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知りたくなどなかった、愛しい喜怒哀楽たちへ

拝啓  私の愛しい喜怒哀楽たちへ
はじめに正直に書きます。書いてしまいます。
言わないできたので、ここでくらい書かせてください。

わたしはあなたたちに出会いたくなんてなかったです。
貴方達に出会わなければと心の中で何回だって思ってきました。

経験したくなどなかった物事で出会った貴方達。
貴方達と、私は出会いたくなかった。
近しいものになりたくなかった。

強い悲しみ・憎しみ、絶望感、無力感。

貴方達がこの世に存在するなんて知りたくもなかった。
そういうのは物語の中の話であってほしかった。あっち側であってほしかった。

私は私のこの人生を、ただの日本の一平凡に生まれた人間として、ほどほどに楽しんで、ほどほどの幸せの中、ほどほどの悲しみや怒りとつきあいながら、ふつうに生きて、ふつうに死にたかった。
平凡な女の子として。平凡な女として。
女の子としての幸せのあり方を模索して、そういう枠組みの中で生きていきたかった。

枠の外側になんていきたくなかった。
そういう望みを抱いていた、ただの泣き虫な子供でした。

なのに私はあなたたちと出会いました。
本当に思います。出会わなければよかった。

いつのまにか普通は遠くになった。

その、「平凡に生きる」ということが、いつのまにか階段の一段上とか、鏡の向こう側とか、ガラスを隔てたとか。そういう世界に、いつの間にか変わりました。

あなたがこっち側にきたのか、私があっち側にいったのか。

私と、かつてそういう普通のしあわせにただ憧れた私。

その間に明らかに断絶ができた。

それを悲しまない日はなかったし、けれど見たくなどなかった。
できるなら私は私を平凡だと思いこんでいたかった。
いつだってその枠組みに戻れると思い込んでいたかった。

天秤が激しく傾くような悲しみ、底が見えない、力が入らない絶望感とか、人でなしになってもいいと思う倫理観の壁と向き合うような、そういう憎しみなんて。
本当の本当に、私は持ちたくなかったです。

人とはなんだろうとか考えたくもなかった。本当の本当に。
人間の内側に渦巻くものの濃さとか深さとか知りたくなんてなかった。

本当はいつだってそれを知らないころの私に戻りたかった。
こんな感情はおとぎ話にして本の内側にしまいこんで、本棚に押し込んで忘れた物語のひとつにしてしまいたかった。
私は貴方達のことをいつだってなかったことにしたかった。
こんな激しい感情は、制御しきれないから。そうやって箱につめておきたかった。

でも私は理解もしています。

そうはいっても、子供の頃思っていた普通のしあわせに誰もが行けるわけもない。誰もが断絶した何かを持っていることもちゃんとわかってます。
そして、そういうものを持つことで見つめられるものがあるということの価値もわかっています。

そして、ほどほどでは気づくこともできなかったほどの、幸せや温かさや大切さを私はこれから知り得るということ。すでに知っているということも理解はしているんです。

理解して言語化して言葉にはできないだけで、悲しみの衝撃で見えなくなっているだけで、手を伸ばす力がうまく出せないだけで。憎しみの壁の中に埋まっているけれど、そういうものが確かにある。
それはもう、ただの事実として。決して物事に喜怒哀楽のどれか一つの面しかないだなんて、ない。
私は彼らと出会えている。喜びも楽しみも、私が気づかないだけで。気づきたくないだけで。宝石みたいなそれを手に入れる人生を送れるということを。そういう発掘をできるということ。私に与えられた、喜びのチャンスが確かにある。
わかっています。

でもそれでも、書きたい。

そんなギャンブルみたいな不安定なものを、手にしたくなどなかった。本当にほどほどで十分でした。
壁を砕いて手に入れるとか、砕きながら自分が傷つくとか、別にいらなかった。
そうじゃなくて、そういうのではなくて。
目の前にあるのが壁じゃなくて、普通のドアならよかったのに。
ドアを開けたらしあわせが、みたいな単純なものであればよかったのにと、私はずっと思っています。
楽しいことのすぐ横にかなしみはなくてよかったし、幸せに感じた横に涙が出るさみしさがなくてよかったし、悲しみは忘れられるサイズのものでよかったし、憎しみは捨てられるサイズのものがよかった。
永遠になくならない苦しみになど出会いたくなかった。

誰かが開けてくれるドアを、ただうずくまっていれば助けてくれる誰かがいることを信じられる、そういうお気楽な人間でいたかった。
すべてにおいて、自分で立ち上がり手を伸ばすその必要性を実感などしたくなかったし、永遠に続く矛盾があることに自覚的になって生きていく人生なんて得たくなんてなかった。

誤魔化していきたかった、誤魔化せる人生がよかった。
私はそういうずるい、よわい人間です。

誤魔化せるほど要領がよかったら。器用だったら。
もう少し強かったり弱かったりしたら。言ってしまえば私が私でなかったら。どんなによかったか、といつだって思っています。
私たちが私たちでなかったらうまく言ったかもしれない、そういう物事を思い出すといつだって切なくなって、涙もでます。

それでも私は私で。私として、ここにいます。
もう少し弱くなれたらとか、もう少し強くなれたらと。そういう。たらればを重ねながら、なかなか強くも弱くもなれない私のままで。死ぬまでの時を生きています。

私はこれから喜怒哀楽に出会わないといけない。

貴方は私だから。

ちゃんと貴方たちのことを見ますから、そのはじめとして言わせてください。大きな波が浜に来る前に言わせてください。
こんちくしょー、あんたたちになんて本当に本当に出会いたくなかった。


でもちゃんと乗りこなしてみせる。
楽しみの中でふと浮かぶさみしさも愛してみせるし、幸せの横にいるかなしみも撫でてあげるし、寂しさの中で見えてしまう幸せも愛してあげるので、どれもお手柔らかに来てください。

貴方たちに揺られて人生を乗りこなすから。頑張るから。



タイトルだけ気に入って、推敲なしの勢い文章。


知りたくなかった、けれど愛おしい。私の喜怒哀楽。


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