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割と気楽記事。

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文章を書いていて、書きたい文章の深さにムラがあるので分類分け。明るいかはあれだけど、暗くはならない。より深いのは別マガジン。
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記事一覧

知りたくなどなかった、愛しい喜怒哀楽たちへ

拝啓  私の愛しい喜怒哀楽たちへ はじめに正直に書きます。書いてしまいます。 言わないできたので、ここでくらい書かせてください。 わたしはあなたたちに出会いたくなんてなかったです。 貴方達に出会わなければと心の中で何回だって思ってきました。 経験したくなどなかった物事で出会った貴方達。 貴方達と、私は出会いたくなかった。 近しいものになりたくなかった。 強い悲しみ・憎しみ、絶望感、無力感。 貴方達がこの世に存在するなんて知りたくもなかった。 そういうのは物語の中の話で

complicated birthday.(複雑な誕生日)

誕生日。 その幸せなお祝いの日に、happyという形容詞をなんだかうまくつけられなくなった。それはいつからなのだろう。 たぶん本当は子供のころからそうだった。 でも、その日は子供の私にとっても同じく子供の友達からしても、誕生日というのはハッピーバースデーという日だった。 それはhappy birthdayとしてあった。 そうありたいと思ったし、そうであってほしいと願っていた。 happyに込められた、「しあわせな・嬉しい・幸福な・祝福された」 そういう一つ一つと、私の

分類するということ

分類すること。 あるべきものをあるべき場所に置くこと。要は整理整頓。 そういうことだけで、物事は大きく変わったり 付加価値がついたりする。そう思う。 わかりやすいところだと、ビーチコーミング。 砂の中に埋もれたガラス片を集めれば、それを使ってアート作品ができたりする。 流木を集めれば、アクアリウムが趣味の人に売れたりする。 砂つぶだって種類ごとに集めたら、地質を示す標本が出来上がる。 誰かが集めて。 集まったところに、集まったものに、 人々は集まってくる。 集まった

「人」というものは見えない方がいいのかも

前回、「人が居るということ」という記事を書いた。 その時の気持ちの方向性は 人がいることを、わすれないようにしなきゃねぇという方向性だったと思う。 ただ、ここ数日お茶をしながら、ZOZO関係のニュースとか見ながら思う。 あー、なるほど。 何かを売りたいなら 何かになりたいなら、 何かを作りたいなら その「人」というものは見えない方がいいのかもしれないな。 そんなふうに思った。 例えば物語で一つの文章に感銘を受け、大好きで大好きで仕方なかった時に 著者近影を見て、な

人が居る、ということ

私たちは、とかく「そこに居るのは人である」を忘れがちだなあと思う。 システムの裏には人がいる。 私たちが相、対しているのは人である。 人はいろんなものをシステム化することで、 無機質化して「人同士の接触」をなくすことで 何かに集中するための時間を作り、気をすり減らすことを減らし、 発達したり、効率化をあげたりしてきているけれど。 そういっても。 ちゃんと扉を叩いて、やりとりをしていけば そこにいるのは人である。 なんてことを、最近メルカリを使い始めて思った。

日記1

今日は6時半に起きた。隣の部屋のソファベッドにはAが寝てる。 人がいる気配の中、眠りにつくのは久しぶりで、夜中に何度かもう朝かな?と目を覚ました。 起き上がって、まだ寝ているAを見て、改めてAにベッドを使って貰えばよかったと思う。ソファで丸まって寝ているのはやはり狭そうだ。 次の機会があったらそうしよう。 そのまま、そっとシャワーを浴びて、家仕事をした。Aを起こす時間としてはまだ早い。自分以外の人がいると、水場の扱いや衛生観念にいつもより気を使うなと思いながら、昨日飲んだグ

わたしの薄皮を

ここ最近考えていること。 それは「わたしの薄皮」について。 「薄皮」 それはツイッターのタイムラインに流れてきた、東畑開人さん(心理学者)のネットのエッセイの中に書かれていた。 そう、薄皮一枚って、本当に大事なのだ。  私たちの生きている世界は、自分を偽らないこと、「ありのままの私」であること、自然体であることが良きことで、仮面をかぶらず、素顔のままでいることが推奨されがちだ。  自己啓発本なんか読むと、自分の中に潜んでいる「本当の私」を発見して、本当にやりたいことに正直

