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⑧45坪のオールウェイズ第三章「今も昔も、夢ものがたり」[3]特別編 /山崎ハコ・安田裕美


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–山崎ハコ・安田裕美–

令和3年7月4日

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外は朝からの相変わらず霧の様な五月雨(7月の雨はそう言うらしい)。
今観て来た「安田裕美の会」。
多くの観客が終演後、席を立つまでしばらく時間がかかっていた。
私自身も、もう少しこのままじっとしていたかった。
ある女性のある人への感謝と祈り、そして再び旅立ちへのステージでした。

劇場を出る。
現実に戻る気になれない。なおも余韻に浸りながらしばらくは傘もささず、濡れるがまま雨の原宿通りを歩いている。しかし気持ちは実に爽やかである!こんな世の中でこの気持ちよさ、久し振りである。

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どこかでニィニィゼミが鳴いている。今年初めてのセミの声。
そういえば去年の今頃は、初夏の風流に聴き入る余裕もなかった。四季はただ黙って通り過ぎていく焦慮の一年であった

コロナ禍の2度目の夏。世の中更に酷(ひど)くなっている。
しかしこの心の穏やかさは何だろう!
「安田裕美の会」・久しく忘れていた人として何が大切か、歌を通してそんな心に触れた会であった。

この感動があるからこそ、40年近く自分はライブハウスを続ける事ができるのである。

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人は、彼の事を雨男?と言っていた安田氏。ならばこの雨は、彼が流す七夕に3日早い敢(あ)ふの酒涙雨(さいるいう)。
人は2度死ぬという。肉体の死と忘却の死らしい。私は去っていった人達に、安易に“サヨナラ”と言う言葉は決して言わない。
これ程残酷な言葉があるだろうか。
勿論忘却という言葉など無縁である。
なぜなら友が気楽に思い出の中にやってこれないから、、、である。

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「安田裕美の会」

ある女性とは、歌手で女優の山崎ハコさん。ある人とは彼女の師であり、夫でもあるギタリスト安田裕美氏である。

安田氏が病で去り一年余り。ハコさんから久しぶりにメールが届く。
一周忌に2日早いが、7月4日原宿クエストホールで「安田裕美の会」を公演します。しのぶ会の意味もありますが、ごくごく普段着のままご出席を、とあった。

まるで安田氏自身から来た様な、気配りのきいた案内状。気の置けぬ、彼の人柄そのものの文面である。
昼の公演は音楽関係の方とあり、少々野暮用あり夜の部、一般チケットを取ろうとする。どこのプレイガイドも全てソールドアウト。
当日は昼の公演に出席する。
私としては珍しく30分早めに到着。すぐホールに入る。

この手の会の仰々しさは一切なく、正面に安田氏が写っている大きなスクリーン。その下に献花台、上手、下手に花ばなのディスプレイ。お別れ会的意味もあったろうに、私はいつもの二人の演奏会を聴く気分で座っている。

ベルが鳴り、いよいよ、献花台も取り払われる。
会場が薄暗くなる。
広い舞台中央に浮かび上がる椅子が一つ。安田氏の定位置には明かりも椅子もない。

思い知らされる瞬間である。

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     山崎ハコさんが登場。

「安田裕美の会」の趣旨を語り、歌手山崎ハコのステージが始まる。

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最初のラママでの歌手山崎ハコの第一印象は、まるで晩秋の落ち葉の重なった一葉(ひとは)の雫(しずく)から飛び出してきた、チョッピリいたずら好きな、自由奔放、可憐な水の妖精(オンディーヌ)。なんとファンタジーな雰囲気の人だろうと感じたのです。

流れるでもない薄茶色の水溜りの水面をゆたゆた(緩かに)静かに飛ぶ、ウスハ・カゲロウのようであった。

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ところが実際は、気さくで屈託のない人物。更に表現者として居る時、彼女はファジーな表現など微塵もない

彼女の歌は、まるで季(とき)を経て幾層にも重なり合った落ち葉。

その落葉(らくよう)していったその時々の記憶の一葉一枚(ひとはいちまい)を、丁寧に思いめくりつつ、それを素朴ではあるが、自身の赤裸々な言葉で詩(うた)にする。

まるで自身の語り唄の様である。

蓄積された感性が湧水のように、純ではあるがそれにしても余りにも凄まじい!

