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部活を辞めるという選択肢を当時の僕は知らなかった

中学からバスケをやっていたから、高校でもその延長線でバスケ部に入ることにした。運動は苦手な方だから、別のスポーツはやる気になれないし、新たなことを始めるにも勇気がなかった。

バスケ部は、夏休み前に大会があり、そこで負ける3年生の先輩は引退となる。そして、2年生が新たにチームの中心となる。

高一の僕は、大会後に病気になり1ヶ月くらい部活ができなかった。その間、チームの雰囲気は変わってしまい、僕が戻る頃には居場所はなかった。それでも頑張って食らいついていった。

僕の高校は進学校であったから、みんないずれ難関大学を受けるのだろうと当時から考えていたはずだ。しかし、高校のスローガンに「文武両道」を掲げており、部活加入率も95%を超えていた。だから、勉強ができないからといって部活を辞めるという選択肢はなかった。というより考えつかなかった。それは生徒だけでなく教師も一緒だったように思う。

バスケ部はみんな真面目だったから、毎日一生懸命練習した。けれども強いチームとは言えなかった。顧問は強いチームにするために、練習をきつくし、練習外の行動を縛り上げ、どんどんとチームは軍隊化していった。その結果、雰囲気の悪いチームができていた。

夏休みのある日、練習の雰囲気が悪かったため、顧問は職員室に戻ってしまった。仕方なくみんな勢揃いで謝りに行くと、「部活をやりたいように感じられない。一人ずつ、部活を続けるか部活を辞めるか言え」と言われた。正直僕は部活をやりたくなかったが、それと同時に辞めるという選択肢はなかった。

こうしてなんとか部活を続けることになるわけだが、状況は何一つ変わらない。ここには書かないが理不尽なことが多かった。部員も顧問も関係性が悪い部活がいいわけがない。部活がつまらないと思い続け、引退する日を指折り数えることしかできなかった。

そして、3年生の夏、大会で敗れ引退が決まった。その瞬間とても晴れやかな気持ちになれた。その日、3年生から後輩へ引退スピーチがあるのだが、僕は「大変なこともあると思うが、いつか人生の糧になると信じて頑張ってください」と言った記憶がある。この部活を通して人生の糧になったのは、「社会には理不尽なことが多いから、自分を信じて理不尽から逃げることが大事」だということである。

部活を否定する訳ではないが、部活でしか得られない経験というのは、人生の極一部でしかない。身をもって感じた理不尽は、こうやって昇華することで、人生の糧とも言えるのかもしれないが、そんなものはなくても大丈夫だ。高校時代は特にこれからの人生を左右するため、理不尽なことから逃げ、必要だと思うことに取り組んだ方がいい。

高校を卒業して、浪人、大学、休学、大学院、中退、就職と進んできた。今の僕から見ると、部活での出来事は、社会で得られる経験は世界のほんの一部しか映していないのだとはっきりわかる。つらい部活を続けるくらいなら、勉強に励んだり、新たな趣味を見つけたりする方がはるかに有意義であると今になって思う。だからといって、つらい部活を否定することも僕の過去を否定することになってしまう。部活だけでなく、人は失敗や後悔を度々起こす。そんな自分を許容することで、これからの人生をより有意義にしていくことができる。

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