見出し画像

変わっていく世界の片隅で

日本茶インストラクター協会の会報『茶論』の特集「#わたしのお茶愛」に寄稿させていただいた。大先輩の目に触れるものであり、背筋の伸びる思い。真摯に活動を続けていきたい。


『はてしないお茶物語』は、静岡の茶園のファミリーヒストリーに魅せられたことに端を発する。茶園が未来永劫続いていってほしいという願いを込め、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』からお借りした。

大阪を離れる直前に、京都の東福寺の和尚から次のようなお話を聞いた。

この世のすべてのものは、実体がないことを悟っているかどうか。今、目に見えているものは、すべて過去に誰かが生み出したものです。未来永劫、存在するかといえば、そうではありません。肉体は死ぬし、物質も朽ちていきます。すべてのものはそのままであることはありえません。

和尚のおっしゃる通り、すべてのものがそのままであることはありえない。産業は変革しながら成長していく。人の心は変化する。環境も変化をし続ける。あり続けるためには、あり続けるための努力が必要だ。

また、ある方から、『はてしないお茶物語』にたいして、こんなコメントをいただいた。

転校、転勤で、強制的にリセットを強いられた人生を歩んできて、「なんで私だけがこんな目に」と思ったこともあるでしょう。本当は変化が苦手なのに、強制リセットになり努力する人生。だからこそ「永続」に憧れを抱く部分はあるんでしょうね。

そうだ。わたし自身が、永遠につづくものに憧れている。岐阜市山間部の富有柿畑で農作業をする祖父をみて育った。祖父の作る甘くて大きくて美味しい柿が大好きだった。死の床で、祖父はもう起き上がることも話すこともできなくなっていたが、筆談で「柿の木が見たい」と訴えた。家族に担がれて眺めた柿の木は、祖父の目にどんな風に映ったのだろう。そんな風に祖父が人生の結晶のように作った柿は、誰も受け継ぐことはできなかった。20代後半でエステ起業するも、メインで販売する予定だった美容機器は時代遅れになっていた。

どのように茶園が引き継がれ、次の世代へバトンを渡してきたのか。変化していく世の中に抗いながら、どのように不遇の時代を耐え、文化として残ってきたのか。「続く」をキーワードに取材を重ねていきたい。

noteで一年前から連載している『今日も静岡茶屋でお待ちしています』は、事実を基にしたフィクションだ。あえてフィクションで伝えることを自問自答しつつ、ライフヒストリーや言葉を伝え、主人公と共に、「はてしない茶園」がありうるのかどうか、ありうるとしたらどんな茶園なのだろう。

読んでくださった方のこころに一瞬でも何かを残せたら、とても嬉しいです。