あの感情表現のリアルさは、女優の人生(命)の語り部である(織江の唄、作詞五木寛之)。

既存の曲リンゴ追い分も良かった。美空ひばりとは又違ゔリンゴに人の命をみる゙。まさに人生つづら織である。また唄いっプリ(粋さ)も絶品であった。

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今ハコ・セレクションを溢れるようなボリュームで聴いている。特にハコさんの望郷から、「ごめん、、、」迄わずか数曲なのだが生きてゆく一人の女の業を、まるでドキュメント映像を観るがごとく見事に聴かせてくれる。

「まざまざと全てをさらけだす。勿論それが実体験や想像から来るものであるのだが、それにしても表現者山崎ハコの天性の凄さ、今更ながら驚かされるのである」   

そして更にギタリスト安田裕美氏は、美しくも切なく心のヒダで弾き、妙(たえ)なる情感を空気の響きにすり替える。 

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「しかしそれ以上に彼の素晴らしさは、その歌の主人公の悲しみ、辛さを慈しむようにつま弾き、優しく包み込む音色にある。」

これは決して真似は出来ない。人としての彼の温もりそのものであるからだ。素晴らしいテクニックでダイナミックに弾くアーティストは何人か知っている。
しかし彼のようなギタリストは初めての出会いであった。

何千という観衆が居ようとも、私一人の為に弾いてくれている。皆そう思うほど、一人一人に寄り添い語りかける。

その時すり替わった情感を、息を潜めそっと吸い込む。全身に沁み込んでゆくギ ターの深い響き。望郷のイントロなど一瞬のうちに、私の孤愁の情感が奏ではじまる。

ハコ・セレクションでも改めて宗次郎の素晴らしさを際立たせ、知らしめる「悲しい水」。「白い花」ではギターでの主人公との語り合いの様。阿久悠作詞「東京港町気分」、そして望郷。聴けば聴く程やっぱりいいよなと思うのです。

彼のギターのしらべ。穏やかに呼吸を感じ合い演奏する二人。そして全曲優しいこのリズム。どう表現したらいいのか。彼のギターは、まるであやしながら母親が歌う子守唄。唄であれ、演奏であれ一番大切なものが何であるかを教えられた気がする。

そして朝露の微睡(まどろみ)から目覚める、静香(せいか)な一瞬を捉えたようなエンニオ モリコーネの「ニューシネマパラダイス」。

あのギターの表情も、愛情溢れる優しさとしか言いようがない。

今回(安田裕美の会)もV T R(生ではなく)の演奏ですら、イントロ四小節で水を打ったような静けさに一変したのである。

そんな彼を何度となくラママでミニコンサートをオファーするも、彼は困ったように、でも嬉しそうに、しかし決して首を縦に頷いてくれなかった。

その理由をこの日「安田裕美の会」で彼のアーティストとしての答えを知るのでした。          

自分はメインで表に出るのではなく、あくまでも裏方に撤したい” のですと。

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「安田裕美氏、伊佐なつきさん(シンガーソングライター)」     於ラママ

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私が歌手山崎ハコを知ったのは、随分前である。
俳優時代のモダンダンスの先生から突然、
“若い歌手で山崎ハコ知ってる?”とO先生。
“あの娘(こ)いいわよ!”と言われてからである。すぐにLPを買って聴いたのを覚えている。

特に望郷 「(今は横浜に移り住み、痕跡すらないであろう、幼き頃の遠き故郷への想い。)                ―故郷は、遠きにありて思うもの、、、ー(遥かなり故郷の山はありがたきかな)」である。

(MCで語るおばあちゃんのお話しもその頃の思いで、、、かな?) 当時の自分と重なって、参った。            それから俳優を辞めてライブハウスを始めて30年位立った頃、ラママの汗の染み込んだこの手作り空間で彼女の歌を聴きたくて、アポを取るも連絡がうまくゆかない。

しかし偶然とは実に素晴らしい!!


