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テレビに出演した話。

AbemaPrimeに出演した。テーマは余命宣告というものだった。
初めてのTVで生放送、緊張して寿命が縮みそうだった。

一週間前に番組ディレクターから番組出演の打診があり、3日後には家族を取材、その4日後には出演。テレビの現場の時間軸というのは写真業界とは違ったスピード感と臨機応変さだ。

人見知りしない上にカメラ慣れしている息子は、取材中にいい動きをしてくれた。
僕も幼児の撮影を仕事で何度かしたことがあるけど、苦戦した記憶があったので親が言うのは例のアレですが、うちの息子は撮影しやすいと思う。

息子がブランコに乗って僕が隣で写真を撮っているシーンが放送されていた。
自分が撮影する姿って普段見れないので、僕としては新鮮だけど息子はいつもこの姿を見ている。そんなことが垣間見れた。

「体がキツくてテレ朝まで電車で行くのちょっと辛いっス。」とわかりやすくディレクターにタクシー使わせてとお願いすると、普通のタクシーではないハイヤー車で自宅からテレ朝まで送迎してくれた。
きっとテレビの世界では普通なのだろうけど、これも写真の世界ではあまりないことなので少しカルチャーショックだった。

みなさん真剣にVTRを見て、慎重に言葉を選んで質問をしてくださる。

TVに出ている方々は凄い。
僕はその方々を撮影する側の人間だったけど、自分が番組に出演させていただいて、その凄さを改めて実感した。マジで素人が番組でると頭が真っ白になる。

Abemaと並行して沢山のメディアからから取材の打診がきている。
こういったことにも徐々に慣れていかなければならない。

スタジオの照明は明るいけど、テーマが余命宣告なので空気は重い。
この空気こそが心配してお見舞いに来る人の空気なので、僕はお見舞いを基本的にお断りしている。なぜならばこの空気を和ますのが大変だからだ。

「余命宣告された方とどう接すればいいですか?」と質問された。

この質問は本当に難しい、人によってどうして欲しいかが違うからだ。
そっとしておいて欲しい人もいれば、社会との繋がりが途絶えたように感じ孤独感に苦しむ人もいる。その人に合わせて接するしかない。

健康な時にどれだけコミュケーションをとり、患者の人柄を知ることができたか。
その人に合わせるなら、その人を知らなければならない。優秀な医師ほど、時間をかけて患者の人柄を知ろうとする。

だから健康な時の生活や人付き合いが大切なんだと僕は感じる。

「日常と同じ接し方でいいですよ。」と僕は質問に答えた。
日常と同じであれば、宗教の勧誘も健康食品の押し付けもほとんど発生しない。
僕だって携帯電話を解約することもなかっただろう。
僕にとっては日常が消えたことが、大変だった。

一緒に出演された腫瘍内科医の勝俣範之先生は「安易な励ましだけは止めた方がいい。」と仰っていた。僕も全く同じことを思う。安易な励ましだけはダメだ。

安易な励ましの終着駅は地獄なのだと僕は取材をして感じた。
医師の方がこうやって発言してくださるのは嬉しい。

勝俣先生とは控え室で医療のあり方についてお話を伺っていた。
今までに主治医以外の複数の医師から医療についての話を聞いているけど、医師の本音というのは面白い。主治医と患者という関係でないからこそ聞ける話だ。

ガンというのは情報戦だ。
スマホがここ10年で進化したように、医療も進化している。
鮮度の高い、正しい情報を集めるかが大切だ。しかしはっきりいって困難だ。
医師というのはコミュケーションが上手な人ばかりではない上に、技術や知識、患者に対しての接し方などピンからキリまでいる。

そこに親族や友人がインチキ医療を勧めてくる。

患者としては、コミュケーションが取れない医師の正しい医療よりも、コミュケーションが取れている親族や友人のインチキ医療を信じてしまう。

重い空気を和ませる一番の方法は患者の笑顔だ。
こちらが笑顔になれば相手も笑顔になる。

帰宅して放送を確認すると自分の声に衝撃を受けた。
最近いろんな人にお会いしたときに、声が意外ですと言われるけど僕もそう思う、意外だわ。

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