切れなかった人達が大人になって負い目を感じてしまう精神状態。 早い話が青春に強い未練のある状態 JKを経験済みの私からすると、正直【青春】という言葉を聞いて想像できるような青く爽やかでキラキラしたものは、実際の学生生活にはほぼ無く、こんな

          青春コンプレックス

          『こわい』ものの話

          こわい、恐怖だ、と感じるもの、誰にでも必ずひとつはあるかと思うんだけど、どかな❓😄 死とか病気とか幽霊とか、この辺は多くの人が怖いと感じるものの代表格だと思うけど、今回は怖いと思う人もいれば全く怖くないと感じる人もいるような、マイナーな恐怖について考えたいと思う。 まず私が怖いもの何?と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは絶叫マシーン。 まじであれは何が楽しくて皆さんが乗っているのか理解ができない。めちゃくちゃ高い所から猛スピードで落とされる、て、ただの拷問では?と思います。

          『こわい』ものの話

          好きな言葉は永久不変です

          永久に変わらないものってあると思いますか? 景色や建造物や生き物の見た目、人間の感情 わたしは、永久に変わらないものは無い、と思う派です。 この世にあるものはどんなものでも時間の経過とともに変わっていくもので、動物はどんなに抗おうとも絶対に老いていくし、植物もいずれは枯れていく。最新技術を用いて造られた新品の機械や建物も、絶対にいつか古くなる。 かつては最新で、人間の技術の進歩が喜ばれていたものが時間の経過と共に古い扱いになってかつての価値を失ってゆくサマが好きだ。 ゲー

          好きな言葉は永久不変です

          思いやりのある人でいたい。と思う話

          昔からよく学校の先生や大人に、思いやりのある人でいなさいって言われてきた気がするけど、思いやりって具体的になんだろうとふと思った。 私的に色々考えた結果、思いやりには色々なかたちがあって、その中の一つが 「それをやってもやらなくても総合的な結果は変わらないけど、それでも相手のことを気遣える行動ができること」 だと思ったわけだ。 どういう事かと言うと、例えばゴミの分別はできる限りちゃんとやる。ペットボトルのラベルとキャップを外してちゃんと中身を捨てて濯いで捨てる、とか。

          思いやりのある人でいたい。と思う話

          家族が天才だから自分も天才なんだと思ってた話

          まじでツラい。このテーマ 私の幼少期から今に至るまでのバカデカコンプレックスと自己陶酔と承認欲求を大公開するような感じ。 なんでこんなテーマを掲げたかと言うと他にあんま話すこと浮かばなかったから。 私の祖父は芸術家だった。 実家(?)の近くに祖父と祖母の家があって、徒歩五分かからないのでしょっちゅう行き来してた。 その家は半分が祖父のアトリエになっていて、産まれた時からその空間があったから当たり前のように見ていたけど、正直、祖父は天才だと本気で思う。そのくらい凄いアトリエ

          家族が天才だから自分も天才なんだと思ってた話