役者でもあり、椿組(プロデュース制作集団)の主宰者。
ゴールデン街クラクラのオーナー外波山文明氏の店に、チラシ(友川カズキ氏)を置きに行った時である。
ふとその話をしたのでした。
するとなんと“ハコちゃんはよく知ってるよ新宿夏の風物詩、
椿組の花園神社での公演に、楽曲提供や出演までしてもらっていると言う。

今は事務所もなく相方のギターの安田裕美さんが、マネージメントをやっているという事であった。         すぐにその場でオファーをしていただき、スケジュールがあえばOKらしい。

ただ彼のスケジュールがレコーディングで忙しく、一年位待ったころ、外波山さんから、スケジュールokと返事がきた。

すぐにスケジュールを押さえ、うれしさのあまり、閉店時間大幅延長。真っ赤な顔でクラクラ、フラフラしながら、上機嫌でタクシーの釣り銭を格好つけて受け取らず、ラママに帰っていった男がいたのである。

そして安田氏は元小室等の“六文銭”のメンバーであった事を聞き、さらに親しみを覚えたものでした。

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アッと言う間に40分程の「安田裕美の会」もハコさんの最後の一曲となる。「ごめん、、、」。
この一年ハコさんの心中、いかばかりと目を閉じて聴きました。
そう思ったお客は私だけではないでしょう。
色々な場面の思いでが走馬灯のように、去来しているのだろう。感情の赴くまま、ギリギリのところで歌い切る歌手山崎ハコ。

ごめん、、、」という感謝の言葉に、さよならの代わりを知らされたのでした。

私はいつもの安田氏の定位置に椅子に座った彼を感じていました。
今回の「安田裕美の会」!本当に嬉しそうな表情をした裕美さんを容易に想像できたのです。            

終演後ハコさんに声を掛けた時、歌手山崎ハコの唄の中に、妻としての語りの中に、又当日スタッフの心配りさえ、、、思わず声が震えてしまいました。       

それほどにはったりの無い、人生を奏でた安田裕美氏に相応しい会であったのです。     

     季の雫

私は、この3ヶ月近くで軽く50時間以上山崎ハコ・セレクションを聴いている。望郷の中の遥か彼方に聴こえている刹那的なチェロの響き。

各楽器の録音配置もいい!

勿論各アーティストの素晴らしさもありますが、全く飽きのこない作品です。この2年間、私の憤怒の滝登りも少し和らぎました。
今更ながら、音楽の素晴らしさ、少しでもそれに携わる者として感謝した1日でした。
※ブログを書こうとするも、世の中余りにもメチャクチャ!しかし何とか今日中に書き上げないと、と思い、夕方からリピートセットして山崎ハコ・セレクションを何時間も聴きました。

さすがに明け方には少々疲れて、何故かYouTubeの作業用BGMの音楽にきり変える。
そのまま眠ってしまいました。 

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目覚めれば昼の12時を回っている。
相変わらず、今日も小雨が降っている。止まっているスイッチを入れる。

レトロなスピーカーからブルースが流れてきました。こんな楽屋(兼試聴室)で、雨音を聞きながら真昼間のブルースもいいものだと思えたものです。

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願わくは、彼のギター、そして彼女の唄を聴きながらお読み頂ければ、何故か優しい魔法にかかるかも。

写真の使用スミマセン。改めて連絡いたします。

現在「45坪のオールウェイズ」8本掲載しています。お読み頂ければ嬉しいかぎりです。

安田裕美(ギタリスト、プロデューサー、作曲、編曲家)

初期「六文銭」に参加。
以後小椋佳、井上陽水、山崎ハコなどステージ参加。また、編曲では松山千春、アリス、堀内孝雄、石川さゆり、他多数のアーティストの作品を手がける。

山崎ハコ(シンガーソングライター・女優)

1975年「飛びます」で歌手デビュー。以後数々のアルバムを出す。代表曲、望郷、織江の唄、サヨナラの鐘、ごめん他多数。阿久悠作詞の「東京港町気分」もハコ独特の世界観で唄い高い評価を得る。(一般未)

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★山崎ハコ・セレクション

「ギタリスト安田裕美の軌跡」収録、小椋佳、井上陽水、中村雅俊、石川さゆり、山崎ハコ、松山千春、宗次郎、松原正樹、菅原進多彩な顔ぶれ。

私のブログの場合、公開後1、2週間時には一ヶ月以上色々(誤字、写真の差し替え、笑ってしまう稚拙なミスや造語等)内容も含め修正いたします。お許しの程。紙原稿からスマホに掲載すると余りにイメージが違います。ただこの媒体のいいところでその場で、より良い内容にすべく、気持ちを書き加える事も出来ます。暫くして再度お読み頂ければ面白かも。よろしくです!

「ラママ新人コント大会」暫く、暫くお待ちください。

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