自分のこえを、やっと好きになりはじめた

はじめて自分の声を好きじゃないと思ったのは、そういえばいつの頃だっただろう。 定番ではあるが、小学生低学年のカセットで録音した声というのを初めて聞いた時か。 それとも音楽の授業で、女の子たちが歌える歌を地声で歌えず、恥ずかしかった時か。 私の声は女にしては低い。 オーケストラでソロパートが始まった時に その音色がはっきり届くものと、一瞬どこから鳴っているか迷う、そういう楽器があるが、 その後者だと思う。 私の声は、 ちょうど雑音に紛れやすい音程で、声質だ。

あの日の手紙に、「ありがとう」と「ごめんなさい」

宝物入れの上に乗せて保管していた、レターボックス。 小学生からの手紙が入っている。 手帳を整理したその後、手紙を整理していた。 麻ひもで、ある程度束になっているけれど、 もはやどんな分類でまとめたか、わからない紙類。 紐を解いて、ひとつひとつ手にとった。 封筒の消印、名前、その文字の形で手紙を置き分けていく。 たくさんやり取りしている友達はそれでひとまとめに。 おかあさんからのものはこっちに。 おばあちゃんからのはこっち。 年賀状はその年ごと。 捨てずに残してい

とある日の日記と、手帳の捨てどきの話。

あの日から14日後のメモ * 例えば、絵を描いたら楽になるのか、とか思う。 死ななければなんとでもなるっていうのは本当だなー。しなかったことを数えるのは胃にくる。 でも同時にされかのせいでもなんのせいでもないと思う。言いわけではなく、そしてだから兄のせいでもなく。選択は必ぜんなんだろうか、とさえ思う。けど 誰のせいでもないからこそ、きっと何かできたとも思う。でもそれを誰かや何かの所為にできるほど、感情的にはなれない。でも、できることはたくさんあったと思うほどにはうぬぼれて

図書館にて (+書く読む談義)

病院の帰り、図書館に行った。 なんでか、あの「静かである」が普通の空間が好きだ。 文字とにらめっこして、ただ棚の前に立ちすくむことを 許された空間が好きだ。 静かでいることが、最適であるとされる。 思えばそういう環境は好きだ。美術館。音楽ホール。 呼吸をそこに忍ばせるみたいな空気感。 あいうえお順にならぶ、本の背表紙に久々にワクワクとする。 知った名前も、見覚えもある名前も。 いっとき読んで、購入しても、 もはや手元から離れた、当時の本たちが並ぶ様。 私は、図書館があ

切り花が苦手だった

水差しに差していた、花が枯れた。 しおれ始めから「ああ、そろそろおしまいかな」と、 そう思うまでの間は、ほんとうあっという間だ。 むかし、 お花屋さんで鮮やかに咲いている、切花が苦手だった。 だって、もう「それらは切られてしまっている」から。 地面から切り離され、彼らの鮮やかさの後ろには、 腐るか枯れるかの未来しかない。 もし買って帰ったら、 私は綺麗なこの子たちの腐る様を見ないといけない。 咲き切った、命が尽きた彼らを 燃えるゴミに出すか、そんなに興味はないのに

図書館に行きたい

そう思って、図書館に行ったら、休館日 というのはまあよくあることだ。口惜しい。 最近、noteも含め、素人も玄人もその道のプロの言葉も戯言も ごったかえした文章を色々ネットでみているにつれて。 なんだか、改めて「製本された、研鑽された、研究された」、 過去のあるものにちゃんと基づいた、ちゃんと分類された文章を読みたい、そう思った。 読む文章と運命的に出会うのは楽しい。 ネット上で文章に出会うは、その記事が作られたタイミングとか検索の運とかかなり大きく、だからこそ面白い。

漂流郵便局と宛て先がない手紙。

瀬戸内海の粟島に、漂流郵便局という名前の郵便局がある。  宛がない。誰に届けていいかわからない。  送りたい人はもはやいない。 そういう漂わせるしかないような、 誰かに宛てた手紙を、そっと受け取ってくれる。そういう郵便局である。 といっても実際に日本郵政が経営している郵便局ではない。 粟島の使われなくなった郵便局を、久保田沙耶さんが瀬戸内国際芸術祭2013でプロジェクト型アート作品として使用した、そういう場所だ。 2013の芸術祭が終わった後も、漂流郵便局はそ